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「空中庭園」でその名を知られる豊田利晃監督が、ミュージシャンとして活躍する中村達也を主演に迎えて描く、血で血を洗う人間ドラマ。
頭を変えられたアンパンマンは、果たして同じ「アンパンマン」なのか。こんな題材の論文を、どこかで読んだことがある。脳こそが心を支配しているならば、汚れた頭を吹っ飛ばして「新しい顔よ!」とバタコさんに投げつけられた頭は、誰なのか。考えてみれば、非常に面白い観点である。
本作は、極めて抽象的な場面を組み立てて作られた難解な物語に思える。しかし、基本的な展開は単純明快である。理不尽な理由で残虐に殺された一人の男。危うく天国に行きかけるが、運よく現世に蘇り、力を蓄え、憎き宿敵を倒す。
この展開、突き詰めれば「アンパンマン」の物語展開に酷似している。作り手の趣味としか考えられない鮮血ショーとしての色合いは濃い。しかし、「顔が濡れて力が・・」を「刀でぶった切られて、力が・・」と書き換えるだけで、この類似した作り方は明確になってくる。
その究極として、終盤の憎き宿敵との対決シーンがある。煮えたぎる熱湯の中で、主人公と宿敵である大王は「首」だけになって戦う。ひたすら、戦う。生死を越えて憎悪は人間を突き動かしていくことを例示しているのかもしれないが、どうにも首祭り・・「もう許さないぞ!ばいきんマン」と聞こえてきそうで吹き出してしまう。もはや、センスの悪いコメディである。
物語として、強い主張や観客を力強く後押しする意欲は感じられない。ただ「ああ・・現世は辛い。辛い。もう嫌だ・・」という虚無的な諦めに溺れた作り手の脆弱な精神だけが色濃く滲み出し、観客の心を逆撫でする結果になった。
ただ、考えてしまう。もし、アンパンマンが今作を観たら・・強い共感を持ったのなら。もしや、「新しい顔よ!」とぴかぴかの顔を投げられても、体にくっつかないかもしれない。笑顔の顔が、ころころとどこまでも転がっていくのか。不自然な血しぶきをみせつけられるより・・怖い。見たくない。