レスラーのレビュー・感想・評価
全20件を表示
気持ち悪いしバカ
...............................................................................................................................................
有名レスラーがいたが、無茶のし過ぎで試合後に倒れ、辛うじて助かる。
当然の事ながら医者から勧告され引退を決意した。
そこで長年放置していた娘とヨリを戻そうとするが失敗。
親しいストリッパーに結婚を申し込むも失敗。
肉屋で働き始めるも、短気が原因で店に迷惑かけまくり、クビ。
引退のためお流れになったビッグマッチがあったのだが、
それに出場すると申し出て、その試合が行われる運びとなった。
ストリッパーはレスラーと結婚しても良いと思うようになり駆けつける。
そして試合を止めようとするがおっさんは当然リングへ。
死にそうになりながらも、観客のコールに応えて死を覚悟で必殺技を敢行。
死んだのか助かったのか、というところで終了。
...............................................................................................................................................
うーん、どうも同調できん主人公やったなあ。
目先の事ばかりで計画性がないし、とにかくバカ。
若い頃に努力を怠った事からヒズミが来まくってるだけ。
まさに自業自得、同情の余地すらない。
最後も格好良く死を賭して必殺技を敢行するが、何も格好良くない。
それで死んだら今度は団体に迷惑をかけるだけやん。
お前が死んでも誰も特せんのやっちゅうの。
アメリカではこれが格好いいって事になるの?
何1つ築けてへんから、失う物がなくて死が怖くないだけやん。
それを勇敢とも思わんし、こんな人生だけは送りたくないって感想。
・・・と、内容的に全く評価できんのやが、さらに減点がある。
それは絵が気持ち悪いって事。血が生々し過ぎる。
それに心臓手術の痕も気持ち悪い。んなもん見せんで良い。
これに加え、嫁の感想としては髪の毛が気持ち悪いとのこと。
おっさんの振り乱す髪が汚すぎて、画像が全て汚く見えるってさ。
まあおれは別にそこはどーでも良かったんやが(場)
あ、それからアメリカではプロレスは完全にショー扱いなんやな。
そういった日本じゃまず描けない内容も、普通に描かれてた。
80年代リスペクト
80年代ハードロックのオンパレード
ラストのリングに上がるときには、80年代ハードロックの最後の雄、ガンズ・アンド・ローゼズの曲。
ガンズ・アンド・ローゼズといえば、その直後にニルヴァーナの登場でグランジブームになってしまい、過去の人2されてしまう。
レスラーもまさに、今過去の人になろうとしている。
なんて素晴らしい仕掛けなのか!
『あしたのラム』
『我らの罪を背負って彼は罰せられ、地に平安をもたらし、その傷は我らをいやす』
パッションより。
白●葉子と●吹ジョーをリスペクトしているなぁ。RO●KYとエイ●●アンじゃない。
しかし、このレスラーにも明日は無い。真っ白い明日だけ。映画は真っ暗だったけどね。
追記
何一つ解決される事なく、ゴミ見たく人生を引退する。
幸せだったのかもしれないけど、やっぱり悲しい(涙)
パムとステファニーと上手くいっていればもうリングに上がることもなかったでしょうけど、結局上手くいかず何をやっても空回りで1番輝いていられるのはリングしかないという気持ちもわからなくはありませんが、パムやステファニーと一緒にいたランディの姿こそ1番輝いていたようにも見えますし、最後にパムが来てくれたのに拒んだのは共感できませんでした、僕が「男の生き様」がわからないだけでしょうか? 大好きな映画なんですよ、ただ僕だったらパムとの人生を選んだというだけで。 「お前はスケベなだけだからパムを選ぶんだろ?」と言われたら何も言えませんが(笑)
好き
どんなに歳をとってもやはりレスラーなんですね。
主人公の病気以外は全て主人公自身が招いたことなので最後の試合のシーンに感動はしなかったです。
しかし、病気になり身体は老いてボロボロ。娘との約束も忘れてブッチした挙句ほぼ絶縁状態になった主人公。そこまでして、やっと自分の本当の居場所に気付くのが何だか切ないですね。これを哀愁というのでしょうか、そして、死ぬと分かっても結局プロレスだけは棄てられなかったまさに 漢 ですね。
定期的に観たくなる一本です。
決定的な「ロッキー」との差。
基本的にはよくできた映画だと思う。
試合中の描写は生々しく、エンターテイメントとしてのプロレスの側面まで深く描いている。
昔の栄光を捨てきれないレスラーの心理描写もすばらしい。
また、娘との確執が氷解するシーンは思わず涙が出てしまった。
しかしメッセージがあまり好きになれず。
格闘技に生涯を捧げた男の話という点では「ロッキー」を彷彿とさせる。
しかし「ロッキー」では主人公は愛するものを守るために力を振り絞るのに対し、この映画では主人公は失ったものだらけの現実から逃げるようにリングに立つ。
様々なものを失ったのも正直、主人公の自業自得のようにしか思えなかった。
ミッキー・ロークのファンならば主人公と境遇を重ね合わせてある種の感動を覚えるのかもしれないが…
特に昔のミッキー・ロークを知らない世代としては特別な感情は抱きませんでした。
レスラーとしてしか生きられないが 病気もありレスラーとしてはもう生...
レスラーとしてしか生きられないが
病気もありレスラーとしてはもう生きられない・・・
悲しい男のサガ・・・なのかロマンなのか???
その過去の栄光を引きずるレスラーを
同じく過去の栄光を引きずる(?)
ミッキー・ロークが見事に演じる。
マリサ・トメイの惜しげもないストリッパー役も素晴らしい。
ストレートな佳作
老レスラーの話、というだけで想像できそうなシンプルなストーリーだが、その分M.ローク他キャストの演技が引き立つ作品であった。ナインハーフ等いわゆる絶頂期を知っている者としては80年代音楽とともに自分も人生の後半に差し掛かったことを感じさせられるが、同時に主人公の生き方に希望と憧憬を覚えた。「明日に向かって撃て」を思い出させるエンディングも爽やか。
居場所と生き甲斐
あまりにも悲しい話でした。
観ていてとても辛いです。
主人公の彼はもう歳で長年の試合で体はぼろぼろ、とても試合のできる体ではない。
稼いでいくためスーパーなどで働くがやってられないと投げ出してしまう。娘と再会し、最初は上手くいかなかったけれども徐々に関係を築きあげたかと思えばそれも駄目で、クラブで働く彼女との関係もギクシャクし、とうとう我慢できず、リングで闘うことを決意した。
彼にとってプロレスは生き甲斐でリングは居場所でまた観客は家族である。この映画は
そこでしか輝けることのできない悲しく哀れな男の物語。
是非ともオススメします。
プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》その答えはやがて映画が教えてくれる。
1990.6.8 日本武道館での初の鶴田越え。あの時俺はスタンドに居た。
※1 昨日(投稿時間的には一昨日)NOAHの象徴だった三沢光晴が逝った。
信じられない。信じたく無い。
今日は1人で三沢を偲んで本作品を観る。
トップレスラーは誰しもが身体に爆弾を抱えている。
「ファンの為に…」その思いが強いレスラー程、無理をしてリングに上がっている。
ファンとゆうのは厄介な存在だ!より過激な闘いを見たいとチケットを買う。レスラーはその“空気”を読んで試合を行う。
この作品に描かれる主人公は、20年前に伝説的な試合を行う等、第一線で活躍したレスラーだ。テレビゲームにまでなった程の有名レスラーだったのに今は…。
映画の中で、主人公が歩く度にカメラは絶えず後ろ姿を追い掛け廻す。
以前の栄光を蓄えに生きる主人公。悔しいかな現在は“過去の名前”で何とか生活しているだけに過ぎない。
その事実を自分自身で解りすぎる位解ってもいる。
ちっぽけなサイン会に出席をするとそこには自分同様に惨めな姿を晒す同僚達の姿が…。しかしそれも生活の為には受け入れなければならない。
そんな思いを背中だけで体現するミッキー・ローク。昔は《世界一セクシーな男》とまで言われた男だ!
昔を知る者ならば映画と現実が交差してしまい、色々な思いが胸に去来する。
映画はミッキー・ローク演じる主人公が、試合前の控え室でのレスラー仲間達との会話から始まる。
どう見ても“八百長”や“仕込み”バッチリの場面が有るので、アンチプロレスを掲げる人から見れば「ほら見たことか!」となる。
しかし、ちょっと待って来れ。例えそんな事実が有ったとしても、プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》
その答えはやがて映画が教えてくれる。
少し話を脱線させて欲しい。
トップレスラー程怪我を抱えているのだが、彼らはそれを隠しながら毎回リングに上がっている。
その為に欠かせないのが、映画の中にも出て来るが“薬物”だ!
団体に所属している事で、ある程度の保障が約束されている日本人レスラー(勿論フリーも多い)に比べると、アメリカンプロレスの殆どのレスラーはフリーの立場。
従って自分を売り込む為には試合をキャンセルする事は出来ない。
レスラーの死亡例に於いて、おそらく“薬物死”ではないか?と思われている事実はとても多い。
みんな薬に頼って痛みを緩和させては試合に臨み、やがては死のリングに上がってしまう。あの人に、あの人に、あの人も。ちょっと思い出すだけでも両手では足りない位に…。
他では自動車事故か?フリーの立場で全米を1人であっちへ行ったりこっちへ行ったりするレスラーは常に交通事故の危険が付き纏う。運転中に“痛み”が加わればその危険は倍増する。
引退を決める多くのレスラーの場合。自らの限界を感じたからか、この作品の主人公の様に“ドクターストップ”を言われた場合が多いだろう。今思い出すだけでも、ダイナマイトキッドの引退は衝撃的だったが、毎試合棺桶に片足を入れた状態で試合をしていた事実を知ると、三沢の様な事態にならずに「良かった!」と感じずには居られない。
昨日の三沢の様に試合中に死ぬ例はまだそれほど無いが、ファンがより過激な技の応酬を望む昨今では、今後増え続けてしまう可能性が有る。しかし、オーエン・ハートの様な死亡例は論外だ!全く悼たまれないと言うしか無い。
かなり脱線してしまった。
この主人公はやむなく引退を決意するのだが、その決意を表現するのもやはり後ろ姿。
惣菜コーナーへの新しい“花道”へと進む時に被さるファンの声援。
悔しいが“事実は事実”として受け入れる主人公。
そんな彼が新しい“心の寄りどころ”として、ストリッパー役のマリサ・トメイに自分の想いを伝える。
世界一セクシーな男の欠片も見えなくなってしまった汚れ役の姿を晒すミッキー・ロークも素晴らしいが、この映画での「客とは付き合わない」と語るマリサ・トメイもそれ以上に素晴らしい。
お互いに惹かれ会っている演技は、まさに大人の恋愛映画として見ても一級品です。
そして娘との再会場面。
引退を決意したからこそ、以前の父親としてのだらしなさを詫びての和解シーンは涙なしには見られない。この時の父娘のダンスシーンは本作品での白眉の場面です。
しかし…。
ここから先のクライマックスへと至る展開は確かに予定調和でしかない。
でも他の展開になったとしたら、それはそれで許せない思いだ。
やはり男はプロレスラーとしての人生を全うしなければ観客は納得しない。
幾らでも感動的に盛り上げられるのが可能なクライマックスなのだが、映画は実にあっさりと幕を閉じる。
本来ならば感動的な筈の娘とのダンスシーンを始め、一番盛り上がる場面なのに…。
それが映画を観た全ての観客の気持ちでは無かろうか。
しかし、映画はそんな観客の思いをはぐらかす如くエンディングを迎える。
まるで「この男の行く末かい?聞くのは野暮だよ!」と言っているかの様な最後でした。
それがこの作品が各映画祭で絶賛を浴びながら、より大衆的に偏ったアカデミー賞から無視をされた原因の様に思える。
近年格闘技ブームは下火で関係者は苦しい経営を強いられている。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったK-1。
数年前には紅白歌合戦の牙城を崩す視聴率をも得た総合格闘技。
亀田問題に揺れたボクシング界も多数の世界チャンピオンを擁しながら、以前ほどの活況は見られない。
ましてや団体が乱立してしまい、コアなファンでさえも細部まで把握出来なくなってしまった現状のプロレス界は…。
NOAHの社長兼トップレスラーとしての激務をこなしていた三沢光晴の、事故に至る前までの心痛は察するにあまりある。
相次ぐ人気レスラーの怪我や病気による離脱。
それに追い討ちをかけたテレビ局との放送打ち切りによる経営の悪化。
テレビ放送が無くなった事から目立ち始めた観客動員の低下。
休みたくても自分の立場ではそれは許されない。
若手の育成が急務だからこそ、世界一“相手の技を受け続ける”事で、プロレスの凄みを見せ付ける事で解らせる、《観客との勝負》
全ての事柄が悲劇へと向かってしまった。
事故の翌日、NOAHは次の会場へ向かい予定通りの興行を行った。
今後も同様な事故が起きないとは限らない。
例え起こったとしても、やはり翌日にはチケットを買ってくれた観客の為に興行は行われるだろう。
あらゆる格闘技の中でプロレスだけが異なっているのは、プロレスだけが“相手の技を受けてこそナンボ”の世界。
だから理解出来ない人には全く理解出来ない。
今回は殆ど映画のレビューとはかけ離れた文章になってしまった。
それもこれも全て俺がこの主人公同様に…。
プロレスが大好きだからだ〜!
※1 今は消滅してしまった映画レビューサイトに、このレビューを投稿したのは。三沢が亡くなった翌日に本編を鑑賞し、その日の深夜にレビュー投稿した。
(2009年6月14日シネマライズ/UP theater)
すごくよかった
イオンのシネパスで久しぶりにスクリーンで見た。上映が午前中のため、朝から侘しい気持ちになった。
かつてのスターレスラーが自身の加齢と時代の推移で負け犬的に表現されていて、実際慎ましい暮らしぶりだったり、試合のギャラも大した額ではなさそうであったのだが、しかしオレはプロレスラーにかつて強く憧れた時期があったため、それでもやっぱりすごい人なのは間違いないという敬意を抱いており、落ちぶれていたとしても惨めには全く感じない。スーパーのおじさんやトレーラーハウスの大家がランディを雑に扱っているのを見ても、よくできるな!と逆に感心する。
確かにダメ男映画なのかもしれないのだが、心底ダメな男とはやっぱり見ることができない。
ハードコアの試合がすごかった。試合をしていない時も常に声をもらして苦しそうに息をしている感じがつらそうだった。
侘しい気持ちになって帰り道蔦屋に寄ってガンズ・アンド・ローゼスのCDをレンタルした。
ミッキー•ロークの肉体美
選手生命を絶たれたレスラーを描いているが、自分が歳をとったらということも考えずにはいられない。
試合のシーンはかなり痛々しいが、逆に言うとそれだけリアルなのだろうか。
最後の試合は、それに加えて死ぬのではないかという緊張感もある。
あえて結末までは描かれていないが、想像させられるという意味でもかなり印象的な終わり方。
娘も観戦に来てくれるかもしれないと思ったが、結局縁切りのままになってしまったのは救われない。
ブラックスワンとあわせてみてください。
芸術、創作、表現活動におけるエクスタシーのようなものがよく描かれていると思います。一見かっこよく描かれがちなこういう感情ですが、実際にそういう人たちは別にかっこいいわけではなくて、それ以外の生き方ができない場合も多いです。たぶんブラックスワンと対で作られたんじゃないでしょうか?レスラーが最終的には、「リングの上でしか生きられないどうしようもない俺」というエクスタシーにたどり着くのに対して、ブラックスワンはプレッシャーと恐怖で生と死の狭間で狂気にも似た芸術の孤高の世界に触れるという到着地点だったと思います。その辺の芸術に対しての意識の違いはもしかしたら男女差が大きく関係しているような気がします。多くの女性作家は「あっちの世界」にタッチして帰ってくる。男性作家は創作の喜びの罠に果てしなくはまっていく。。。。
そんなことを考えさせられました。
プロレス好きは複雑かも…
自分の中高の頃の友人はプロレスマニアが多かった。自分は興味は薄かったが情報だけは入ってきてた。
この映画を観て、その頃の友人達を思い出した。
肉体を鍛え上げたミッキー・ローク。漂う雰囲気も完全でレスラーにしか見えない。
この映画はプロレスの裏の姿、バックステージを見せてしまう。
試合の段取り、薬漬けな肉体、人数のまばらな販売会場。 引退後の辛い生活や家族との軋轢。
そして復帰して試合に臨む姿。
何度も何度も引退と復帰を繰り返す実在のレスラーを思わせる。
プロレスに夢を感じてる人は見ないほうがいいかもしれない。
レスラー幻想をぶち壊すほどリアルで世知辛く、そして沁みる映画だ。
レスラー…80年代男の哀愁
プロレス好きなら当然知っている名作「レスラー」。ミッキーロークがかつての名声を取り戻した作品。
最近、地上波初放映だったんで録画しといた。
くだらない番組が多い中、たまに深夜でいい映画やってるので嬉しい。
ロークと言えば、ナインハーフでは色気出しまくりで氷を使った技…頂きました。
そして、タイソン戦の前座での猫パンチ…。
以降、映画界では話題にもならなかったが、この作品で男の情けなさと哀愁を見事に演じた。
ストーリーは、かつての伝説的人気レスラー、 THE RAMが、落ちぶれドサ回り。ドーピングの影響で命の危機を感じる中、別れた娘との愛、魅かれるポールダンサーとの恋を掴みかけるが、小さな幸せを捨て、仲間とファンが待つリングを選ぶ…みたいな古い漢のドラマ。
まあ、プロレス知らない人、若い世代には分からない世界かもしれない。
モデルとしては、WWF時代のサベージや今のHHH辺りなんだろうが、華やかな世界の陰と、ローカルなインディプロレスやロートルの哀しみも赤裸々に描く。
知ってはいるが、これがアメリカンプロレスの現実。ハードワークの中、レスラー同士リスペクトし合い、怪我しないよう助け合う。
相撲も似たような世界はあるが、陳腐化した言葉になってしまったが、ガチンコを残す日本の格闘技界の一部とは対極の世界。
ただ、テーマは現代に居場所を失う80年代の男の哀愁だな。
台詞の中に「80年代は良かった。GUNSやモトリークルー…。でも、90年代は最悪、グランジが出てきた…」みたいなのがある。
俺はハードロックも、ニルヴァーナのグランジもスラッシュも両方聞いて、好きな世代だが、時代の変化について行けない、ついて行かない人はいる。
あゝ、でもニルヴァーナのライブを観る前にグランジのカリスマは90年代の社会に潰されたわけだ。
で、流れる曲はAC/DC、RATT、何故かブルーススプリングスティーン。ツボはまりまくり。
今も現役バリバリのバンドも多いし、単純で分かりやすいいい時代だった。
でも、90年代、湾岸戦争後だが、志向が多様化、細分化し、アメリカを一つにまとめるものがなくなったんだな、分かりやすいヒールとベビーフェイスの闘うリング以外には。
で、ラストの伝説の試合のリマッチ。
ロートルの試合に観客が集まるローカル会場。
一度は求愛を拒絶したが、ラムの心臓を心配し会場へ車を走らすポールダンサー。
試合を辞めて、と叫ぶが、ロートルレスラーは俺の居場所はあそこだ、とリングに立つ。
そこで流れる入場曲はGUNSのsweetchild O mine. で、ズルッ。
まあ、いい曲だが…哀愁ないよ。
リング上で観客にロートルレスラーのプライドをマイクで語る。自分を選んだ女への決別でもある。
愛する娘、女を捨て、俺を待つファンの見守るリングのトップロープから決め技ラムジャム!
てなシーンでFIN。
結末は観てる人次第か。日本なら泣きながら男を待つ女と勝利の後に愛の抱擁…
エイドリア~ン って、今更ロッキーは、ない。
あれは時代の流れについて行けない古い男の死へのDIVEだな。
自分を唯一受け入れる安住の地への逃避でもある。
そして、俺には最高にかっこいい男の結末。
名優ミッキー・ロークが映画界に完全復帰した!
超一流のレスラーのピークは短い。
ステロイドで体を壊し、重なるツアーで家庭は崩壊、
だがそれでも殆どの選手が夢を追い続けて、節々の痛みに耐え、
薬をのみながら毎日、リングに上がる。
プロレスならオタクレベルの自分がみても
この作品はプロレス業界をリアルに描いています。
細かい描写やギミックがいっぱい。
思わず、ニヤリ・・・
話は変わるが日本のレスラーでリングに専念できる選手は一握りだ。海外でも多くの選手がドサ周りでわずかな報酬しかもらえない。そして多くの選手がステロイドの影響で亡くなっている。
その悲哀に満ちた元スパースターを体を張って演じている
ミッキー・ローク。
彼は自分自身に重ねてこの役を本当に自分のものにしている。
(なりきっている)
※アイアンマン2の悪役なんてこの演技にくらべたら全然大したこと無い
それほどこのレスラーと言う作品は素晴らしい。
思い出したがロッキーファイナルの悲哀とかぶります。
あの作品も商売女が彼女だったけっけ・・。
少しだけ注文があるのはラスト。
きっちりとしたエンディンがの方が良かったのにね。
不器用
ミッキー・ロークってこんなんだっけ?
でも、確かにハマリ役。
プロレスができなくなって、これまでの生き方を変えて、家族との和解、地味な仕事をしようとしても、それまでの生活・知名度・人生の全てがそれを許さない。
かつ、本人もやはりその世界でしか生きられなくなっている。
仮にリングの上で死んだとしても、違う(本人にとって)惨めな生活を送るより遥かに幸せなのかも知れない。
プロレスの世界は極端にしても、結局長年生きてくると、その生きられる世界が限られてくるというのは万人に共通な気がする。
悲しい男のおはなし
映画「THE WRESTLER」、邦題「レスラー」を観た。
ゴールデングローブの、最優秀主演男優賞を 主役のミッキー ルークが 獲得し、ベネチア国際映画祭でも 最優秀賞の金獅子賞を獲得した作品。
ストーリーは
ランデイーは、(ミッキー ローク) ラムという愛称で呼ばれ ラスベガスのスタジアムを何万もの熱狂的なファンでいっぱいにして、かつて一世を風靡したプロレスラーだ。リンクの上に 仁王立ちして 床にのびている相手の上に体ごと飛び降りて カウントに持ち込むのが彼の必殺技だ。1980年代の熱い男達の英雄的レスラーだった。
さて、20年たった今でも、ラムは小さな街の小さなリンクで、レスラーをやっている。もちろん八百長もやる。試合中に剃刀で 自分を傷つけて血を流しながら 戦うのもショーのひとつの見世物だ。観客達は 流血を見て、興奮してそれに熱狂する。しかし、試合が終わって、彼が帰る家は 惨めな貸しトレーラーだ。興行でもらった金は ボロボロの体を何とか維持する為の 鎮痛剤や、ホルモン剤と、アルコールに消えてしまう。
そんな彼が、試合の直後に、心筋梗塞で倒れる。 バイパス手術をして彼を救命した医師は「生きていかったら二度とリンクには上がらないように」とラムに忠告する。プロレス以外の世界を知らないラムは 途方にくれて、ストリップダンサーのマリサ (マリサ トメイ)のところに行く。9歳の子を持つシングルマザーの ストリップダンサーは、ラムに、「それならば、プロレスをやめて、家族のところに帰りなさい」と言う。 すっかり忘れていた、17歳の娘にあわてて会いに行くが、勿論 長いこと 連絡を絶っていた父親を 娘は受け入れない。紹介された肉屋で店員として働き始め 娘との関係も修復につとめ、やっとのことで娘の かたくなに閉じた心を開かせることに成功するが、生きる目的をどうしても見出せないラムは、このままずっと店員を続けていくのではなくて、本当に自分のやりたいことに、自分を賭けることにする。 というお話。
悲しい男のお話だ。ショービジネスで いったんヒーローになってしまうと 死ぬまで そこから抜け出すことが出来なくなってしまう男の悲哀。救いのない老醜。うらぶれた男のロマン。
53歳のミッキー ロークは、長いことハリウッドから忘れ去られていたが、去年コミックを映画化した「シンシテイー」で、カンバックした。この映画、白黒映画で、余りに残酷で切ったり 殺したり 刻んだり 暴力性が激しくて 気分を害し吐きそうになって私は映画の途中から出てきた。この映画の大男の殺し屋が ロークだった。 このニューヨーク出身のハングリーなボクサー上がりの俳優は、1980年代には、アメリカのセックスシンボルと言われ、大変な人気だった。彼の20代のころの写真をみると、同じ人とは到底信じられないほどハンサムだ。今回、老醜をさらけ出しての熱演に、たくさん賞がもらえて嬉しいだろう。
映画のなかで、敵味方で憎悪むきだしで戦っていたのに、試合が終わると レスラー同士がとても仲が良くて 互いに気を使いあったりする様子が おもしろかった。
うちとけない娘の前で、「寂しくて仕方がないんだ。」と、大きな男が大きな涙を落とすシーンも良い。彼からプロレスを取ってしまったら 何も残らない、ただのわがままな赤ん坊のような、どうしようもない男をよく演じている。もしかすると、この役者そのものの姿なのかもしれない。
ストリッパーのマリサ トメイが 良い味を出している。この人が出演している映画をいくつか観ているが、いつもストリッパーだったり、身持ちの悪い女だったりして、この人が服を着て 画面に出てきたことがない。44歳で、とても美しい体をしている。裸でセクシーなポールダンスをさせたら 本場の本物より上手だ。口をすぼめてしゃべる様子や、長い乱れ髪で男を遠くを見るような目で見つめられたら 大抵の男は クラッとくるだろう。
体が資本で 体を張って生きるしかない孤独なレスラーと 孤独なストリッパーの悲しい映画のなかで、唯一、17歳の娘を演じた エヴァン レイチェルウッドの硬く純粋な美しさが 際立っている。汗と血とアルコールで汚れた掃き溜めに突然、真白の鶴が舞い降りたように、色白で可憐な 薄幸の娘だ。父親から長いこと忘れられていた娘の孤独は、プロレスラーやストリッパーの孤独よりも深く 痛々しい。
この映画 熱い男の浪漫とか言ってしまって、男は賞賛してしまいがちだけれども、私はこんな「浪漫」は 好きになれない。大体どうして 男は格闘技に惹かれるのか。格闘技のボクシングもレスリングもスポーツではない。殴り合いではないか。ボクシングなど、ヘルメットをした上で どうして頭を殴りあわなければならないのか。
映画では、大きな体で、小さなおつむの赤ん坊のようなレスラーを ストリッパーは支えてやろうとしたが、そんなレスラーとストリッパーを理解しようとして、もっと傷つくことになってしまった娘の方が、人間として はるかに立派だと思う。
最後に昔のロックンローラー ブルース スプリングステイーンが 歌っていて、それが とっても良い。
アラフォー号泣
ナインハーフで強烈にブレイクしたセクシー俳優ミッキーロークのカムバック作品。ポリスの再結成、ヴァン・ヘイレンの再結成、いろいろ見てきましたが、このカムバックもジーンとくるほど感激。
エンゼル・ハートが彼の作品ではもっとも好きで、ロバート・デ・ニーロとも対張っていたこともありました。(キャメルの煙草を吸う姿がかっこよくて、彼の真似をし煙草を吸い始めました。悪い人です。)
さて、映画では「全盛期を過ぎたプロレスラーが、他にできることもなく、昔の栄光にすがりながらプロレスをやり続けている。しかし、彼がそれまでの人生で失ったものは大きかった。それでも、得たものもやはり大きかった・・・。」という見ていていろんな意味で痛いテーマが語られていきます。
ダレン・アロノフスキーのデビュー作の「π」はサントラまで買ってしまったほど、映像とテクノサウンドが見事に融合したスタイリッシュな作品でした。前作の「ファウンテン」では宗教じみた万人受けはしないであろう作品を製作。今回の「レスラー」でレスラーというショービジネスの裏を描きつつ、「老い」と「人生」について語っていきます。
アラフォー世代には80sのハードロック(クワイエット・ライエット、モトリークルー、ガンズ・アンド・ローゼスなどなど)もうれしい演出。「ニルヴァーナなんてくそだ。」なんて台詞でニヤリ。
不惑の40台で惑いまくっているオーヴァー40世代にお勧めの映画です。是非!
猫の瞳は変わらず。
観終えて感じたのは、このレスラーという題名の意味。
なるほど、そういうことだったか。ピッタリだと思った。
これはレスラーとして人気を誇ってきた男の話ではなく、
レスラーとしてしか生きられない人間の話だったのだ。
自らの病や老い、生活における怠慢を露呈させてもなお、
ひとたびリングに上がれば大声援を浴びられる男である。
過去の栄光とはいえ…そりゃまぁ誰でも歳をとるわけで、
ひと頃の精彩には欠けるにしても、まだまだ現役だぞ。と
後輩を激励し、タッグを組み、プロレス界に貢献する彼を、
金もない。家もない。お惣菜も満足に売れぬ情けない男。
…で片づけてしまうのは、勿体ない。
ただしかし、リングの上でどんなに強く人気があろうと、
実社会ではそうはいかない。
すべてを(おそらくは)プロレスにつぎ込んで生きてきた
彼は家族を放り出し、娘すら満足に育ててこなかった。
心臓が弱り始め、自分の身体を動かせなくなって初めて、
馴染みのストリッパーに弱音を吐き、娘にも許しを請う。
こういう男の態度、女からすれば「何だこいつ!」である。
自業自得だろうが!好き勝手やってきたツケなんだから。
しかしこの描き方…!リアルでいいなぁと思った。
まるでヒーロー度を感じさせないダメダメ親父なのがいい。
ここで理解ある妻と可愛い娘と大豪邸でも出そうもんなら、
「ロッキーかよっ!」とハリウッド罵声を浴びせたくもなるが、
ついぞその気配もなく^^;物語はますます悲惨に満ちていく。
今作のレスラーはM・ローク自身だと言われている。
彼も人気絶頂期にボクサーに転向し^^;よせばいいのに
妙な柄パンはいて^^;猫パンチを繰り出したトラウマがある。
当時はセクシー俳優として名を馳せ、顔も色っぽかった。
(私は好きではなかったが)今じゃ見る影もない…と実は、
あの肌荒れと崩れ具合から観るまではそう思っていたが、
いやはや、、クローズアップで映し出された彼の瞳は、、
まだまだエロい!!!(爆)いやホントに。アッパレだった。
M・トメイを口説く表情なんてアレ、ナインハーフ系ぢゃん。
このヒト、まだまだ男をやめてないな(爆)と思えるのだった。
…と褒めておいて、なんだけど、
脚本や演出面では、さほど出来のいい作品ではないと思う。
娘の心の変遷が唐突、M・トメイの心情も描き切れていない。
その分ローク演じるラムの飾らないリアルさが前面に出され、
彼(レスラー)のための作品なんだとあらためて感動できる。
さらに期待されるラストでなく、こんなもんなんだ。の姿勢は
今までの親父ヒーロー映画とは一線を画している。
一度どん底を味わった男のしたたかさと、這い上がりつつも、
余裕の演技をする彼の風合がまさに優雅で見事な調和美。
これを哀しいと見るか。潔いと見るか。私には、心地よかった。
(ファンって本当に有難い。声援を送る方も、扇風機の風も~)
全20件を表示