「お互いに高めあう事の危うさ」のだめカンタービレ 最終楽章 後編 ハリー・ライムさんの映画レビュー(感想・評価)
お互いに高めあう事の危うさ
「のだめカンタービレ」を見た。マンガの方ではなく、テレビドラマ(VOD)と続編・映画(レンタルDVD)の方だ。1,2週間かけて、一気に見た。
今回も、かなりのネタバレが含まれていますので、ご注意ください。(テレビ・映画とマンガはかなり近いそうです。)
オーケストラの青春モノの部分は、正直、この年齢の私には面白くない。面白いのは、やはり、上野樹里(のだめ)と玉木宏(千秋先輩)の二人の演技だ。二人とも、この難しい役をうまく演じている。特に、玉木は、ややもすると三枚目になってしまう役を、最後まで崩れることなく二枚目として演じた。
このドラマは、もちろん、のだめと千秋のラブストーリーなのだが、ストーリー展開が心地よい。その理由は明らかで、三角関係がほとんどないからだ。三角関係が登場して、二人の関係が崩れたり、または進んだりするストーリーにはもう飽きた。
ドラマの前半(テレビドラマ)では、のだめの天真爛漫、一途で一方的な千秋への愛情と、それを受け流しつつもだんだんのだめが気になる千秋の心の動きが、ストーリー展開の中心となっている。これはこれで面白かった。
しかし、後半、特に映画では、のだめの視線がだんだんと千秋の方を向かなくなる。むしろ、千秋の視線がいつものだめを追いかけるぐらいだ。のだめの視線は、宙をさまよい始める。うつろで、なげやりで、よどんだ視線だ。
その理由は明らかだ。千秋ののだめへの想いは、のだめが持つピアノの才能と未来への期待にあるからだ。そのための向上心、努力、情熱を、千秋はのだめに期待する。同時に、自分自身も、一歩一歩、夢に向かって、未来に向かって前進し、成功の階段を上り始めている。
互いに高め合う愛。互いに尊敬し合う愛。千秋が求める愛の形に、のだめは応えることができない。
のだめには、野心がない。向上心もない。のだめにあるのは、千秋への一途な思いだけだ。優秀なピアニストになりたいのではない。千秋のお嫁さんになり、幼稚園の先生になりたいのだ。
のだめは、ドラマの中で、何度も言う。「どうして、私が頑張らないといけないんですか。もう十分じゃないですか。どうして楽しくピアノを弾くだけではダメなんですか。」
のだめは知っている。千秋の自分への関心は、自分のピアノの才能にあることを。のだめは、それを失うことが怖い。だから頑張ろうとするが、やっぱりできない。才能を開花させるのは、努力だ。熱意だ。野心だ。自分には、それが足りない。頑張ってもどうしようもない。
のだめは自分の気持ちのやり場を失う。千秋先輩が好きだ。とても好きだ。でも、先輩の期待には応えることができない。のだめの視線は宙をさまよい、その顔からは表情がなくなる。あれほどの笑顔を見せ続けたのだめから、一切の笑いが消えてしまう。
映画のほぼ最後のシーン、私はここが事実上のラストシーンだと思うが、二人は夕暮れの部屋で、並んだピアノに向かって演奏する。それは、昔、二人が初めて一緒に演奏した曲だ。モーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」。
二人の演奏は素晴らしい。しかし、弾き終わったのだめの表情は硬いままだ。あきらめたような弱弱しい笑顔が、のだめのせいいっぱいだ。千秋が立って、向こうを向いたまま言う。「昔と違うおまえって、どこだ?」
私は、のだめが何というのか、緊張しながら見守っていた。その時ののだめのセリフは、最近見た映画の中では最も印象に残る言葉だった。
「先輩の背中・・・とびつきたくて、ドキドキ♪これって、フォーリンラブですか?」
そうだ。それでよいのだと思った。のだめは、やっぱりのだめだ。昔と何も変わっていない。どんなに心を凍らせようとしても、千秋への愛情は何も変わらない。
千秋の期待に応えることが愛情ではない。千秋を好きだという気持ちが愛情なのだ。のだめは、最後まで自分の気持ちに素直だった。自分に無理をして千秋の気持ちを得ることを拒んだ。
そんなのだめを、千秋は抱きしめる。千秋は、初めて、ありのままののだめを受け入れる。
このブログのいろいろなところに書いているように、互いに高め合う男女の関係に、私はあこがれる。互いを尊敬しあう愛情は、理想だと思う。
しかし、それは、同時に危うさともろさを兼ね備えた愛情だ。男も、女も、一人の人間だ。尊敬できる強さや力を、いつか失うこともある。尊敬していた部分が変わっていくこともある。
尊敬を失うと、愛も消えるのか?
相手をありのままに受け入れる愛。尊敬と信頼に基づいた愛を求めることとは矛盾しているようだが、これが本当の愛だと思う。
尊敬のない愛を、求めたいとは思わない。尊敬と信頼こそが、私が人を愛するよりどころだ。しかし、尊敬から始まった愛は、最後には相手をすべてを受け入れる愛にたどり着きたい。その時には、二人の間に尊敬の対象がそこに存在しなくなっていたとしても。
素敵なレビュー、読ませていただきました。
はちゃめちゃなようでいて原作が実にしっかりしているので破綻せずにドラマが進んだ。それゆえあの最後のモーツァルトと二人の会話が光った、僕もそう思いました。
楽しい映画でしたね。