今年2021年の抱負にネオナチ、ミリシア、スキンヘッド、国粋主義、米国のヒルビリーの貧困層などの映画やドキュメンタリーなどをみたり読んだりして、政治分断の社会で相手側からの視点で物事を見てみることにする。
個人的に中道左派なので、やっはり、公民権運動や少数民族や移民の見解での方が、映画や書籍などは理解しやすいし、楽しみやすいし同意する。
今回、This is England と言って、題だけで、すでに内容が想像つくのを借りてきた。全く私の思った通り、狂いもなく、『This is England 』で、イングランド以外はお断り。
最初は千八十年代の英国のアーカイブからの抜粋ではじまる。サッチャー、フォークランド、スキンヘッド、チャールズとダイアナの結婚、、、、など、時代背景を見せてくれる。
しかし、観賞後、これは1980年代でなくても今でも当てはまる。歴史背景の大切さより、今
現在でも起きうるヒューマン物語だ。そして、国粋主義の団体に入り込んでいく若者の姿が、良く現れている映画だ。ウッディーのように『洗脳だ』といって、初めからこの団体を拒否する判断力のある力強い人もいる。
ある若者のように、団体に入って有力者レニーのスピーチを聞き、『おかしい、こんなことまともに信じてるのか?』と気づく人もいる。(人種差別者は現実主義者とナチは愛国者と言葉を変えている。それに、我々はここで生きているんだ。国が盗まれている)とか。。。
その他に、こういうお偉い人の言っていることは全てが正しいと思って、自分の意見をもっていない若者もいる。
この映画ではっきりわかる。どんな若者が国粋主義の団体に入っていくか!?
ミルキーとコンボ:
でも、ここでミルキーのような存在、どっちつかずで迷って行動している人が、標的になる。そして、ミルキーの家族の民族背景は移民でジャマイカ人で黒人だ。この映画で間違いなく、ここでコンボの標的はミルキーだった。
このシーンは私にとって圧巻だから説明する。ミルキーは自分は『イギリス人』だと皆の前で宣言した。しかし、ウッディーの説得で、重い腰をあげて、白人至上主義のコンボ(Church of Christ: 十字架の刺青を額の下に入れてる)から離れた。それなのに薬を持っていないかとか?聞かれ、コンボの仲間のところへ。
ミルキーの好きな曲とコンボの好きな曲が一致。これはミルキーのおじさんの好きな曲。このタイプの曲はイングランドに入って、スキンヘッドの曲にとコンボが。コンボはミルキーに家族のことを数々質問し、孫が多いのに驚いたり、労働者の父親が家族を支えるため、一生懸命働いていたと。コンボはミルキーの家族のことを『完全なパッケージ』だと。このへんから、コンボの様子が、契りを交わした兄弟ではなくなり『お父さんの悪かったことは何?問題は』と。ミルキーには答えがない。『完全なパッケージ』のなかのなにひとつコンボは持ち合わせていない。『貧しくても堅実に働き幸せな家庭』なんて経験したことがない。ミルキーに対する妬みがここで爆発。そして、コンボはミルキーの問題は『N... 』黒人だということだと。これが、コンボなりのただ一つの優越感なんだ。黒人は白人よりよくてはいけないという白人至上主義者の優越感。強烈なシーンだった。
ショーン:
1983年12歳の主人公ショーンは学校でいつもいじめに会う。履いているパンツが大きすぎることでもいじめの対象にてしまう。だから、転校を母に願い出るが、母親は父親は帰ってこないと言う。ここの段階で、父親は母子を置いて逃げたのかと思って見ていた。
そこで優しい声をかけられ、自分の存在を否定せず、認めてくれて、可愛がってくれるお兄さんを中心としたグループに会った。父親のことを善かれ悪しかれ言われたくない。コンボもきっとショーンのように父親との関係が薄かったと判断したから、ショーンの気持ちを察することができ、『いつでも何でも相談してくれ、失望させないから』と車の中で。この言葉に求めていた父の存在を見ることができたショーン。
イングランドはフォークランドで戦勝し、戻ってくるが、ジョーンの父親は帰ってこない。ショーンは父親の写真を見つめる。 母親とこれからもっと寄り添っていくだろう。
Saint George's Cross を海に捨てる。これはコンボからのプレセント。
蛇足
ちょっと調べて見たが、
カセットテープ・ダイアリーズ(2019年製作の映画)1987年ルートン出身16歳のジェベットとショーンは同じ世代なんだ。ルートンはロンドンの北にあるが、そこからこの映画のロットティンガムは150kmばかりもっと北に行く。おなじ、England (イングランド)になる。