縞模様のパジャマの少年 : 映画評論・批評
2009年8月4日更新
2009年8月8日より恵比寿ガーデンシネマ、角川シネマ新宿ほかにてロードショー
悲劇に投げ込まれる人間の愚かさを、少年の無邪気さ、幼さに置き換えて警告
8歳の子供の現状認識力はどの程度のものなのだろう。映画を見ている間中、それが気になった。主人公ブルーノは8歳。父親はユダヤ人収容所の所長だが、もちろん両親は仕事の内容を息子に話さない。だが学校にも行けず、友だちもいない官舎の生活に退屈しきったブルーノの視線は、遊びの対象を求めて周囲の観察をやめない。そして、立ち入りを禁止されている裏庭から森を抜けて、農場だと教えられた収容所のフェンスに辿り着き、縞模様のパジャマを着たユダヤ人少年シュムエルと友だちになるのだ。
ブルーノは子供なりに、ぎごちない大人たちの態度から秘密の匂いを嗅ぎ取っている。祖母が父の出世を喜んでいないこと。台所で働く老人が昔は医者でズボンの下から縞のパジャマが見えること。農場に近づくなと異常に神経をとがらせる母が、いつしか父と喧嘩ばかりしてふさぎ込んでしまったこと。だが友だちが出来た嬉しさでブルーノはこれらの疑問について考えることをやめてしまう。そして彼のこの無邪気さが、漠然とした不安となって映画を覆っていく。ユダヤ人でもなく、後に戦争責任を追及される大人でもないブルーノは、言ってみればこの映画の登場人物の中で一番安全に守られた存在のはず。それなのになぜこれほどに不安で緊張するのか。それは、ブルーノの中に真実を直視しようとしない一般大衆、即ち自分を見たからかもしれない。直接禍が及ばないかぎり、真実に蓋をして問題を先送りし、結局は取り返しのつかない悲劇に投げ込まれる人間の愚かさを、8歳の少年の無邪気さ、幼さに置き換えて警告している。皮肉なタイトル共々、怖い映画だ。
(森山京子)