私の中のあなたのレビュー・感想・評価
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重病の姉への臓器提供を目的に生まれた(生まれさせられた)妹が親を訴...
重病の姉への臓器提供を目的に生まれた(生まれさせられた)妹が親を訴える、自分の為に。なるほど、さもありなん、重いテーマだ。そう思った。しかし、もっともっと深かった。どこか、どんでん返しを喰らったような気分だ。参った。見る価値大いにあり。ハンカチを忘れずに。
おしゃまなおチビさんが素晴らしい。この姉妹、ダコタとエルのファニング姉妹が予定されていたよう。見たかった気もするが、負けてないぞ。兄もなかなか。
キャメロンが衝撃の丸刈りでラブコメからの脱皮を狙う。でもやっぱり少し違うかな(笑)うそ、良かったです。
J:COM吹替版鑑賞。字幕で見たかった。
【重い病を抱える人々と彼らを支える人々には平伏するしかないという当たり前の事を強く再認識させてくれた作品。家族一人ひとりの”様々な葛藤”もきちんと描いた作品でもある。】
ー哀しくも、美しい素晴らしき作品である。”生”の素晴らしさを見事に表現しているし、家族の結びつきの描き方も、素晴らしい。-
■不治の病を患っている長女ケイトの家族、フィッツジェラルド家の人々
・母、サラ(キャメロン・ディアス:あのシーンにはビックリしたし、不覚にも・・。)
・父、ブライアン(ジェイソン・パトリック:心優しき消防士)
・兄、ジェシー(エヴァン・エリンソン:幼いころ、失語症に・・)
そして、
・二女、アナ(アビゲイル・ブレスリン:ケイトの”ドナーの子”として、誕生。臍帯血を姉の治療に使った事を始めとして、数々の治療に”関わる”。
そして、”勝率90%”の弁護士、アレクサンダー(アレック・ボールドウィン)”を訪ね、裁判を起こす。
ー物語は、ケイトの病状の様子を過去、現在を行き来しながら、取り巻く家族の姿も効果的に描かれつつ、進む。ー
<以下、少しネタバレあります・・>
■沁みたシーンは数々あれど・・
1.病が進み、自分を責めるケイトの姿。(何にも悪くないのに・・)
・ジェシーは両親から構って貰えず、失語症に・・。
・パパはママを失った・・。(娘の病状を巡って諍いが絶えない)
・ママは全てを失った・・。(弁護士を辞め、看病に徹する)
2.アナが裁判を起こした後、12歳の娘を飲酒運転の車により失った女性判事とアナの会話。アナから娘を亡くした時の事を聞かれ・・。
ーアナはある事を確かめたかったのだ・・、と後半気付く。-
3.同じ病を抱えるテイラー(トーマス・デッカー)とケイトの恋のシーン
・”抗ガン剤の味がする”キス
・一緒にダンスパーティーに行く事になり、盛装をして待つテイラーの前に現れた階段を下りて来る”美しき”ケイトの姿。幸せそうな家族。父のもとに来て、”大好き”と囁くケイト。
4.サラの大反対の中、ケイトを含め家族をビーチに連れて行くブライアン。そして、後から来たサラは嬉しそうな家族の姿を見て、優しく夫に唇を寄せる。
ーブライアン、家族が揃った最後の思い出を作りたかったんだよね。-
5.ケイトの”ドナーの子”である、アナが裁判を起こした”真意”が分かるシーン。
ーここは、本当に参った・・。涙腺が・・。-
アレクサンダー弁護士がこの無謀ともいえる裁判を引き受けた理由も明確になる・・。
それは、自らの病とともに、アナに対し”君の勝訴だ!”と書類を渡すシーンで、
ー彼こそが”アナの苦しみを理解し、アナのために戦ってきた”事が良く分かるからである。ー
アレクサンダーの言葉に答えるアナの”勝率90%だもんね!”という言葉も良い。
<ケイトがサラに渡した”わたしのすべて”ノート。そこには、家族との多くの写真とコメントと共に、”病気の私を守る天使”の言葉が・・。>
■家族が、新しい一歩を踏み出すシーンを映し出したラストも素晴らしい。
<ケイトこそ、フィッツジェラルド家の天使だったのだ。そして、彼女を健気に正に体を張って支えたアナを始めとしたケイトを支えた多くの人達も皆、天使だったのだ・・、と感じた素晴らしき作品。>
こんな鬼畜の母親に感動するわけにはいかないのだよ
白血病の姉のドナーとなるべく遺伝子操作で誕生した妹、腎臓移植を拒否する訴訟提起から物語は始まる。
途中から、単なる難病ものに変わってしまうのだが、本当ならこんな境遇にある妹の存在は地獄でしかないと、私は思う。
そして、このような恐ろしいことを考え実行する両親を人でなしの悪魔としか考えられない。
ヒューマンドラマとして、皆さん、評価され感動されていますが、私としては、どうかしてるぜ、と驚愕する次第です。
死にたい姉が、妹を教唆して、拒否させるとか、感動もののつじつま合わせは、空想の世界でしかありえないと思います。
それぞれに違う方向を向いて 悲しさ寂しさを抱えていても ただ家族が...
それぞれに違う方向を向いて
悲しさ寂しさを抱えていても
ただ家族が大好きで大切なだけで
その元にあるのも行き着く先も同じ愛情なんだろうな
何かを失って、何かを犠牲にして
心を鬼にしてでも大切にしたい存在があること
早くに気づいてうんとうんと大切にするんだった
私にも素晴らしい母親がいた
素晴らしい家族の時間があった
今もずっとその事実が原動力となって
時に悲しみの源となって
残された家族は生きています
母親も待っていてくれると信じているし
いつもどこか近くにいるんじゃないかなと思っています
素敵な映画、観ることが出来てよかった
白血病の姉・ケイトを救うために、ドナーとして作られて産まれた11歳...
白血病の姉・ケイトを救うために、ドナーとして作られて産まれた11歳の妹アナは、ある日突然、「自分の体のことは自分で決める」と臓器提供を強いる両親を相手に訴訟を起こすが、その裏にはある思いが隠されていた……。
泣ける
最終的には死ぬけど、それまでの過程の描き方がよかった。
それぞれの視点からストーリーが描かれる感じ。
途中は泣けるけど、ラストは泣けない。
無理やり泣かせるラストではなく、ほっとしたラスト。
それが逆によかったと思う。
アナの味方はレビューにも一人も居なくて泣いた
弁護士がアナの味方は居ないんですかと聞くほど、本当に劇中にアナの味方は居ないまま始まり居ないまま終わるが、レビューでも同じ現象が起こっていて絶句した。
母親のアナへの鬼畜サイコパス鬼虐待っぷりが凄すぎていっそ清々しい。ジェシーにもネグレクトをこいているが、試験管ベビーとはいえ自分で産んでるアナを全く娘と思っていないところがすごい。
徹底的にアナをケイトの為の臓器パーツとしか思っていなすぎて、最後まで初志貫徹で一切改心せず、ケイトが亡くなったら私には子供は居なくなったから働きますと…。異次元レベルの虐待だと思ったし、そもそもこれは「誰も知らない」のような、観客に嫌悪感を感じさせ考えさせたい映画なのだと信じて疑わなかった。
フィクションの人物であるこの映画の母親について、明確な殺意を覚えた程なので、狙い通り良く出来ているなと思ったのだが…
「この映画で言いたいことはアナが娘として扱われていないことではない」「家族の愛に感動」
そういった感想しか出てこないということは、
ケイトのことさえ愛していればいい、そもそもアナは家族ではないというあの母親と同じ考えの人が多いということだ。
ケイトが生きることを望んでいたら、アナはケイトの為に当然犠牲になるべきと考えているからこそ感動できる。
劇中母親は一切アナを娘として扱わない。ケイトの病室では親戚の目もあるからかアナと隣に座っていたが、若干体を背ける徹底っぷり。ケイト亡き後も母娘とは思えないほど離れて座るアナと母親。
初志貫徹アナに対して一切の謝罪も罪悪感もなく、故意に母親をそういう異常者に描いていると思ったのだが、誰もそう感じなかったようだ…
父親は傍観することで虐待に荷担しており、ジェシーは彼自身も被害者であるものの、ケイトが死にたいと望んだからアナに協力したのであり、もしケイトが生きたいと望んだら父親同様傍観するのだろう。
実はケイトが死にたいと望んだから、ということこそどうでもいい。この映画に家族愛を感じることはアナは家族ではないことを認めることになる。
どうか制作者の意図は「劇中誰もアナを家族ではないと思っていることで観客に考えさせたい」であると願いたい。
そうでなければ怖すぎる。
命、体って誰のもの? 愛であれば何でも許されるのか?
号泣を通り越して爆泣。とにかく泣ける。でも、心のどこかで泣ければいいのかと警鐘がなる。
そんな複雑な感情を醸し出す映画。
お涙頂戴でいいのか?
家族愛を描いた映画。
温かさに包まれながらも、心に棘が刺さったよう。
知人を思い出した。
自分が産まれる前に亡くなった姉の生まれ変わりだと言われて育った。「姉が亡くなったからお前を産んだのよ、お前は姉の生まれ変わりよ」と、知人の母は愛情込めて繰り返しささやき、知人を細心の注意をもって大切に育てたらしい。
「私は誰?死んだ姉?それとも…。姉が生きていたらこの世に存在しなかったの?」と自分の存在を感じられないで苦しんでいた。
確かにそこに命を救う手だてがあるのならこうじたい。それが子どもの命ならなおさら。それは理解できる。きっと私も縋りつきそうになるだろう。
けどね。
妹の行動。実は裏で糸引いていたのは…。
そこには、確実に”愛”があるけれど、一歩間違えば、妹は非難の対象だ。しかも「姉を見捨てた、姉殺し」。ちょっと間違えれば、この家族の関係は地獄となる。
裁判の力を借りなければ言えない本音。家族ならではの思いやり?
保護者の期待に添おうと、自分を押し殺して自分の本当の気持ちを誤魔化し、ついには自分自身の心に嘘ついて、かん黙になる人々、自分の本音がわからなくなり、鬱になる人々を思い出してしまった。
「あなたの為」「家族の為」その思いこみが、守りたかった人を追いつめる。
そんなきわどいテーマ。そこを家族愛の物語に変えてしまう演出。
映画を観てラストの展開にほっこりしつつ、このテーマをこんな風に料理していいのかと、上記の知人達を思い出しながら思う。
甘味料に包まれた毒素。
鬼子母神のような母の想いに労をねぎらうことが中心テーマだったのだろうか。
短いけれど精一杯生きた娘の生を賛美したかったのだろうか。
だったらドナーベイビーを安直に使わず、別の描き方をしてほしかった。
センセーショナルな部分で人をひきつけることだけを狙ったプロット?
もっとドナーベイビ―というテーマに真摯に取り組んで欲しかった。
(原作は違う展開になるらしい。未読ではあるが、”ドナー”ということを考えさせる展開らしい)
改めて、私は私で存在したいし、誰かからも「私」という人間を認めてもらいたい。そう思った。
判事と弁護士の振る舞いがせめてもの救いだ。
家族を思い合う家族の話
子どもは思ってるより、大人だし、大人は思ってるより子どもかもしれない。家族を思い合う家族の気持ちのズレと、それが重なり合ってくるストーリー。泣かされました。好きです。
でも、なぜあの時、病気のお姉さんは「ビーチに行きたい」といったのか、なぜビーチなのか、そして、なぜ、最後はオレゴンなのか。という謎が残る。
蟹座の癌患者
家族の亀裂だと思っていたことが実はホントの家族愛の結論だった。この5人家族は皆それぞれ愛おしい。
母を訴える娘アナ。有能な弁護士まで雇って訴訟を起こす彼女の動機は何だったのか。
訴えられる母サラ。裁判に持ち込んでまでも娘を退けようとする彼女の源は。
父ブライアン、兄ジェシーは彼女たちの「争い」を傍観しながら、実はその本音を一番よく知る少数派男子。
そして白血病患者ケイト。母も妹も大好き。なのに裁判している。でも大丈夫、みんな大丈夫。私は女の子、お化粧したいし彼氏も欲しい。でもいつも一緒にいたのは家族。
邦画「くちびるに歌を(2015)」で、合唱部でソプラノを担当する男子の手紙を思いだした。「兄がいたから僕もいる」あの兄弟よりもダイレクトに支え合う兄弟、ケイトとアナ偶にジェシーの献身さに涙するでしょう。
一番泣けたのは、ケイトがあるパーティーに行く前におしゃれするシーン。母や伯母がケイトの写真を撮りまくる所で、これが彼女の最期のおめかしなのかなと思うと、涙腺ダムが決壊しました。
久々に観たCディアスの力強い母親に感動。アナ役のAブレスリンとか、こんなすごい子役居るのに他もすごいのいるなぁという、アメリカ子役界の層の厚さを知った。
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