グラン・トリノのレビュー・感想・評価
全251件中、101~120件目を表示
古き良きホワイトの生き様。と死に際。
頑固で老害なウォルトが、隣人タオとその家族のイザコザへ巻き込まれていくストーリー。
その中でもウォルト一家の息子たちとも家庭を巡り不仲になる中、奇しくもヴィンテージカーのグラン・トリノを盗もうとしたタオ家に本当の家族の居心地の良さを感じる。
そして、チャイニーズヤンキーのヤバさや、戦争上がりの老人のヤバさ、強さを垣間見た。力強さと言うのかな。
最後のウォルトの死に際は、男として天晴れで、やったらやり返される世界で、映画を観ている終盤で、これは誰が悪くて何をすればハッピーエンドなのか疑問に思っていたが、手ぶらで向かう潔さは、素晴らしく漢。
その死に際がカッコいいから、クリントイーストウッドはカッコいいんだよな。
心に響かず。
なんでだろう。感動はしなかった。深いことはやっているのに、きっとジジイにも少年にも感情移入出来なかったのだと思う。少年は平凡でつまらないキャラクターだったし、少年の姉もそうだ。つーか、敵役がアジア人って言うのがつまらない。白人でいいじゃん。白人を悪者にしたくないのかな。ストーリーも平坦でひねりがない。
古いアメリカ白人のジジイは孤立している。周りの住人はアジア人が増え、息子は日本車を乗っている。グラン・トリノが彼の象徴のような存在だ。朝鮮戦争で多くのアジア人を殺したはずのジジイは自身の白人家族より隣人のアジア人家族の方を大切に思うようになる。これはなんとも言えない感情にさせる。
【ネタバレ】必要に迫られたとき、自分ならどんな判断をするか?
初クリント・イーストウッド作品!
俳優としてだけではなく、監督としても名高いものの
SF好きの自分としては中々手が出なかったジャンル。
Amazonプライムのおすすめ映画サイトの上位に
紹介されていたので視聴してみた。
朝鮮戦争に出兵したクリント・イーストウッド演じる
ウォルト・コワルスキーは、
妻に先立たれ老後の人生を静かに送っていた。
ある日、隣にモン族の家族が移り住んできた。
長男タオは従兄弟のチンピラから
自分たちの仲間になるよう強要される。
真面目なタオは拒否しながらも断りきれず
ウォルトの愛車グラン・トリノを
夜な夜な盗難するよう命令される。
後日タオは謝罪のためウォルトの仕事を手伝いたいと願い出る。
この交流をきっかけにタオ・姉スーとの、親子のような絆、友情が生まれていく。
その一方でチンピラからの勧誘はエスカレートし嫌がらせが脅迫へと変わっていった。
スーがチンピラたちに拉致され
目も当てられない姿で戻ってくる。
ウォルトは復讐のためチンピラたちのアジトへ向かう……。
というお話。
この映画は「生きる」「死ぬ」、命を「救う」「奪う」など
「生」と「死」の価値観をテーマに描かれていると思った。
ストーリーの前半で神父が
「死はほろ苦い。悲しみはつらいが、魂の救いは癒し」と
「生」と「死」の価値観を言い表した。
それに対してウォルトは
「生と死を朝鮮で3年間見てきた。
人を撃ち、銃剣で刺し殺し、17歳の子をシャベルで殴り殺した。
一生頭に焼き付いているおぞましい記憶。
生とは、戦争から生還して家庭を持ったこと」と
全く違う考えを示した。
さらに「上官に命令されず自分の判断でやってしまったのが恐ろしい」とも。
ウォルトはその場を解決するときに「死」を選択してきたのだ。
その価値観は老後も変わることはなかった。
黒人に絡まれたスーを助けるとき、拳銃を突き付け半ば脅していたし、
タオたちに関わるチンピラの一人を脅した時も、
殴り倒し、やはり拳銃を突き付けた。
そんなウォルトがスーの復讐をするときには
丸腰でアジトへ向かった。
これは実に興味深いことだと思う。
それだけモン族との交流を通して
心が揺れ動いたということではないだろうか。
ウォルトにとってモン族はかけがえのない存在になったのだ。
人間ってこうも変われるんだと思った。
この映画はウォルトの心の変化を丁寧に表現していた。
しかし、結果的に復讐は果たせずウォルトは殺されてしまう。
もし、心境が変化する前のウォルトなら、死なずに復讐を遂げていたように思う。
「生」と「死」。どちらを選ぶべきだったのか。
答えは明白だ。「生」だ。
しかしウォルトは死んでしまった。
この結末が見ている人たちに「生」と「死」を考えさせるのだ。
訴えかけ、考えさせる。
映画の在り方そのものだと思った。
馬鹿ギャング
『グラン・トリノ』(2008)
吉田照美さんが刺激を受けた映画だと幾つかのメディアで語っていた映画である。クリントイーストウッド演ずる老人の妻の葬儀の場面から始まる。息子2人のひそひそ話があるが、老人一人になって誰が面倒をみるかという話もあるが、孫娘が今どきの派手な女性で、老人は孫娘の葬儀での服装などにしかめ面をする。息子が、老人は1950年代のセンスだからだという。女性には落ち着いた服装であってほしいなどのセンスを言っているようだ。硬派な頑固者である。朝鮮戦争に出て勲章をもらっているらしい。息子が日本車を乗っていると、アメリカの車が乗れんのかと文句を言う。亡き妻が熱心に通っていた若き神父と老人の確執まではいかないが、老人からの関与否定の場面があり、よくわからないが、並行して荒っぽい中国系らしい人達が出て来る。老人と隣人なのだった。タイトルはアメリカ車の名前か。若い神父が老人の亡き妻に頼まれたというのでしつこく老人にやってきて、「生と死」とは何かと老人に問う。挑戦で10代の子供たちをしゃべるで殴り殺したり、銃剣で突いたりと神父に老人は言う。「生よりも死にずっと詳しいようですね」と神父が言う。「そうかも知れない」と老人は答える。隣人の中国系若者がグラン・トリノのある倉庫に侵入していたのを老人が発見し、銃口を若者に向けるが、転んでしまい、若者が逃げる。若者は仲間に入りたくないのだが、いとこが強く荒くれ者のグループに入れようとして、それで倉庫に忍び込んだのだ。荒くれ者たちもきて騒いでいると、老人が銃口を突きつける。「朝鮮ではお前らみたいなのを」と脅した。「覚えてろ」と荒くれ者たちは逃げるが、若者の姉には「ありがとう」と言われる。翌朝、隣人の中国系が大量の食べ物などを贈り物するがすごい量で、老人は迷惑がるが、隣人は感謝している。老人はただ自分の芝生に来た奴らを追い出したいだけだったと言う。テレビ録画なのでコマーシャルの後で、老人は床屋にいる。床屋とはかなり親しい悪口の言い合い。偏屈じじいといってまたこいよ。黒人の荒くれ者たちが隣人の中国系お姉さんに絡む。それを老人が通りかかる。揉めているところに老人が割込み、「黒いの。何してるんだ」と老人が言う。「じじい」と黒人たちが言う。老人が車から降り、唾を吐き、いかれてんのかと黒人たちは言うが、また銃を若者たちに向ける。若い女をトラックに乗せる。若い女と一緒にいた白人男には、「情けない奴だ。黒人たちなんかと一緒にいたくないだろ」と捨て台詞を吐く。この老人、人種差別だらけだが、心はある人なんだと感じるシーンが続く。隣人のアジア人女性をこうして守っている。倉庫に侵入したのが弟なのである。息子たちが老人の誕生日に新たな住宅をすすめると老人は怒って追い返してしまう。文句を言う息子夫婦。その後、隣人の中国系娘も強い女だが、老人とウマが合うらしい。娘が誘って隣家のパーティーに行く。クリント・イーストウッドもかなりの老齢になっているのだが、なんだか偏屈さがかっこいい。コマーシャルが入り、娘に連れられて老人は隣家の中に入るが、隣家の人達は冷たい目で老人をみる。モン族という習性で、目を合わせるのは失礼だと思ったり、子供の頭をなでたりすると、神が頭に宿るので怒るとか。文化ギャップが示される。そこでシャーマンにきつい見立てをされ、そこで老人は少量の血を吐いてしまう。娘が心配する。けっこう夫人たちと和んで来る。一緒に大量のごちそうを食べる。娘が連れ出す。さらにギャップのある、若者たちの部屋だった。どういう意図か。やがて若者たちが部屋から出ていき、弟と二人きりになる。そこで青春教育のような話を弟に与えて出て行く。俺は最低だが妻は最高で、お前(弟)がへっぴり野郎だから、美女が出ていってしまいアホ男たちがついていってしまった」みたいなことを言った。伝統的な中国系族の償いのために、弟を老人の家の手伝いに通わせるという。承諾せざるを得なくなり、やれやれモン族の女たちがこんなに強情だとはとつぶやく。弟にリフォームなど言いつける。
弟は黙々とやり続ける。雨の中でも。老人はそれを見続ける。老人はまた血を吐いてしまう。そして弟の手伝い最後の日になる。今日はなんにもしなくていいから帰れというが、双方さみしそうだった。老人は病院で検査を受ける。息子に電話をかけるが、老人は病気のことを伝えられず、息子も少し変に思う。弟は老人の工具に関心し、老人に愛着を持ち始める。そこでまた老人が血を吐く。弟が心配する。モン族のギャングたちの仲間に入れと言われてグラン・トリノを盗もうとしたのだと弟は老人に説明する。コマーシャルが入って、文句を言いあいながらも、老人と少年には友情な感じが出ていた。老人と姉弟との交流がちょっと泣けてくる。兵士の後、老人はフォード自動車で働き、その息子は日本車を売りまくっているらしい。老人は少年を悪口言い合いの床屋に連れ出したり、建築現場の仕事を紹介する。月曜から少年は建築現場に出られることになる。老人は少年と一緒に工具屋に行き、工具を選んでやる。少年はありがとうと言い、握手する。コマーシャル後、少年が建築現場に行った帰りに、モン族のギャングたちに絡まれる。一人はいとこだというのに、少年を集団でいじめる。タバコを少年の頬につけたりする。工具も壊された。2日後に老人が少年の頬をみる。少年はギャングたちに何もするなと言う。後に老人はギャングの一人に蹴る殴るの暴行を加え、少年に近づくなと拳銃を向ける。少年がデートに成功すると、グラン・トリノを貸してやると老人は約束する。その夜、老人の住宅に銃弾?が大量に打ち込まれ、隣家に行くと、少年は暴行されていて、姉が連れ去られた?姉が顔面もボコボコにされ放心状態で帰ってきた。泣く家族。茫然とする老人。「こんな、まさか」。発端を起こしてしまった自分を責める老人。
若い神父が老人宅にやってきて、神父は私だったら、まずあなたと話し合います。私もあなたほど親しくはないが頭に来ています。一緒にビールを飲む。そして、何か考えて、なの連中を許さんと
老人は神父に語る。苗字にさん付けにしないと怒っていた老人が神父に、名前の愛称で呼べと逆転していた。コマーシャル後、あいつらを滅茶苦茶にするという少年に、老人は落ち着け、ミスは許されない。おとなしくして夕方の4時に来いという。お前は戦いを何もしらん。4時にまた来いと言う。老人は風呂に入り、床屋に行く。なんらかの覚悟か。洋品店に行き、スーツを着る。教会に行き、若い神父の前に行き、懺悔をしに来たという。「最後に懺悔したのはいつですか」「罪を犯した」幾つかの告白をする。「そして最後だが、二人の息子とはうまく付き合えなかった。どうしていいかうまくわからなくて」。「姉のための復讐をするのですか。馬鹿なことはしないで、心穏やかに。」「穏やかだよ」「何をする気だ」と心配する神父。4時に少年がやってきた。シルバースターという勲章を少年に渡す老人。「奴ら全員殺す」と少年は言うが、バカな真似はよせと老人は言う。
老人は朝鮮では少年を13人殺したのだという。そして、少年を家から出せなくしてしまう。「俺の手は既に汚れている。だから俺は一人で行く。お前は誇らしい人間だ。人なんか殺すな」出せとわめく少年。愛犬を隣のばあさんに渡す。言葉が通じない。寝ている姉に電話して地下室に弟がいるからよろしくと言う。神父が警察に流血の事態になるからいてくれと言うが、警察は神父をパトカーに乗せてしまう。姉が弟を出してやる。夜。老人はギャングの集いの場に一人でやってくる。ギャングたちが出てくる。銃口をギャングが向ける。「さあ、撃て」。近所の住民も出て来る。銃口をいくつも向けるギャングたち。手でパンといい、老人は火があるかという。タバコを吸い、何かに手をやる。とうとう、ギャングたちが何十発も老人を射撃し、老人は倒れる。出したのは勲章だった。キリストのように両手を広げて死んだ。ギャングたち誰も殺さずに。警察に捕まるギャングたち。少年とにらみ合う。(映画を超えて現実的に思うと、長期入所してから出所したギャングたちは更生できるのだろうか、また姉弟を襲わないかと言う懸念が残ってしまうが)胸には老人の与えた勲章があった。教会での葬儀で神父は老人との思い出を話し、親族の前で遺言が読み上げられる。自宅は教会に寄付し、グラン・トリノは少年に渡すと。
不良どもが憎い
格好良いおじいさん。
193㎝の体格で、恐らく170㎝もないであろう不良に
「チビのチンピラに用はない」
どっと肩を落とした。
ですよねーみたいな。
...
車へのこだわりと自身への決着。
格好良かった。
けど。
不良は一体何年刑務所に入れられるんだろ。汗
出所した途端にどうの、ってのを真っ先に(視聴後)調べてしまった。
なんか不良への怒りがやばくて星が減った。。
生涯忘れられない作品
クリントイーストウッドの作品の中で一番好きです。
脚本が素晴らしい。全ての台詞に無駄がない奇跡の作品とすら思っている。
最後の主人公の選択に深く深く考えさせられる。
きっとこれからも人生の節目で何度も見たくなる映画だと思う。
偏屈で
不器用な老人の生き様と、隣に住むモン族の姉弟のふれ合いをイーストウッドが熱演。
歳を重ね本当に老人となったイーストウッドだが、眼にはまだまだパワーを感じる!
そして、本当に渋いオーラを醸し出している。
グラン・トリノが又、良い味出してかっこよすぎる!
見ずには死ねない名作です。 妻に先立たれた孤独で怒りっぽい頑固老人...
見ずには死ねない名作です。
妻に先立たれた孤独で怒りっぽい頑固老人。年取るとそうなるんですかね、最近私もすぐキレてしまいます。
そんな頑固老人が隣家の東洋人姉弟との交流を通して、本当の家族のようになっていく。
書いてしまうとそれだけなのだが、一つ一つの過程に重みと面白味があって、実に深い。
そしてラスト…それもまた重い、深い。
見終えた後のなんとも言えない余韻。
イーストウッドのすごさよ。彼の偉大さをまたも見せつけられた衝撃作であった。
全251件中、101~120件目を表示