マイマイ新子と千年の魔法のレビュー・感想・評価
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“昭和”に懐かしさを感じる世代にこそ
自ブログより抜粋で。
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とりあえず導入部からして、予告編から感じていたイメージと少々違う。
まずは、のどかな田園風景を舞台にし、ノスタルジックな昭和の風情満載の映画でありながら、絶え間なく流れる軽快なスキャットのBGMが予想の斜め上をいくのだが、これが見事にはまっている。
さらに、表向きのストーリーと併行して描かれる新子が思いをめぐらす千年の時を越えた世界に、「そういう映画だったの!?」と面食らった。
この子どもらしいイマジネーションの映像化に、宮崎駿監督の名作アニメ『となりのトトロ』(1988年)を思い出した。
この映画にはトトロや“まっくろくろすけ”のような空想上の生き物は登場しないが、ここに描かれるファンタジックな世界観はまぎれもなく「子どもにだけ見えている世界」だ。
(中略)
昭和30年代というと筆者はまだ産まれていないので、蒸気機関車や氷で冷やす冷蔵庫などはさすがに知らない世代なんだが、ポン菓子やビー玉は経験しているし、どろんこになっての水遊びも当然やっている。道ばたの野草を引っこ抜いて、かじったりもしたっけ。
同級生が持ってくるやたら色数の多い色鉛筆がうらやましかったり、実家が平屋だったので友だちの家の階段が珍しかった記憶も蘇った。
そういった芸の細かい時代を感じさせるエピソードに思わず笑みがこぼれて嬉しくなるのだが、ほんの数十年前の幼少期に思いをはせて懐かしさに胸が熱くなるのは、自分が歳を取って平凡な大人に落ち着いた証だろう。
しかし、たかだか9歳の新子たちは“自分の人生”なんていう、ちっぽけな器に収まってなんていない。
その思いは時を越えて、思いもよらないつながりで千年越しの魔法を解き放つ。
この映画は、伝承の媒体は子どもたちであることを描いている。
おじいちゃんから新子へ、そして新子から貴伊子へ。親から子へ、子から孫へ。
そういった伝承はさりげない日常の中で交わされるものだが、その積み重ねがついには千年の時を越える奇跡となるのだ。
しかし現代、伝承は引き継がれているだろうか。
この映画は数十年前を舞台とし、その時代からなんと千年も前の平安時代とをつなげてみせた。
そして千年前の人々は、さらに太古の時代とのつながりを言及しているというのに、今はどうか。たった数十年前のことすら忘却の彼方に追いやっていないか。
映画のクライマックス、残酷な現実を知り、大人の世界を垣間見た新子は、将来の子どもたちに“伝える”ことを約束する。
しかし、その前にもっと遊ぼう、もう少し子どもでいようとも宣言する。
そう、時代はまもなく高度成長期を迎え、子どもが子どもらしくいられなくなる時代が来ようとしているのだ。
「子どもは遊ぶのが仕事」と言われた時代はいつ終わったのか。
「うちらの明日の約束を返して!」との叫びは、子どもがさっさと大人にならなくてはならない、伝えるべきことが伝わらない現代にこそ向けられている。
魔法もなければワープもしない退屈なストーリー。ノスタルジーに癒されたい人むきの作品です。
舞台は、昭和30年の山口県防府市。これは原作者が年少期の思い出を綴ったものです。 『千年の魔法』は、アニメ版に付加されたタイトルでして、これが本作に過大な期待を寄せる元になってしまっています。
実は魔法と言っても、主人公の新子が空想で思い込んで、1000年前の防府つまりかつての周防国国府の宮中でどんなことが起きたか勝手に空想しているのに過ぎません。それは新子のトレードマークとなっている「マイマイ」と名付けたおでこの逆立つ前髪が風でなびくとき、1000年前の国府にワープするものと、新子が勝手に解釈しているのに過ぎませんでした。
だから、宮崎駿作品のように、ワープもしなければ、新子の実生活にも全く干渉しません。ただただ新子の実生活の体験をベースに、1000年前の国府に暮らすお姫様の日常を空想しているのに過ぎないのです。
大きな事件と言ったら、遊び仲間でいつも木刀を持った勇ましいタツヨシの父親が自殺してしまい、その原因となった街のスナックへ新子とタツヨシが乗り込んでいくというもの。これもあっけらかんとしていて、拍子抜け。
その他のエピソードも、新子と遊び仲間の日常を綴っただけのもの。原作が自叙伝的小説なので仕方ありませんが、アニメにするならもう少し不可思議な要素が欲しかったです。
でもそこはマッドハウス作品。映像はすこぶる美しいのです。広がる青い麦畑に浮かんだ新子の家は、本人が語るように大きな木船のようです。そしてのどかな田園風景に癒されます。清らかな用水路上に、新子のお爺ちゃんが造ってくれた木製のハンモックは、とても気持ちよさそう(#^.^#)
そしてラスト近くの、天の川に照らされて、新子とタツヨシが家路に着く夜景のシーンは、さすがマッドハウスだ!と惚れ惚れする仕上がりでした。
東京から埋立地の紡績会社の社宅に引っ越して来た。工場医の娘貴伊子と新子の友情はちょっといい感じでした。
都会から移り住んだだけに、田舎の子供たちと貴伊子は馴染めずにいました。おまけに母親と死別してしまい、深くこころを閉ざしていたのです。
そんな貴伊子に新子は積極的に近づいていき、孤独を癒すのでした。
ストーリーとしては悪くないので 実写で芸達者な子役を投入して製作したほうがよかったかも知れません。
「時をかける少女」「サマー・ウォーズ」に次ぐ傑作アニメ!
直木賞作家・高樹のぶ子さんの自伝的小説をアニメ化した作品。
山口県防府市に住む小学生・新子は、明るく元気でとても空想好きな女の子。
生え際につむじ(マイマイ)があり、前髪がピンッと跳ね上がっているのが悩み。
新子には元教師だった祖父がおり、祖父から昔話を聞いては、空想をして遊んでいる。
ある日、新子が通う小学校に転校生・貴井子がやってくる。
全く笑顔を見せない貴井子を新子は何とか笑わせようとする。
「青い麦の海」に貴井子を連れ出す新子、それをきっかけに次第に打ち解けていく二人。
学校の先生から聞いた、千年前にこの辺りに住んでいたという「諾子」(後の清少納言)というお姫様に思いを馳せる二人。
同じ年ぐらいの友達が居ない諾子の寂しさと、新子と貴井子の思いが呼び合うようにリンクしていくエピソードがとても良かったです。
クラスメイトと一緒に川をせき止めて作った池にある日金魚が紛れ込む。
「ひづる」と名づけ、皆で可愛がるが、あるきっかけで死んでしまう・・・。
また笑顔を見せなくなる貴井子・・・。
「明日も笑顔で遊ぼうね」という約束を交わした晩に起こったクラスメイトの少年の父親の自殺というショッキングな出来事、シビアな大人の事情に巻き込まれていく新子達。
新子と少年が父親が自殺したきっかけを作った「金髪の女」に会いに、歓楽街に向かうエピソード辺りから私はずっと泣きっぱなしでした。
ポスターを見る限り、子供向けな印象でしたが、どちらかと言えば大人の方がグッと来る内容かもしれません。
とにかく登場するキャラクターがとても生き生きとしていて、とても魅力的でした。
子供ならではの純粋さが瑞々しく描かれていて、感動しました。
新子の声を担当した福田麻由子ちゃんを初め、どのキャラクターの配役もぴったりハマっていて、とても良かったです。
コトリンゴが歌う主題歌も映画にとても合っていて、映画と共に心に残りました。
片淵監督自ら山口県防府市に出向き、当時の地図を手に入れ徹底的にロケハンをしたそうで、それがとても映画の中に生かされていました。
長閑で美しい防府市の風景に惹き込まれました。
映画に出てくる「青い麦の海」は、残念ながら現在では住宅地になっていて見れなかったそうで、その部分はあくまでも監督の想像だそうです。
試写会を開く度に「良い映画だと思うけど、一体どうやって宣伝していくの?」と言われると、上映後のトークショーで片淵監督も話されていましたが、派手さは無く、どちらかと言えば地味な作品で「サマーウォーズ」のように日テレがバックに付いている訳でもないので、ヒットは難しいのかもしれませんが、一人でも多くの人に観て欲しい傑作アニメです。
この映画の素晴らしさを文字で書くのはとても難しいです。
とにかく観て欲しいです!
懐かしくて切なくて暖かい、何とも言えない余韻が残る映画です。
それにしても「時をかける少女」といい「サマーウォーズ」といい、そして今回のこの作品といい、マッドハウスが作るアニメはとてもクオリティが高いですね。
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