ノルウェイの森のレビュー・感想・評価
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ノルウェイの森を観て
日本の森
原作は読んでません。
『ノルウエィの森』が話題だった頃はまだ中学生。
タイトルだけは覚えている。
あとは知らないことだらけ。
事前情報は「ちまたで話題の映画」ということだけ。
なんの先入観も期待も抱かず
ただ単に映画という娯楽を楽しみに一人で観に行きました。
平日の午前10時半。
客はまばら。
主婦仲間、女子高生仲間、
おじいさんにおばあさん。
カップルは年配層がチラホラ。
いい感じである。
まったく感動、共感が感じられなかった。
終始けだるい空気。
後半はホラー映画かと思った。
結局オンナゴコロを理解するのは
難しくて時間がかかって
オトコはいつも後悔してるということなのか?
なんだろ…この感覚。
知らないとはいえ
この時代の空気感が伝わらない。
学生紛争を横目で見る無気力な若者。
政治や権力よりも女、彼女のことで頭はいっぱい。
みたいな感じなのか。
今と変わらない。
この時代ならではの何かが欲しかった。
感情移入ができない。
主要人物の顔がみんな白くて無機質なせいもある。
美しいかもしれないが普通ではない。
なかでも菊池凛子は配役に無理がある。
20代には見えない。話し方も声も。
違和感を感じた。
演技力はさすがですが。
水原希子は唯一若者を感じさせてくれた人物。
いつも突然現れ、思わせぶりな表現。
苦手なタイプだが気になる子。
こんな感じの子いる。
それは良しとしても
何を伝えたかったのか。
何を感じ取ればよいのか。
この題材自体がもう時代遅れなのでは?
いや違う。
自分の感性がもう若くないのだ…
ハタチ前後のあの頃の感性、感覚。
どこかに置き忘れてきたのか、
もしくは失ってしまったのか。
大人びた言葉遣い。
ストレートな感情に納まらない感情。
上手く言えない、伝わらない苛立ち。
そこに突然起きる人の死。
普通ではいられないはずである。
テーマが深いところにあるのはわかった。
時代背景を現在に置き換えていれば
印象は変わったかも。
観終わった後出口に向かって歩いていると
後ろから女子高生仲間達の会話が聞こえてきた。
「さっぱりわからん!
何を悩んでるの?彼は。
ただヤリたいだけやん!」
…
そうかも…。
これは本当に『ノルウエィの森』だったのか。
原作を読んでみたいとも思わないが
過去の名作としか思いようがない。
救済と呪いは紙一重
今更のレビューだしネタバレも無いが、
これから観ようと考えてる人に対してハードルを上げるような
レビューになっちゃった気がするので読む方は御注意を。
まずは映倫に問い質してみたい。
この映画をPG-12に指定した方々は
マトモにこの映画を観たのだろうか?
お堅い人間の言い分かも知れないが、
この映画はPG-12ではなくPG-15指定くらいが妥当では。
映像にも台詞にも、非常に露骨な性的表現(←PG-12的な書き方)
が含まれている。
12歳以下なら理解出来ないとでも判断したのかしら?
ちなみに僕が観賞していた時には何故か5、6歳位のお子さん連れも
観賞していたが、開始30分程で慌てて劇場から出て行ってしまった。
家族で観るなら事前にもう少し映画の内容を吟味すべきとも思うが、
PG-12指定映画に“ああいう”表現が含まれるたぁ
フツーは思うまいて。
本編とあまり関係無い話をして申し訳無い。本題に入ります。
まず映像と音楽、そしてそれらのテンポ。これが非常に心地良い。
『セリフ棒読み』という意見があるのは尤もだが、僕はあの
淡々とした語り口と映像とが実にすんなり馴染んでいるように思えた。
目眩を覚えるような長回しや断片的な映像はどれも水面のように
艶やかで、繋ぎ合わせると何ともいえない浮遊感がある。
プールの底に沈んでただじっと耳を澄ます時に感じる、
あの非現実的な快い感覚——ピンと来てくれる方が居るか分からないが、
あれに近いものを感じる。
60、70年代という僕の知らない時代の空気も、
その感覚を助長しているのかも知れない。
しかし見た目から受ける印象よりも物語は遥かに重い。
恋人と観に行こうと考えている方がもし居れば、
軽い気持ちでは観に行かない方が良い。
この映画で語られるのは、愛する事で得られる救いや喜び以外の側面だからだ。
「私がこの世に存在した事を忘れないでいてほしいの」
ヒロインが終盤で放つ台詞が、この映画の深刻な面を最も良く表していると僕は思う。
一生かけて引き摺らなければならない重い枷としての、愛。
ラストシーンで僕が感じた事——
愛はこの世を確実に生き辛い場所に変えるが、
愛が無くては我々は生きる事もままならない。
……なんか映画『シャイニング』の幽霊バーテンみたいな台詞を
吐いてしまったが、つまりはそういう事を言いたいのではと感じた次第。
<2010/12/11観賞>
好きだけど
身震いするほどの深層心理の描写に欠ける
原作は読んだことがない。
したがって、どういう内容なのかも知らなかった。前もって断っておくが、今作の内容は気怠くて肌に合わない。おそらく原作ファンとは大きく異なる評となるだろう。
ちょうど私と同じ世代の話である
あの頃、日本は目まぐるしい勢いで成長していた。親の世代は戦争と貧困を経験し、我が子には苦労させまいと奮闘した。子は子でまだまだ血気盛んで、そんな親が敷いた線路や政府が作りあげた仕組みに抗い、身の置きどころを求めて慟哭した時代だ。
恋愛に関していえば、携帯電話もなく、電話といえば固定電話。電話しても彼女が出るとは限らない。先方の父親が出るという難関があり、電話する行動そのこと自体、勇気がいることだった。あとは手紙だが、今のEメールのような利便性はなく、一方通行の通信手段に過ぎない。今作のように、突然、姿を消した直子のような場合、連絡の取りようがなく、そのまま永遠の別れということもあり得るのだ。すれ違いも起きるし、約束した時間に現れなくても確認のしようがない。やはり、緑が約束をすっぽかして、ワタナベが待ちぼうけを食わされたような台詞が出てくる。今以上に想いが相手に伝わらない、狂おしい時代でもあった。
こうした時代背景には共鳴できるのだが、愛と哀しみとか、生と死についてだのに悶えるいわば“負のエネルギー”が渦巻く世界観からは距離を置きたくなる。どうも苦悶する自分の姿に陶酔しているようで、幻想の世界に生きている人々に見えてしまうのだ。おそらく、恋愛観にしても死生観にしても、経験と価値観が違うのであろうからどうしようもない。
それでも、直子がなぜワタナベの元を離れたのか、そして療養所に入所しなければならないほど何に追い詰められていたのか、この大事なところをもっと丁寧に描いてくれれば印象が違っていたことだろう。最後まで観ていけば事情は判るのだが、それは結果論を提示されたのと同じであって、身震いするほどの深層心理に触れたことにはならない。
甘く切なく懐かしい時代を振り返っただけのセンチメンタルな作風は、役者を演じる者としてしか見せてくれず、同年代を駆け抜けた生身の人間として見えてこない。水原希子演じる緑の前向きでハツラツとした蕾の香りだけが収穫。
はじめに記したように原作は読んでいないが、映像化すべき作品ではなかったのではないか、そんな印象を持つ。松山ケンイチによる語りの部分こそ映像で表現するだけの力量が必要だったのではないだろうか。
もう一点、ワタナベの「僕」という視点で語られるのだが、性に関する描写は女目線である。どうしても渡辺淳一のような男目線での描写のほうが入り込みやすい。
映画を見て、もう一度原作を読んでみようかと思った。
1987年の大反響を呼んだ小説の映画化。
私が、この本を読んだのは、それから数年後のこと。
まだ少女の部類に入る年齢だったので、内容はさっぱりわからなかった。
赤と緑の表紙が綺麗で、クリスマスみたいと思ったことくらいしか覚えていない。
この映画を見て、こんな内容だったのか・・・と思う有様。
トラン・アン・ユン監督の手腕だろう。
画面いっぱいに漂う、虚無感や悲壮感・哀愁感は、とても良い。
松山ケンイチさんや菊地凛子さんの、どうしようもなく生きているのさえしんどいという、表情がとても良い。
対照的に、玉山鉄二さん演じる永山の、超現実的・利己的な考え方が、興味を引いた。
当時の生活の様子や、衣服の柄、バッグなど、また、学生運動のようすなど、どれも楽しめた。
日本にも、こんなにも美しい風景が残っているんだな、と、感慨深く見入ってしまった。
でも、共感できるかといえば、そうでもない。
とても大切な人を亡くしていないからだろうか?!
私がまだまだ小さい時に、お昼寝から起きたら、母がいない。
その時、≪お母さんが死んだ≫と騒いだらしい。
人は、いつかは死ぬんだよということを、最も恐れた時かもしれない。
そんなことを、思い出した。
ワタナベくんと直子はよかった。でもうまく感情移入できなかった。
まず、松山ケンイチと菊池凛子は本当に素晴らしい!しかし彼らの存在感、演技力以外にこの映画で見るべきものは残念ながらないかも。映画の作り方も観念的で感情移入が出来ない!
見る前、菊池凛子と直子役のイメージギャップはかなり大きく不安もあった。が、そこをどのように彼女が埋めてくれるかが楽しみでもあった。彼女は本当に素晴らしかった。はじめに感じていた違和感がどんどん埋まっていき、見終わったころにはもしかすると直子はこんな感じだったのかもと、私自身の直子像まで変化した。微妙な表情の変化で直子の感情の波をうまく表現していたことに驚かされた。言うまでていもなく、松山ケンイチは秀逸。はまり役である。映像は美しかった。それは評価したい。しかし・・・
玉山鉄二と初美役の女優はいいとしても、それ以外の役者は役不足。ミドリの存在感があまりにも薄っぺらい。魅力を感じられない。表現力も稚拙、未熟。またレイコ役の女優もきれいなだけで、演技が下手で魅力に欠ける。特にノルウェイの森を歌うシーンにはかなり問題があった。なぜあんな甲高い味わいのない声の役者を使ったのか。台無しである。YMOやら糸井重里などを使ったのも安易な感じがして嫌だった。脇役のキャスティングミスの作品。
エモーショナル
封切り初日、朝一番の上映で見た。
監督がどんな人なのか、どういう配役なのか、どんなストーリーなのか一切の情報を持たずに、「公正に」見れたと思う。
主人公のワタナベ君の最後のセリフとエンドロールの間、自然に涙がにじみ出てきた。とてもエモーショナルな映画で、見終わって二日目の今日もずっと動揺している。
映画を見た後、はじめて小説の『ノルウェイの森』を読んだ。
この有名な小説の第一章を読んだところで、この映画がとても上手く、作者が意図していた世界観や空気を表現していると感じた。
小説では文章によってストーリーや登場人物の想いが語られる。風景の描写、やとりとめもないセリフ、ワタナベの感情の積み重ねによって物語が淡いタペストリーのように編まれて行く。
それを映画では、風のざわめき、草原の様子、スローモーションによるプールのシーン。そして音楽が物語を進めて行く。
小説では言葉でしか表現できない部分、きっと作者が言いたくても言葉では表現でききれなかった行間の部分を、シーンを積み重ねてストレートに表して、見るものに迫ってくる。
小説を読み終わって改めて思うのだけれど、この映画以上に美しく、切なく、悲しく、適切にこの物語を表現できるとはとても思えない。
映画を見たあと、原作を読んだのは始めて。
映画のエンドロールで自分が流した涙の理由を、どうしても確かめたくて小説を読まずにはいられなかった。
そうして気づいたのだが、あるいはとうに分かっていて受容できなかっただけかもしれないのだが、ぼくはワタナベ君や緑の側の人間ではなかった。
キズキ君や直子の側の人間だった。
映画のなかで、ワタナベ君に求められながらも、その優しさに答えられなかった直子の気持ちがとても切実に感じられた。
直子がだんだんと壊れて行くにつれて、直子の感情がしみいるように僕の心を浸食していく。
それはとても怖くて悲しくて、そして美しくてどうしようもなかった。
地味な映画なので興行的に報いられるかはとても疑問。けれどいろんなことを感じられる観客にはきっと生涯のなかでもベストに入る映画だと思う。
愛は続く。永遠に。
淡いけど、確かに残る余韻。
村上春樹の原作は読んでいます。
うん、この映画は何ていうか、原作とはもうベツモノですね。
「原作の雰囲気を残しつつ」という表現がシックリ来ない感じ。
いや、自分の感覚なんですけどね。
予告を観た時から、原作よりかなりナイーヴに作ってる画だなあ、という印象だったので、トラン監督という人は、ひょっとして原作クラッシャーなのか?と危惧してました。
実際、クラッシュという程ではないにしても、文体を映像に置き換える作業を、この人の解釈なりに行っていたんだな、という感じです。
大胆解釈ではなく、拡大解釈?違うな。何だろう。
それで、うん。確かにナイーヴです。
ずっと紗がかかってる訳でもないのに、全体を覆う淡い雰囲気。淡い情景美。大きな音量で感情を煽る音楽の洪水。
目と耳と心がすっかり奪われたので、すんなりこの世界に埋没できました。
説明過多でもないし、映像の雰囲気で淡々と状況を語っていく感じ。
物語の動きにダイナミズムはなく、淡々と本当、淡く、繊細に。
役者もベストキャストなのかは分からないけど、原作を抜きで考えれば、これで良かったなと思います。松ケンも菊地凛子も水原希子も霧島れいかも、それぞれが良い感じでした。
ただ、これはかなり意見も分かれるんでしょうね、きっと。
自分にとって上手くハマっただけでしょうしね。
終わった直後に、こう、淡い余韻というか、どこか、たゆたう感覚が残ってました。
いや、良かったです。
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