ディア・ドクターのレビュー・感想・評価
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ネタバレせずに見たかった
笑福亭鶴瓶の秘密を何かで知ってしまって軽く流布されているくらいだから大した問題ではないのかと思ったらかなり重大な秘密で中盤にそれが明らかになることでびっくりできなった。物語がミステリー仕立ての構成でとても重要なことだった。全てを忘れてもう一度見返したい。八千草薫の萌えおばあちゃんぶりがすごかった。間と空間の演出がとてもどうどうとしていた。
感動する作品ではない。
だけど、見終わった後に、「いい映画だったな」とそう思える作品です。
私がこの映画を観たのは、ヨコハマ映画祭です。
優秀作品賞に選ばれたので、どんな作品かとワクワクしていました。
ヨコハマ映画祭では、他に「のんちゃんのり弁当」と「強く風が吹いている」も観ましたが「ディア・ドクター」一番完成度の高い作品だと思いました。
一番感心したのは、主人公・伊野を演じた鶴瓶師匠。
田舎の牧歌的な風景に、鶴瓶師匠の雰囲気が非常によく融合しています。
だからと言って、ゆる~い作品ではなく、脇を実力派俳優で固めているので、作品がぐっと引き締まっていました。
物語は淡々と進んでいきますが、少しづつ登場人物の心情が見えてきます。
この見せ方が見事な作品だと思います。
その嘘は、罪ですか。
山あいの小さな村。
その村で唯一の医者として慕われていた医師が突然謎の失踪を遂げた。警察がやってきて捜査が始まるが、村人達は自分達が慕ってきたその男の素性を何一つ知らなかった。
遡ること2ヶ月前。
研修医の相馬がこの村に赴任した。コンビニ一つなく、住民の半分は高齢者という過疎地。そこで相馬は村人達から慕われ、頼りにされている伊野という勤務医に出会い、次第に彼の献身的な働きに感化され、一緒に働くうちに都会では感じたことのない充実感を覚え始める。
『ゆれる』と同じ、観終わった後にすごく色々なこと考えさせられる映画でした。正直に言うととても曖昧な映画でもあります。多くは語らず、無駄な説明は一切せず、いろいろなことが曖昧のまま、あとはすべて観客に委ねられる。そんな映画です。
映画は研修医・相馬が赴任した2ヶ月前と、村の唯一の医師が失踪した現在とか交差して描かれ、そして少しずつ真相に迫っていきます。
何が正しくて何が正しくないのか。
何が善で何が悪なのか。
人間には、世の中には、単純に白黒つけられないことが沢山ある。
誰の心の中にも善と悪が共存している。
数年前まで無医村だった僻地。そこで「神様、仏様よりも先生の方が頼り」と慕われてきた伊野。
伊野は村中の人たちから慕われれば慕われるほど、頼りにされればされるほど、喜び以上の苦しみや葛藤あったのではないだろうか?
自分はそんな偉い人間ではない。
人は皆、誰かに必要とされたり、頼りにされたり、評価されたりしたらうれしいと感じるものだと思います。そしてその思いは伊野にも間違いなくあったはず。
だけどそれと同時に、自分の実力以上の評価をされてしまっていることに居心地の悪さや不安、そして大きなプレッシャーをも抱えていたのではないだろうか?感謝されればされるほど、逆に劣等感や葛藤を抱えることになっていたのではないだろうか?
伊野をこの村に呼び寄せたのは村長。
わかっていることはそれだけ。だから伊野がどういう経緯で僻地医療に携わることにしたのか、どういう思いでこの村にやってきたのか、ということは全くわかりません。最初は本当に軽い気持ちだったのかもしれないし、彼自身、そんなに長くここで医師を続けるつもりもなかったのだと思う。むしろ、そんなに長く続けられるわけがないとすら思っていたかもしれない。
けれども自分の予想とは裏腹に村人たちから絶大な信頼を得てしまい、「ずるずる居残ってしまった」伊野。夜に必死で勉強する姿は、自分を守る為でもあったのだろうけれども、それ以上に村人達が抱いている通りの本当のいい医者になりたいという気持ちがあったのかもしれない。彼の父のように。ペンライトには、劣等感や憧れなど様々な思いが込められているように思いました。
伊野はこのままではいけないという思いが常に心の中にあったはず。ただきっかけと勇気がなかった。そのきっかけが、かづ子が娘に突き通したかった「嘘」だったのだろう。かづ子の希望を聞き、その「嘘」に付き合うことにした伊野。しかしかづ子の希望を叶える為についたその「嘘」が齎す大きさに気づいてしまったからこそ、白衣を捨てる決心ができたのだと。
看護師の大竹や営業マン斎門は、伊野の秘密を知っていたはず。もしかしたらかづ子も気づいていたかもしれない。それでも気づかないフリをしていたのは何故か。それは彼がつく嘘を一緒に突き通したいという気持ちがあったからなのだと思う。
大きな嘘をつかれていた側の心理描写も上手い。
特に相馬の態度の変化。あれだけ絶賛していた伊野について刑事に語る彼は、別人かと思うほどの冷酷さを見せる。その相馬の裏切りにも見える姿は保身や狡賢さであると同時に、彼が心に負った哀しみでもあったのではないだろうか。
駅のシーンで終わりかと思いきや、まだ続きがありました。ある意味この終わり方は西川監督っぽくない感もありましたが、このラストにしたことで観客に解釈をしやすくしてくれたのかな。
この映画は『ゆれる 』で予想をはるかに越える高評価を得たことで、映画監督というポジションにいる自分への違和感や戸惑い、据わり心地の悪さを抱いた西川監督自信の物語なんだそうです。いかにも本物っぽい顔で働きながら、実は拠り所のない不安を抱えている人。みんながなるべくして今の自分になったとは限らない。西川監督が描こうとしたのはそんな曖昧な「贋物」。
その贋物は罪なのか?
本物よりも大切な贋物があってもいいんじゃないか。
贋物が本物にあることだってきっとある。
『ゆれる 』を観た後同様、今回もまた観客に解釈を委ねているので、鑑賞後はすごくいろいろ考えさせられる作品でした。
それから鶴瓶が主役ってどうなの?とちょっと思っていたのですが、これが伊野にぴったりはまっていてすごくよかったですよ。「笑福亭鶴瓶という人間は全部消えて、伊野治という人だけがスクリーンに映っている-そんな主役でありたいという思いがあった」と語るその通り、スクリーンには鶴瓶はおらず、伊野だけがいました。
鶴瓶を偽善者に配したキャスティングの勝利
観終わったあとにグッと手応えを感じた。こういう映画を観るために映画が好きになった、などとオーバーに思うくらい、邦画と洋画の区別なく、2009年ナンバーワンの秀作だ。またこの作品、鶴瓶という特異な経歴のテレビ・タレントを配していなければ、これほどの秀作にならなかったかもしれない、とも思う。
私は高校卒業まで関西で暮らしていたのだが、その頃にラジオパーソナリティとして関西の若者に絶大な人気を博していたのが、この映画の主役を演じた笑福亭鶴瓶だった。なぜ人気が高かったかというと、素人をいじるのが上手く、しかも口角泡を飛ばさんばかりに悪態をつく声が若者たちの共感を呼んだからだ。ところが、その人気者が東京に進出した途端、その悪態ぶりがだんだんと薄れていって、老人たちをいじるのがうまいタレントになっていった。昔を知っている者からすると、今の鶴瓶は偽善者そのものにしか見えてこないのだ。
その鶴瓶が、偽善の極致と言うべきかもしれないニセ医者役を演じたのは、当然の流れだったのだう。が、その偽善者が偽善を演じてみるからこそ、恐ろしいほどのリアリティーが出てきたことまでは、ひょっとすると演出した西川監督も予想外だったかもしれない。
この作品の大きな見どころは、ニセ医者が偽モノを演じなければならない苦悩だ。特に、自分がニセとは言えずに八千草薫演じる病気のおばあちゃんとかかわるシーンは、観客はスリリングでありながら心の温もりを感じる、見事な鶴瓶と八千草の演技と西川監督の演出ぶりだった。特に、鶴瓶は、テレビで偽善者をやっているかゆえの苦悩をもつ自分自身を演じているようだった。テレビで育んだ偽善者たる者でないとできないリアリティーさではなかったかと思う。
テレビというのは偽善でなりたっているのだから、鶴瓶が関西の人気者だった姿のままを通していたら、今ほどのタレントにはなっていなかっただろう。そのテレビに自分を合わせていった鶴瓶を、ここで散々こきおろしたかのように感じたかもしれないが、テレビに合わせていけるかどうかというのも、また芸能人の才能だ。鶴瓶は、その才能が高いタレントであるのだから、偽善者というのは、この場合のみ、私はほめ言葉だと思っている。
人間、医療の複雑さが描けている
人間、医療の複雑さと多様さがよく描けている脚本、映画でした
おすすめの1本です
私の今年のベストいくつかに確実に入ると思います
西川監督の手腕に再び感服しています
脚本、編集と演技(演出)のうまさから2時間余の時間があっという間に経過しました
一方でよくわからないという人がいるのも少し理解できます
監督は説明的なせりふをあえて少しだけ少なめにしてあいまいさをあえて残しているので、題材に身近な経験がない年齢が若い人にはわかりにくいこともあるのでしょう それはそれで複雑さ、あいまいさをあえて表現したのだと考えています
私は医療人ですので「嘘」の内容は2つとも予告編を見たときの予想通りでしたが、編集のうまさと医療現場のきめ細かい表現のうまさで違和感なく映画を堪能できました
監督の次回作にも期待したいと思います
よく、わかんない・・・
「ゆれる」や「蛇イチゴ」は好きだ。「ゆれる」に関しては、ラストがよく理解できなかったため、原作本も読んだ。結局分からなかったケド。
肉親ゆえの複雑な感情が描かれているのがよかった。
今回の「ディア・ドクター」
田舎の風景がとっても綺麗だったのは印象的だった。稲の青々としたのが猫の毛のようにざわざわと、模様を描き出しながら風が渡っていくシーンが記憶に残っている。その中での八千草薫や素朴な村民たち。
西川美和監督の言わんとしている事が、わたしには響かなかった。これを理解できてAランクを付けている人は人間的に深いのだろう。
観なければよかった!という程も悪い映画でもなく、よかった!という程、理解もできず中途半端な気持ちが残った。
余貴美子がよかったですね。つるべもはまり役だったのでは?
人間の2面性を描く
西川美和監督がNHKトップランナーに出て言っていた。
「人間は一面ではないですよね。そんな複雑なところを描きたいと
思っているんです」
そして、この映画の発端となったのが
「村の人たちに、非常に便利がられていた白タクが捕まったという記事でした」
まさにそれなんですよね。
鶴瓶ニセモノ医師が、大変便利がられて、尊敬もされている。
その期待に応えようと夜は勉強に励んでいる。
でも、そんな自分に罪悪感をもっているんです。
ある日、ある患者の娘である医者とその医療方針をめぐって討論する。
結局は「よろしくお願いします」と勝つことは勝つんだけど、
その罪悪感から逃げ出すことになるんです。
でも、都会にでて医療を職にしている娘と、
患者の生活まで入り込んで信頼されているニセモノ医師。
そのどちらが患者にとって幸せなのか、実はわからないのです。
かくも、
人間とは?
医療とは?
他人と肉親とは?
都会と田舎とは?
どちらが正しいのか、わからないというのが結論のような気がします。
ただ、映画的には「ゆれる」のような緊張感はない。
これは鶴瓶を主演に迎えたとき、決まっていたんでしょう。
とてもよかったけれど、なにか物足りなく感じてしまったのでした。
う~ん笑えない?ありそうな話かも
総論です。今週は連日の映画三昧で3本目に観たせいかちょっと感動薄めの作品。
プレミアムシートで観たレスラーや、バルセロナに並ぶ作品ではあるナ。どちらもオスカーがらみの作品。先々週の”愛読む”よりも、やはりちょっと感動薄めかナ。
ある医師(映画監修したとか、小道具も貸したとか)からの作品紹介メイルで観ることになり鑑賞目的は田舎の在宅医療が上手く表現されているとの興味本位でワイフと観にいきました。
日本の原風景、人口1500人の住む田んぼの真ん中の村立診療所、年俸2,000万円の医師と、彼を取巻く看護師、研修生、製薬卸のMS。いい味だしている脇役に恵まれ少々暗めのカメラワークとストーリは全編予測内で展開し意外性にかけました。
善良で誠実な村人との”絡みも落ちも想定内”、医師のバックグランドも凡そ予想の範囲と、邦画モノらしい映画。この監督、西川さんの映画始めて観ました。淡々と描く小作品がお上手なんですネ。
おじさん的には期待以上の作品
おじさん的には
鶴瓶は、昔、近畿放送の日本列島ズバリリクエストという番組のパーソナリティをやっていたときに、リクエストをまったく受け付けず、たかじんなんかをゲストによんで戯言を話していたただの偏屈なもじゃもじゃ頭の面白いやつなんですが、最近では、すっかり丸くなったおじさんになりましたね
ストーリーは無医村だった山奥の村に出来た村立診療所に働く医師が行方不明になる所から始まります
この行方不明の原因が徐々に解明されていく訳です
この行方不明となる理由が美しい
オチ自体は勘の良い人なら見る前に予測出来てしまうかもしれませんがこのストーリーは見ないとわからないでしょう
途中笑いもあります
本当の別のオチもあります
おすすめ映画です
事務的な医者より、伊野に診てほしい
「ゆれる」同様、車載カメラで始まり、日本の原風景である山村を舞台に物語が進み、主人公の前を横に走り抜ける公共乗物で終わる。虚実を織り交ぜながら、登場人物や環境を浮き彫りにしていく手法は健在だ。
農道脇に落ちていた一枚の白衣を皮切りに、過去と現在を行き来しながら、村人に名医と崇められたひとりの男の正体が明らかになっていく編集が巧い。ただ、シャープさという点では「ゆれる」の方が上だ。これは、登場人物と題材の違いもあるだろう。
村人が欲したのは、医師免状という紙切れだったのか、それとも親身に処置してくれる人格だったのか・・・。西川美和監督作品の共通したテーマは、“人の誠意とは何か?”という一点に尽きるかもしれない。
白衣という仮面を脱ぎ捨てた伊野だが、それでもかづ子の様子を見に戻ってきた。
笑福亭鶴瓶もハマり役だが、余貴美子の存在感が大きい。
天才的な構成力により、あり得ない話に現実感を持たせています。鶴瓶師匠の演技が素晴らしかったです。
作品チラシのコピーにはこんな文字が躍っています。
この村に医者はひとりもいない。
人は 誰もが
何かになりすまして
生きている
その嘘は罪ですか。
そして冒頭の「医師」の突然の失踪・・・。
こんなにヒントがあったら、感のいい人なら、「ディア・ドクター」のあらすじを言い当てられることでしょう。
半分ネタバレ気味でスタートするストーリーは、主役の素性がはっきりしない村の診療所の医師である伊野の医師としての真贋を問うものではありませんでした。
むしろそんな医師として怪しい人物が、どうやって村の診療所の医師として収まるかばかりか、村人たちに神様と崇められるくらい信頼される存在になり得たかというプロセスを明かすことで、医師不足や医療の本質にまで切り込んでいるのです。
一見あり得ないような話を、パズルをはめ込むように細かく伏線を張っていって、いかにも起こりそうなストーリーに紡いでいく西川監督は、天才的な構成力を持っていると思いました。こんな緻密なストーリーのコンセプトを一瞬で描けるなんて大したものです。
人には決して語れない嘘を抱えた主人公。村民から讃えられるほどに複雑な顔を見せる微妙な心理描写は絶品です。師事した監督が是枝監督というのも、なるほど納得です。
もちろん、物語のリアルティの背景には、山間地の地域診療所を丹念に取材したこと。そのなかで医師や住民の話を取り込んだことが多いに反映されていると思います。
チラシ・宣伝等でのネタばれコピーとは裏腹に、物語の前半では、村民に愛される伊野の医師としての日常をたっぷりと描きます。その姿には医師として非の打ち所がありません。
そんな伊野の元に、研修医として赴任してきた啓介は、当初こそ理論理屈で反発しつつも、やがて人間面で伊野を尊敬するように変わっていきます。そして、大病院の跡取り息子でありながら、病院を継ぐことを拒否してまで、伊野の元で働きたいと申し出ます。
前途有望な研修医の申し出に、伊野は苦笑い。俺はニセ医師だから、ついてきたら後悔するぞと冗談交じりに語ります。しかし啓介は、血相を変えて、それならうちの父親の方が「ニセ医師」ですと食ってかかるのです。うちの父なんて、病院経営の医業の方ばかりで、医療に全然携わっていない。それで医師でございというのは、医者のニセ者でしかないと啓介はいうのです。
二人の会話を通じて、ペーパーでも資格を持っていたら医師と見なすのか。それとも、医師としては素性が怪しい伊野であっても、村の医療を立派に担っている現実を重視すべきか、本作はさりげなく問いかけます。
後半になって、伊野自身はあまり治療らしい行為を行わず、重傷の患者はすべて大病院へ紹介状を出すことで対応していたという事実が明かされます。
それでも伊野の往診で治癒する村民が続出していたのは、伊野の仁者としての言葉による治療効果が絶大であったことなのでしょう。医療の目的が医療報酬獲得と製薬の押し売りが主となり、患者の治癒が従となっている昨今、医は仁術という原点を問いかけてくれる作品でした。
これまで曖昧でも医者として通用してきた伊野が転機を迎えるきっかけとなったのが、鳥飼かず子の診察から。彼女は娘たちに余計な負担をかけさせたくないあまりに、末期がんである病状を誤魔化してほしいと伊野に頼みます。
このシーンで考えさせるのは、延命治療の問題点です。
肉体を切り刻まれて、パイプをぶち込まれて、人間というよりもロボット状態で延命されるのは、人間性の尊厳にも劣ることではないでしょうか。そして、その間のご家族の精神的・経済的負担は馬鹿になりません。このほど成立されたとある新党の政策パンフレットにも、自然死・ターミナルケアの推進が医療費の軽減にもつながるということを指摘してありました。
自然死を政治的に強制するのはどうかと思います。でも逆に、最近まで大病院では、自然死を選択できなかったのです。
ですから自分の最後をどう送るべきかぐらいは、患者サイドにたった選択肢を用意すべきではないでしょうか。末期を迎えたかず子の病状と、それに対応するべく、ターミナルケアの理論を夜なべして自習する伊野の対応のなかに、高齢化社会を迎えた医療のあり方が問われておりました。
心理描写が巧みな本作のため、語りたい名シーンは、書ききれないほど沢山あります。中でも鳥肌ものだったのが、かず子の娘で女医をしているりつ子が帰省したときの伊野の対応でした。
当初は作戦通り、他人の胃カメラ写真をりつ子に見せて、胃がんを胃潰瘍で誤魔化し通してしまいます。しかし、かず子が生きているうちに、りつ子が帰省しないことを知るや態度を豹変。冒頭の失踪シーンと相成るのです。
かず子とのガンであることを隠す約束と、隠すと親子がこれで生き別れてしまうという辛い現実との板挟みに伊野は陥り、動揺します。そして、何も説明せず診療所を立ち去りました。人づてにかず子には真実のカルテを送って、自らは姿を消すほかしかなかったのでしょう。
このとき見せる主演鶴瓶師匠の抑制のきいた演技が素晴らしかったです。
失踪した伊野の足取りを求めて捜査する警察が関係者への事情聴取をするなかで、伊野の正体が明らかになっていきます。
すべてが明らかになったとき、伊野のついてきた嘘を、あなたは許せるでしょうか?
小地蔵は、ラストに登場する伊野の落とし前の付け方を見て、大いに許せました。
ロケは、主に茨城県の常陸太田市の寒村にある棚田地帯で撮影されたようです。その映像美も素晴らしく、エメラルド色の稲穂が一斉に風にそそぐシーンなど、忘れがたい場面をスクリーンに焼き付けていました。
●mixiでの追加コメント
小地蔵はこの作品を見て、西川監督の演出力の凄さを感じました。
でもご本人は、『ゆれる』の高い評価に戸惑っているようなのです。そんな大それたポジションで評価されることへの違和感、居心地の悪さが、本作のモチベーションとなったと言うから謙虚ですよね。
自らをまだ『ほんもの』扱いにしていないとは驚きです。
『ディア・ドクター』のテーマは、「偽物とは何か」という点がシャープに浮き彫りにされていました。自称「なんちやって監督」とへりくだる西川監督が監督でないなら、大監督たちは、『ガマの油』となるしかないでしょうね。
もう一回見たい!
モニター試写で見たので、事前に、作品に関する情報を読まされての鑑賞・・・。
なんの知識もなく見たかったって言うのが本音です。
知らなければ、村民とか、研修医とかと同じ立場で、映画を体験することができたんじゃないかなぁって思うと、ちょっと残念。
それでも、僻地医療の在り方を考えさせられた。そして、
西川美和監督の前作「ゆれる」を見た時と同じで、
もう一回見たいって思った!
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