劇場公開日 2009年6月27日

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「感想の正解がわからない。」ディア・ドクター れいすけさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0感想の正解がわからない。

2021年1月19日
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12年前の映画ですね。5年ほど前にも見て、もう1回見た。実は伊野(鶴瓶)が本当は医師ではなかったというオチだけ覚えていたのだが。
見てみて、はじめから、もう医師じゃないとわかって捜査する様子と、相馬(瑛太)が研修医で来て伊野と過ごす日々が、同時進行で描かれていたんだなと分かった。

この映画の趣旨って、なんなんだろうなあ。僕にはよく正解が正直わからない。
感想を書いてから他の方のレビューを読もうと思う。
医師の役割とは、患者の命をを預かる。診療、診断し治療する。また、医療現場で、他専門職へのリーダーシップを取っていく医療職として最も重い役割だ。その医師を無資格で行うということは、どういうことなんだろう。

何故、伊野は身分を偽り、医師を引く受けたのか。動機が描かれていないし、わからない。ただ、劇中で相馬と話すなかで、最初は、長くやるつもりはなかったが、やりはじめたら、次から次へ必要とされ、必死に応えてきたら、またさらに必要とされ、ずっと続けてしまったみたいな、話し方をしていた。またその時、俺には資格がないんだと告白している。(相馬は医師資格でなく、評価される程の資格の器でないと自虐していると解釈していたわけだが)。

ペースメーカーの会社員が、自分で、独学で医師をやれるのか、胃カメラまで出来るのか、聴診器を使えるのかとか、挙げれば切りがないが、信じられないし、リアリティがないかもしれないが、感じるのは、

1つ目、伊野は苦悩し、自問自答しながら、医師を続けていたということは確かということ。例えば、気胸の穿刺をする際に見せた動揺、恐怖と緊張感、それでも、自分がやるしかなかった。

2つ目、医師は知識があるだけで、務まる仕事ではなく、伊野は無資格ながら、村の人々に、安心信頼を与える存在だった事は事実だったということ。

この作品の中心は、鳥飼かづ子とのやりとり。伊野は、無資格ながら、かづ子が胃がんだと悟るが、本人が治療は希望しない事を聞き、胃潰瘍だと、かづ子に嘘を言う。かづ子の娘にもでっちあげの胃カメラの写真を見せる。(香川照之の胃)

医師であるかづ子の娘は、あの人なら、母をどんなふうに死なせたのでしょう?と最後に語るが、伊野は、果たして、どう考えていたのか。薬で痛みをやわらげ、寄り添い、心のケアでなんとかなると思っていたのか?しかし、伊野は、娘から、「母と次は1年後にしか会えない」との言葉を聞き、娘と居る時間を選ばせるために、偽物の医師を捨てる決意をする。

最後の場面、変装して、がづ子にお茶を入れに病院に現れた伊野。

かづ子は一瞬、硬直したが、優しく微笑む。
病気を治す事だけが、患者に必要なことではない。それだけはわかる瞬間だった。

なんか意味もわからかいけど、ラストシーンにほっこり。

前後したが、私は青年期からの笑福亭鶴瓶のファンだ。映画を見た動機である。鶴瓶は俳優としても一流。

看護師役の余貴美子も、好演。気胸の穿刺を指示だししたり、違和感を感じながらも、伊野の人柄に感じるところがあり、影でずっと伊野を支えていたのは間違いなく彼女だったのだろう。

研修医の相馬も最後に伊野の後継者となる
。彼はどう感じ、後を継いだのだろうか。ただ相馬は村で生き生きとし、居場所を見つけていた事は確かだ。

れいすけ(休眠中)