劇場公開日 2008年12月20日

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ファニーゲームU.S.A. : 映画評論・批評

2008年12月16日更新

2008年12月20日よりシネマライズほかにてロードショー

ファニーゲームの真のカモは、観客である

ミヒャエル・ハネケの作品はどれも残酷だ。見る者を不快にさせ、脅えさせ、打ちのめす。観客はまるで隙のない完璧な空間で催眠術にかかった者のように、ただ振り子を見つめることしか出来ない。しかしやがてそれは自分との共鳴によって大きく揺れているのだと気づく。ここがハネケの卓越した才能である。観客は傍観者になることを許されず、身を削って作品と結合させられるのだ。

その最たる作品が「ファニーゲーム」といえるだろう。裕福で幸せな家族が、2人組の青年に殺人ゲームのカモにされる。しかしそこに単純な善悪はない。被害者も加害者も同様に皮を剥がされ、立場も職業も関係なく人の持つ本質だけが露になる。被害者は服を脱がされるが、本当に脱がされているのは服ではないのだ。近所同士の表面的な親しさも然り。隣の様子がおかしいと気づきながら他人事と流したツケが、次々と隣家の恐怖へと続いていく。そして妻の言い分を信じず、家長としての威厳を他人に見せつけようとした愚かな夫もツケを払わされる。ゲームのアイテムも同様で、自動電灯や携帯電話など、便利なはずの物がここではアダになる。

あらゆる箇所に痛烈な皮肉が込められているが、ファニーゲームの真のカモは、観客である。いや、カモにされた“真の加害者”と言うべきか。残酷だと思いながらも続きを見たがり、期待通りの展開を願う観客の身勝手さ、そしてそんな観客に合わせ映画を作っているハリウッドやゲーム業界に、ハネケは辛辣な問いを投げかけているのだ。だがそれは、まだ彼が人間や映画の力を強く信じている証拠でもある。

(木村満里子)

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