イーグル・アイ : 映画評論・批評
2008年10月14日更新
2008年10月18日より丸の内ピカデリー1ほかにてロードショー
これが“SFではない”理由は、中盤のターニングポイント以降にある
平凡な市民が突然事件に巻き込まれるのがスリラーというジャンルの決まり事だが、この映画のジェットコースター感覚は凄い。携帯にかかってきた謎の女の声をきっかけに、テロ容疑でFBIに捕まるわ、工事用クレーンに吹っ飛ばされかけるわ、「ボーン・スプレマシー」級のカーチェイスを強いられるわ。きっとあなたもシャイア・ラブーフ同様、ポカンとした仰天顔となり、怒濤のアトラクションの渦に引きずり込まれるに違いない。
しかしそのスリルを、ひたすら受け身の態勢で満喫できるのは中盤まで。映画の真ん中を過ぎたあたりでジェリーらを翻弄する女の正体が明かされ、思わぬ方向に話が転がり出す。ずばり観客にとっても、ここが本作への評価の分かれ目となる。“アリア”という名の女の正体にこだわりすぎる人は、ひょっとすると「なーんだ」と物語への興味を失ってしまうかもしれない。筆者としては、ぜひその後の展開に食らいついてほしいと思う。
まずアフガンでの米軍のテロリスト掃討作戦を描いた冒頭シーンを、しっかり頭に叩き込んでおくこと。これがのちにポリティカルなサスペンス・アクションへ転じるストーリーの重要な布石になっている。“アリア”が仕組んだ陰謀のややこしさには「あんた、ミステリー小説の読みすぎだよ!」とも思わされるが、彼女が狙いを定めたターゲットはかなり過激で、その理由には観る者に一考を促す皮肉がこもっている。この映画が近未来SFではなく、現代劇である意味はそこにある。
最後に蛇足ながら、D・J・カルーソ監督には「あんた、ヒッチコックを引用しすぎだよ!」と言っておきたい。
(高橋諭治)