この自由な世界でのレビュー・感想・評価
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弱肉強食
セクハラで会社をクビになったアンジー。
かわいそうに…と思う間もなく、バイクで駆け回る日雇い派遣斡旋所の経営者に。
スキルとコネがあれば、雇われるより儲かる、はず。
誰もが簡単に気づくが、大抵コネがない。
世の中の搾取の図が明確に描かれている。
Win-Winの関係なんてない。
女を武器に(してるように見える)、みるみる仕事が増えて…イラン人家族を家に置いてあげたとろまではまだいい。
しかし酔った勢いで男(しかも労働者)を家に連れ込んだり。
どんどんエスカレートするやり方に、周りは(見てる方も)ハラハラ。
利発な共同経営者や冷静な父親の心配をよそに手段を選ばなくなるアンジーに、もはや共感はできなくなっていく。
いつだって弱いのは労働者。
でもその労働者社会にも搾取する側とされる側がある。
いつの時代にも、である。
母親が仕事優先で不貞腐れる一人息子。
部屋にはサッカー選手(赤いユニフォーム、マンU?)のポスター。
読んでいるのはサッカーマガジン。
ケン・ローチ作品、こんなところが好き。
不法移民の人材派遣業を始めた女主人公が自分の幸福のために泥沼に入っ...
不法移民の人材派遣業を始めた女主人公が自分の幸福のために泥沼に入ってしまう社会派ドラマ。
ケン・ローチ監督作品。深く考えさせられました。
働けど働けど
カンヌ・パルムドールに輝いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』同様、ケン・ローチがイギリスの労働階級の実態を浮き彫りにした2007年の作品。
しかしこちらはよりヘビー。
職業紹介所で働く女性が突然解雇に。
そのノウハウを活かし、自ら職業紹介所を立ち上げるのだが…。
彼女が目を付けたのは、外国人労働者の職業斡旋。
低賃金や労働者の住込部屋も一部屋に数人押し込むなどしてコストを削減し、自分はたんまり稼ぐ。
勿論、労働者との間に軋轢が。
自らも金儲けに目が眩み、道を踏み外していく…。
主人公はシングルマザー。一人息子を両親に預けている。
彼女がこんなにも働く理由は、生活の為と息子とまた一緒に暮らす為。
その気持ちは分からんでもないが…、その違法なやり方は弁明にはならない。
欲深さ、自業自得と言ってしまえばそれまで。
社会派作品で知られるケン・ローチだが、主人公がどんどん一線を超えていく様はサスペンスフル。
それは同時に、やってはいけない事、厳しい社会の現状がひしひしと痛いくらい伝わってくる。
働けど働けど…。
この世界の先に、本当に自由があるのだろうか…?
自由とは?
この自由な世界では、「自由主義経済」は善である。しかし、自由主義経済で溢れ落ち、憎しみあい、犠牲を払うのは、必ず「自由主義経済」の恩恵を享受できない労働者なのだ。
ケン・ローチの作品は、どんな作品でも、「労働者」としての私を自覚させる。
t's a Free World...
セクハラに抗議したため勤めていた会社から解雇されてしまう主人公アンジーは33歳。
彼女はこれまでの経験を生かし、友人を誘って自ら労働派遣会社を女二人で立ち上げる。
持ち前の勝ち気と、少しの色気を使って会社を軌道に乗せていこうとするが、様々な問題が彼女たちの前に立ちはだかる。
移民問題、不法滞在、不法労働、不法雇用、給与の未払い、一人息子との関係・・
それでも、本人も気づかぬ内にみるみる欲深くなっていくアンジー。
ついには脅迫、そして命の危険にまで晒されてしまう。
現代社会、そしてこれからも永遠のテーマになっていくであろう問題を客観的に、リアリティーをもって描かれた作品。
自由な世界だからこそ、人の心としての思いやり、モラルが大切になってくる。
ここで数行にまとめられないほど重みのある一本。
荒廃していく心
総合:80点
ストーリー: 80
キャスト: 85
演出: 85
ビジュアル: 70
音楽: 70
日本でも貧困ビジネスが問題になっているが、この映画も真面目に社会問題を扱った作品である。だが一方的な見方をして結論ありきで語るのではなく、登場人物の立場と経緯を描いて視聴者に考えさせる。
弱者を食い物にして金を稼ぐ。強いものが弱いものを食い物にして、弱いものはさらに弱いものを食い物にしていく。その過程は人々の不満を高め憎しみを呼び不幸の連鎖を招く。主人公のアンジーにしても最初は被害者に過ぎなかった。だが彼女はいつのまにか加害者となって憎しみを受ける側となり、本来味方であるものからすら見放された。負の連鎖を容赦なく見せつけ、社会も人の心も荒廃していくさまを描ききる。誰かを悪者にするのではなく、ありのままを見せる。たいして金もかかっていなさそうな映画だが、その演出と表現はかなり質が高い。
全く知らない出演者ばかりだが、みんな演技力もよい。特にキルストン・ウェアリング演じる主演のアンジーは、勝気で努力家の起業家を熱演していて素晴らしい。不当な解雇にも負けず精一杯虚勢を張って強気に自分で道を切り開こうとする姿勢には、当初は一人のヒロインとしての共感すら覚えた。だけど追い詰められて本人も知らないうちに変わっていって、ビジネスとして軌道に乗り始めても人として精神的に荒れていって落ちていく姿がまた鬼気迫る。
社会が創りゆくもの
自分のいる社会で生き残ろうと必死になるあまり、その社会に適用しようとし、適用してしまった結果、人としての大事な何かを失ってしまった…そんな主人公のラストのあの表情は、人間の微笑みとは思えないくらいに怖いものでした。
社会派監督、ケン・ローチを印象付ける作品。
結婚している男は好き?
映画「この自由な世界で」(ケン・ローチ監督)から。
幸せになるためには、法を破って何でもする主人公の
切羽詰まった焦燥感が伝わってくる作品だった。
しかし、気になる一言は、物語とは全然関係なく、
面白い一言を選んでしまった。(汗)
「どんな男性が好き?」なんて訊ね方をせず、
自分を想定しながら「映画の好きな男は好き?」とか
「ジャイアンツの好きな男は好き?」と訊ねた方が
具体的で面白い気がする。
別に男性に限らず、女性でも使って欲しい。
「どんな女性が好き?」ではなく、
「お酒の好きな女性は好き?」とか
「タバコを吸う女性は嫌い?」なんて言い方でいい。
まぁ「結婚している男は好き?」という台詞だけだと、
ちょっと危ない気がしないわけでもないが・・。
なのにあなたはキエフへゆくの
印象は「泣ける」「笑える」「悲しい」にしたが、そんなんじゃ実はないんだよね。「考えさせられる」というのがあってほしいな。
ポーランドのカトヴィエに始まり、ウクライナのキエフで終わるこの映画の中で、シングル・マザーのヒロインは逆境の中でもたくましく生き抜いていくのだが、そのやり方はちょっとやり過ぎ。
「罪」という言葉は、ロシア語では「踏み外す→一線を越えてしまう」みたいな成り立ちをしているが、このヒロインはまさにその一線を越えてしまうのだ。
自分(及び息子)が生きていくためにがむしゃらになり、いつしか「自分が負け犬にならないためには他人の犠牲は仕方ない」という感覚に陥ることによって。
それは違うよ、というまともな感性を持って諭してくれる人が彼女にはいる。父親・同僚・ポーランド人のボーイフレンド。
不法移民の密告のシーンで同僚が「そういうことまでする<自由>があると思っているのか?」と言うと、「たぶんない」と答える。(でもしてしまう、罪深さ!)
案外周囲の人には恵まれているし、踏みとどまり、引き返すチャンスは何度もあったのに、それでもあなたはキエフに来たのか。
学んでいないというか、学び過ぎてしまったというか。
今年前半に観た映画のベストは<南米のケン・ローチ>などと言われているニコラス・トゥオッツォの「今夜、列車は走る」だったけれど、本家もきっちり力作を取り続けていることがわかる。
あと、やっぱり草サッカーシーンがあってローチらしい。
監督の意図は逆に、移民希望者の労働の自由を阻止し、成功チャンスを摘み取ることがいいのかどうか提起しています。
本作は、すごくシュールで、社会派。そんな映画がお好きな単館ファンには、絶賛ものの作品です。逆に、ハリウッド映画などエンタメ作品ばかり見ている人にとっては、退屈な作品でしょう。ケン・ローチ作品は、何気ないシーンの中に、深いメッセージを織り込んでいくタイプなので、見る人を選ぶところは否めません。
格差が叫ばれつつも、反面ガテンな仕事では人材不足となり、移民の検討がされているわが国においても他人事とは思えない映画です。
ずっと本国イギリスから離れた土地の映画を撮り続けてきたケン・ローチ監督が選んだテーマは、ロンドンの移民でした。
労働市場の自由化、国際化で、労働者から安定雇用が奪われ、派遣業務に代わっていく状況に、ローチ監督は弱い立場の人たちを保護したいという観点からこの作品を作りあげたそうです。
ローチ監督の上手いところは、主人公のアンジーをあまり極端な人物設定にしなかったことです。
誰だって、チャンスを掴むためにはタフな人間でなくてはと思うでしょう。競争の激しい業界なんだから、競争心は強くなくてはと、手段を選ばずに突き進むアンジーの姿には、嫌悪しつつも思わず共感を感じてしまう気持ちになってしまいます。それは彼女も負け組の一人であり、失業したシングルマザーとして、必死に立ち直ろうとしていたからです。
これが日本の労組支援映画をとっている監督さんが作ったなら、きっとアンジーは守銭奴のようになってしまい、移民労働者を搾取苦しめるような極端な演出になっていたことでしょう。
本作では、むしろアンジーを弁護するような視線で彼女が移民労働者を斡旋する様を描いていきます。彼女の口入れに群がり、移民たち同士が仕事をくれと言い争うところ。契約先が倒産して、移民たちに賃金が払えなくなり、途方に暮れるところを描いて、むしろ仕事がない移民たちに一生懸命になって仕事を与えている印象を抱かせる描き方なのです。
そしてアンジーが単なる守銭奴ではない一面も触れています。
亡命を拒否され、やむなくロンドンで隠れ住むイラン人一家をかくまって、仕事を斡旋したり、移民青年カロルには、支払い条件でわざわざ詫びを告げに出かけたり、思いやりのあるところも描かれていました。
もちろん彼女のお金に対するえげつなさもたっぷり触れています。自分の暮らしのためには、高額な斡旋料を平気で取ります。違法移民が儲かると知ると、法律の一線を越えて、パスポートを偽造し、呼び寄せようとします。そして違法移民の寝床がないと、近くのトレーナーハウスを密告し、そこで暮らす違法入国者を強制退去させることで確保するという荒技までやり遂げるのです。まさに目的のためには、手段を選ばずです。
仕事のためには、愛する息子も両親に預け放し。すっかり息子の心は荒れていきます。見かねた父親は、慎ましやかに家族揃って暮らそうと提案しますが、お金がなくてどうやって暮らすのと、アンジーは耳を貸しませんでした。
ローチ監督は、アンジーの追い詰められた必死さゆえに行き着いた人間くささを、そのまま観客に見せつけます。こうまでリアルティーを持ってアンジーの現実を見せつけられますと、軽々しく彼女の人生を否定しづらくなります。
そしてもう一つの現実。それはアンジーのような非合法な斡旋業者に頼らなければ仕事にありつけない貧困な移民がいることです。彼らに言わせれば、日本人の格差なんて、笑止千万のレベルでしょう。斡旋業者がいなくなれば、移民たちも仕事にありつけなくなります。斡旋業者のモラルを問うの前に、たとえ違法でもロンドンで働きたいというニーズがあるという現実も直視すべきでしょう。
本作のラストでは、結局不法移民を斡旋するアンジーが描かれます。移民を熱望するウクライナの人たちのやむに止まれぬ気持ちをラストに持ってくることで、皮肉なことにその人たちの労働の自由を阻止し、成功チャンスを摘み取ることがいいのかどうか提起しているようにもとれました。
けれどもローチ監督は、自由という概念に疑問を抱いて、本作のモチーフとしたのです。
サッチャー以来の新自由主義に反対し、労働者階級や労働価値学説など一世代前の価値観をローチ監督は、反面教師としてアンジーを移民労働者の斡旋に駆り立てさせたわけです。
これに対し小地蔵にも異議はあります。それは置いといて、監督の意図とは裏腹に、この作品はアンジーのバイタリティーを応援したくなる気持ちにさせてくれます。
彼女のような労働者斡旋を禁止して、労働市場の硬直化を進めると結局国際競争力が落ちて、企業・国家単位で没落。企業は買収や倒産の憂き目にあうというのが現実です。アンジーのやり方は確かにアコギですが、それでも争って仕事を求める移民がいる現実をこの作品は示してくれました。
格差が感情的にきらいな日本人の間では、物議を呼びそうな作品ですね。
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