「珍しくすっかりハマっちゃいました!」サヨナライツカ ジミニーさんの映画レビュー(感想・評価)
珍しくすっかりハマっちゃいました!
映画って、制作する立場(監督や脚本家)からすると、初期設定が一番重要なんですよね。その設定項目のひとつが、原作にとことん忠実に描くか、それともどこかを削る、あるいは足して原作に手を加えるかの決断です。この初期設定を間違えると制作途中でも至る所で迷いが生じ、結局中途半端な作品に終わってしまいます。原作に手を加える理由は、原作に忠実にしたくても映像では技術的に、あるいは出来ても制作費の限界で描けない場合と、そもそも映像では伝えられない、もしくは変えた方が原作を超越した作品に仕上げられるといったことが考えられます。『サヨナライツカ』の原作をお読みになるとお分かりの通り、映画と原作はストーリーの流れでは概ね似てはいますが、登場人物の心理背景を支える重要な要素が異なっていますから、私はこの作品も映画と原作は似て非なるものであると考えています。
例えば、突然部屋に入り込みスカートを手繰りあげて沓子が豊を誘惑するあの最も妖艶なシーンも、また、豊にアプローチした本当の理由や背景も違ってますし、中軸からの重要な意味を与える光子と沓子の面会シーンは原作にはありません。また、ラストに誘う沓子の本心をしたためた手紙も映画にはありませんし、映画では最後まで意味ありのホームランボールも空港カウンターの移設成功話や同僚を殴る喧嘩のシーンもありません。まして、沓子が豊に惹かれた理由になっている豊の夢についても原作では触れられていません。なので、よく原作を読んだ後に映画を観るとあまりに違ってがっかりするということが、この作品にも十分起こり得ると思われます。しかし、単純にどちらが良い悪いという話ではなく、作者、そして映画の制作者がそれぞれの媒体の特質とまたその限界を知って何を一番表現したいのかという感性の違いがあるのであって、あとは読んだ人、映画を観た人の受け取り方に任せられればそれで良いと思います。つまり、それぞれが別個の芸術作品と私は受け取っています。
さて、その観点を持ってこの映画を観ますと、もちろん、私は制作に関わった訳ではありませんし、直接、関係者から聞いた訳でもないので憶測の粋を出ませんが、原作と似て非なるものになった理由として・・・
1.ラストに登場する沓子からの手紙はこの物語を完結させるために重要だが映像では長過ぎて使えない。その理由から全体のストーリーを映画用に描きやすいように変えた。
2.制作側が中山美穂に対する思い入れが非常に強くて、彼女の魅力を最優先したかった、あるいはしなくてはならない背景があった。結果的に原作のストーリーによる繊細な心模様の移ろいを忠実に描かずに、主人公を如何に魅力的に映像表現するかを優先した。
3.もともと原作を忠実に描くには無理があり、映画には長過ぎた。
といったことが考えれますが、単純に制作費用が十分になかったのかも知れません。現在、日本の映画業界はシネコンのおかげで多少の復興を感じさせてはいても、映画館での集客はまだまだ足りなくて、外国に比べれば制作費はすずめの涙です。そう考えると、韓国制作だからこそ世に送り出せた背景に複雑な思いを感じながらも、この作品が完成するまでの紆余曲折を支えたスタッフに私は敬意を表しますし、そこに多少違和感を感じる部分があったとしても、この作品は映画として十分立派な出来映えと思えるのです。
私の場合、映画を最初に観て、それから原作を2回読み、そしてまた映画を観るという過程を辿ったので、今では映画も原作も似て非なるものとしながらも、それぞれの魅力にハマッています。
ちなみに、当たり前のことですが、ストーリー仕立ての自然さ、細やかな登場人物の心境の変化や人柄、そしてこの作品のファンデメンタルなテーマである「人は死ぬ時に愛されるたことを思い出すか愛したことを思い出すか」という恋愛観、いや人生観の答えに辿り着くまでの計算尽くされた読者への問いかけや作者のメッセージは、明らかに原作に軍配が上がります。この辺は辻 仁成さん、さすがです。個人的には恋愛のバイブル的な深い教訓を与えてくれる不朽の名作と呼びたい位です。
そして、映画は、日本人監督ではあり得ない大胆なカメラワークや表現方法に若干違和感はあるものの、それがこの映画の中のいくつかのハイライトシーンを際立たせているとも言えます。初回はストーリー展開と俳優の魅力に引き込まれて気がつかなかった登場人物のひとつひとつの台詞や目の動きを含めた表情や仕草、それと何気ないシーンやカットにも、2回目では、イ・ジェハン監督がこだわり抜いた数々の細やかな仕掛けを発見し、そのこだわりの妙がこの映画全体に少なからず影響を与えていると感心しました。
この作品のような恋愛の実体験のない方には、登場人物の生き方、考え方が理解出来なかったり、濃厚なラブシーンも抵抗があるかも知れません。私はそれはそれで幸せだと思います。計らずも、私には豊と似たような体験があり、豊同様、その人を愛したことに一生喜びと感謝を覚えながらも、一生それを背負って行かなくてはならない辛さがあります。けれど、ひとつだけ『サヨナライツカ』と違うのは、私はまだ彼女が生きている間に「愛してる!」と言えたことです。