「邦題違えども、荒削りなロウイエ作品良い」天安門、恋人たち redirさんの映画レビュー(感想・評価)
邦題違えども、荒削りなロウイエ作品良い
2006年の作品。
この邦題がついていて見逃していたので悔しい思いだったが、、シャドウプレイ公開にともなうK’s cinema のロウイエ監督祭(特特集)で満を辞しての鑑賞。原題は、まあ、当然かもしれんけど全然違う庭園?北京の夏の離宮ということであった。英語だとSummer palace.ロウイエ監督のタイトルの付け方は面白い。シャドウプレイも。必然と趣味、ウィットというのか、そういうものが入ってる。
そしてなかなかのスケールであった。最初の、故郷は朝鮮との国境の町。辺境のおおらかさで郵便配達員が仕事もしないで酒飲んで店番してる恋人女子高生ユーホンと仲良くしてる、そこへきたおばさんに、アンニョンハセヨというたから冒頭からガツンとかまされたけど、朝鮮国境近いど田舎から夢の北京の大学へ進学する才女だったのだ。
自由と刺激を求める女子ユーホン。大学での運命的出会いというのだろう、モテ男チョウウェイとの日々、氷と雪に凍てつく美しい旧世界の庭園、夕日をうけて輝くの大きな池。サマーパレスで、大学で、西側との交歓あり活気あふれる北京の街で、二人は自由な個人的生活を楽しむ。ここにいる学生たちは皆自由な個人を楽しみ、政治の季節民主の歌声が聴こえたと思ったらその時代もあっけらかんと過ぎて終わった。レッドチャイナ中国は数年単位で時代が変わり主人公も自分の持ち方も変わる。
邦題は、タイトルに天安門とあり実際に生々しく希望似満ちたデモに向かう学生たちの映像も差し込まれ、映画の登場人物たちがトラックに乗り込んで天安門に行く姿は、ヨーロッパで、レイブパーティに行くような感じ、そんな感じの熱量とノリで撮っていて、ロウイエ監督すげえな、と感動。
香港囲城などでみた最近の香港の若者たちの闘争に、今、2003年末にこの作品をみて、昨今の香港民主化関連作品と比べてみれば、民主を叫ぶ以外イデオロギー、思想、左右の闘争みたいなものは全くなくて、あっけらかんと祭りのように(現状香港の方がより管理ガチガチで非常に厳しい状況だが)1989年思い思いの格好で自由を謳歌するように天安門に馳せ参じていて、2006年この感覚どんな感じだったか、映画を公開できるものにするための工夫だったか、私には全くわからないけど、これもまた絶妙なロウイエ監督の嗅覚、バランス、審美眼かと恐れ入る。
目頭的にグッとくるのはこの辺りだけで、あとは自由に自分にこだわり文学的に刹那的に友情も裏切りも思いのままの本能で生きる若者たちの、意外とレッドチャイナに阻害も妨害も嫌気もな、それぞれのその後、末路。愛とか傷みとか、自分も2006年ではなく2023年になりそれなりの年令で見ているので、深淵なれど冷静に、眼差しの交差と不交差、性愛による救済と破滅を冷静に見届けるのみ。若者たちは、スクリーンの中でスケール大きく、3人組はベルリンに移り住みベルリンの壁崩壊後のベルリンの空気を吸い、ユーホンはひとり、深圳、武漢、重慶とまつろわない自分を持て余し彷徨い自分の魂をなだめすかし弔うようにして日夜を過ごしている、でも絶対死なない、なんかある、なんか見つけると闘志もある。だからラストシーンも、まさかのお酒買いに行ってた、、、ところもロウイエ監督すげえ!と最後までありがとう。シャドウプレイ公開記念の特集番組中の、k’s cinemaのお客さんがとにかく若い中国人でいっぱい。明かりがついて席を立つと、中国語の若者たちの会話があちこちから聞こえるし、今日なんか外に出て新宿の街も中国語話者に溢れていて、映画館の暗闇から新宿の路上で、思わずくらくらした。映画とは体験なり。
中国の大学生くらいの人たち、東京でロウイエやってるよ!てひろがってるのかしら香港の方々なのかとかいろいろクラクラしながら帰宅した。
本当のクラクラ目眩の別の原因は、、1989年韓国でも、北京でも、英領から返還離脱の香港も、民主と自由を求めて闘っていたんだよな、日本は東京は、それに呼応や連帯したのはほんのわずかで、肩身の狭い感じだったし、今となっては、この有様だなと。
北京天安門や、あの頃の香港や武漢や深圳やベルリンの風景が、かざらず偽りもない姿が記録され記憶されているのも大切にありがたく、この世界への情愛に溢れていた。