闇の子供たちのレビュー・感想・評価
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独自の設定はGOOD!しかしインパクト弱し
フィクション要素の有無などは抜きにして、あくまで創作物を観た感想だけを述べます。
映画独自に用意した設定は結構好き。主にふたつ。
・南部(江口洋介)の重大な秘密
・音羽恵子(宮崎あおい)のキャラクター
南部の秘密に関して
全てを明らかにせずに締めくくるやり方も、観るものに考察の余地を与える効果があり、より深みをもたらしていたと感じる。
音羽恵子のキャラクター
原作ではただ純粋に正義感の強い実直な女性という印象であったのが、独自に追加されたシーンや宮崎あおいの演技によって映画オリジナルのユニークな女性像が更に構築されていたように感じた。
自分の正しいと思ったことをすぐ口に出してしまうくだりなどは頭が悪くてこちらをイライラさせつつも、エイズを発症してしまった子供にキスするシーン、ゴミに捨てられそうになった子供を救うシーンなど、我が身を犠牲にしてでも貧困にあえぐ子供達に寄り添う強き信念を持った女性であることを原作以上に印象付けられ、感じ入るものがあった。
ただ単純にインパクトという点では遥かに原作よりも弱かった。映像作品である分、制限がより強くなってしまうのは仕方がないが、原作は映画よりも遥かに目をそむけたくなるような凄惨な描かれ方がなされていて、特にエイズを発症して捨てられた子が地を這って故郷の村にたどり着き、肉親や村人からまるで家畜のような扱いを受けつつ息絶えるまでの描写の衝撃の強さは、全く映画の比ではない。
とはいえ、映画単体でもなかなか良い作品だと思いました。
これが現実。。?
人身売買、幼児売春、臓器売買と思いテーマを描いたフィクション映画。
映画としてはおもしろく見られましたが。。
なんとなくもやもやした気持ちになったので評価は低くなりました。(理由は後述)
日本人に心臓を提供する為に健康なタイの子供を殺す、という事を知り、目の前の子供が可哀想、という感情でただ突っ走って空回りするNPOの宮崎あおいと、そんなところはもう通り越して1歩引いてありのままを社会に伝えようとする江口洋介が対比的に描かれる。
さらに臓器を提供される側の日本人の子供の親、虐待される子供を管理するマフィアなど、
それぞれの視点が絡み、一概にお前が悪い、と線引きできないような複雑な心情、葛藤があるのはよかったのですが、そのあたりをもっと深くえぐって欲しかったように思います。
少し気になったのは日本人母親と宮崎あおいがヒステリックになりすぎていて、もう少し理性的な方がリアリティがあって良いと思いました。(バカに見える)
ただ、それをフォローするように母親に対しては父親(佐藤浩市)のセリフ、宮崎あおいに対してはキスシーンの描写があったため、そこは良かったです。
それにより宮崎あおいが成長したするのかなと思ったけどそうでもなかったように見えましたが(笑)
そしてラスト。
もっと大きな問題、深いテーマを扱っているのになぜ個人の小さな問題にしちゃうのかなあ、と思いました。
日本人に他人事ではない、と思わせる為っぽいですが、ラストがなくても他人事、と割り切るほど観客に想像力ないとは思わないし、思う人はこのラストでも他人事としかと思います。
最初に言ったモヤモヤしたこと、ですが、
インタビューやレビューを見るにこれが「タイの闇」、「あなたが知らない現実」つまりドキュメンタリーという観方、伝え方をしているのが気になりました。
どこまでが現実でどこからがフィクションなのかがわからない。
例えば、この映画に取材協力されたという医師の話では日本人がタイの子供の臓器を移植、しかも生きたまま、という事実はないそうです。
(ここが違うとしたら以降はただの勘違いです。)
実際には知らないだけであるのかも、とは思いますが、この映画は取材を重ね、裏をとった事、つまり江口洋介のやっていた事をやろうとしているようと思ってました。
一番ショッキングな出来事がフィクションというのがなんともモヤモヤしてしまいました。
おそらく、人身売買、幼児売春、臓器売買は世界中に、なんなら日本にもあると思います。
その行為が悪なのは当然としても、スパッと勧善懲悪で解決出来ない大きく深い問題も孕んでいることと思います。
そこをもっと深堀したものを観たかったです。
フィクションを勝手にドキュメンタリーのように捉えた私が悪いのですが。
「主人公の闇」は必要?
人身売買という題材や生々しい描写は見る価値があった。
気持ち悪いおやじが少年を買ったり、買われていた少年が大人になって仲介人をしていたり、
さらに売春した子供が病気になり使えなくなったらごみ袋に入れて投棄するのは衝撃的だった。
ただ、そこにストーリーが上手くはまっていなくて残念。
特に最後、主人公が過去に少年を買った、という事実がわかるが、、。
もし主人公もペドフィリアであるなら前々からそういったヒントをわかりやすく入れるべきではないか。
私がみた感じでは、そのシーンがいきなりすぎて、江口洋介の絶叫も興ざめでした。
あと妻夫木君のカメラマンがやっぱり仕事やります!とタクシーから降りる下りもクサすぎる。
ラストに向かうに連れて、ストーリーが収束せずまとまりが感じられなかった。
映画にするなら軸に沿った何かしらの結論のようなものを提示してほしい。
半ドキュメント的に見るにはいいのかなと思う。
知らなければならない現実
重たいテーマではあるが、かなり覚悟してから観たので、それほどの衝撃はなかった。しかし、少なくともこのような残酷な現実があることを我々は知らなければならない。
特に臓器売買については、子供を生かそうとする日本人の夫婦の気持ちを考えると、こちらも考えさせられる。その夫婦の家での恵子の叫びは、理想のみ振りかざしているお譲ちゃんのようだった。
ラストは分かりにくく、南部は泣き崩れた後、どうなったのか?泣き崩れるのと並行して流れる車の爆発と何か関係があるのか?
エンディングのサザン曲はテーマにマッチしていて良かった。
この映画には、いま描かれるべき葛藤がある
梁石日の同名小説を阪本順治が脚色・監督したサスペンスドラマ。タイで行われているであろう幼児の人身売買と臓器移植の闇に日本の新聞記者が迫っていくストーリー。お説教クサい内容ではあるが、東京のサラリーマン家庭の子供がタイの子供の臓器を提供してもらい移植手術を行うという段になると、タイ人の子供の命をとるか、日本人の子供の命をとるか、という大きな葛藤が浮かび上がり、俄然盛り上がってくる。
最近の邦画でここまで大きくシリアスな葛藤が描かれることは滅多にない。この葛藤を描いただけでも価値のある映画となった。
闇から光ある世界へ。
観るに耐えられないというのは、こういうことなんだろうと
この作品を観ていて思った。
どこにも救いがない。こんなことが平然と行われているのに
自分はただ観ているだけで何にもできない。
なにかに押さえつけられたような息苦しさを感じながら、
こらえようのないジレンマに苦しめられる作品だった。
原作は未読だが、よくこれを映画化したものだと思った。
フィクションではあるものの、かなり現実を踏まえており、
私たち日本人も、どこかで関わる可能性があるともいえる。
子供が生まれる。ということは今まで喜びではなかったか。
どうして子供達がこんな扱いを受けなければならないのか。
昨今の日本の性犯罪を見ていても、子供は大人の玩具か?
と思えて仕方がない。他人を喜ばすために提供されるのが
子供の身体や臓器だなんて、私は思いたくない。
でも、こんな悲惨な事実から目を背けてはいけないのだ。。
冒頭からフラッシュバックのように南部(江口洋介)の頭を
かすめる映像が、なにを示しているのか最初分からなかった。
…それがラスト。あぁ~そういうことだったのかと、
もちろんショックはそれだけではなかったが、またもや
やるせない、、そんな気持ちだけを残してこの作品は終わる。
誰が正しい。とか、どうすればいい。とか、簡単に答えを
出せない問題だからこそ、なんとかならないもんだろうか。
そんな作者側の意図がアリアリと見えてくる問題作だった。
そしてやはり親の立場として考えてしまった。。
梶川(佐藤浩市)の息子が、もしも自分の息子だったら…。
それで命が助かるのなら、見えない闇なら見ないままで
そのことだけに心血を注ごうとしてしまうんじゃなかろうか。
泣き叫ぶ母親(鈴木砂羽)を見て、ますます混乱してくる。
そこへ付け込む悪徳組織がある限り、無くならない問題を
どうにかするためには、命を張るくらいの覚悟が必要なのか。
音羽(宮崎あおい)は、子供達をどうするんだろう。
与田(妻夫木聡)は、今後なにを撮り続けるんだろう。
(席を立ったあと、トイレまでの足取りが重くて仕方なかった)
NGO、所詮、自分探しなんだろ?
映画「闇の子供たち」(阪本順治監督)から。
「NGO」を辞書で調べてみると、
(nongovernmental organization) 非政府組織。
平和・人権問題などで国際的な活動を行っている非営利の民間協力組織。
現在もNGOのメンバーとして、世界の各地で頑張っている人にとっては、
ちょっと観ない方がいいかもしれない。
そんなのおかしいです・・と大声で正義感を訴えたあと
「NGOってのは、みんなああなのかね」と言われてしまう。
平和を声高にすればするほど「NGO、所詮、自分探しなんだろ?」
と相手にされず、
マスコミ取材は、NGO職員が随行するだけで、
「なんでここにNGOがいるんだ」と叫ばれ、怒鳴られる。
最後には、現地でも「NGOがうっとうしい・・」と罵声を浴びてしまう。
もちろん、映画の中の話なんだけれど、
ただただ正義感だけで突き進むところ、段取り、根回しなどをしないところ、
NGOに限らず、こういう一失敗を恐れない直線タイプは、
今の時代に合ってないかもしれないな、と感じた。
この映画、どこまでフィクションで、どこまでノンフィクションなのか、
ちょっと考えさせられてしまった作品である。
この作品を殿堂入り出来ない理由
一ヶ月前は、劇場も限られ、常に満席状態。
無計画な私は三度も面会謝絶で
その度に、変な映画を変わりに見てしまいました。
公開劇場が拡大されて、ようやく対面です。
観終わっての感想は、観て良かった、
と素直に思えました。
ただし、明るい気分には当然なれません。
スラムの子供たちは親に売られ、
売春させられ、
病気になってしまうとゴミと一緒に棄てられてしまいます。
それを、
現実として受け入れなければいけない
国の事情があります。
ゴミに捨てられたけど、
何とか這い出し、人家にたどり着いた少女によって
幼女の買春組織が摘発されると思いきや
なんと、そこの人達は、かくまってあげるものの
隔離はなれみたいなところで、
結局死ぬのを待つだけの、見殺し状態。
これって、国民自体が
幼女買春の存在を知っているけど、
必要悪と思っている、ッてことですよね。
もっと凄いのは、
臓器移植のために
健康な幼女たちから臓器を摘出するってところ。
こんなシーンは紛らわしいので、
フィクションなら設定を変えたほうが良いのでは
ッて思っちゃいました。
タイで公開禁止になったのは
そんなわけなのでしょうか、ね。
それと、
江口洋介演じる主人公は日本人を代表する象徴なんだから
安易に
過去に自分もこのような行為の加害者でもありました
それを後悔して、
懺悔のつもりで、自殺します。
そんな、薄っぺらい終わりにしては、いかがなものか
って思いました。
それが、
素直に「殿堂入り」に出来なかった理由です。
我々も知らなければならない
タイを舞台にして暗躍する、人身売買,児童売春,そして臓器密売の闇社会を、阪本順治監督が暴きます。
貧困のため我が子を人身売買せざるをえない親。
売春宿の片隅の牢屋に監禁されている子供たち。
仲買人も子供に性的な行為を強要し、拒むと容赦ない暴力を加えます。
醜い外国人客がお気に入りの子供を指名して、宿の部屋へ連れて行きます。
ペドフィリア(小児性愛)と言われる性的倒錯であり、犯罪です。
そしてその客の中には日本人たちもいるのです。
先進国ではこのような幼児期を体験した子供は、解離性同一性障害や境界性パーソナリティ障害に陥ったりします。
しかしここでは、そこまで至ることさえ許されません。
エイズに感染した子はゴミ袋に入れられて、生きたままゴミ捨て場に放り込まれます。
元気な子は臓器密売のため、初めてきれいな服を着せられて病院へ行き、生きたまま麻酔をかけられて……。
タイNGOの恵子(宮崎あおい)は幼い純粋さで、子供の命を買う日本人に食ってかかります。
しかしそうやって個人を非難しても、問題は何も解決しない。
一人のタイの子供を救っても、また“予備”の子が用意されているのです。
そのシステムを明らかにしていかない限り、犠牲者は次々と生まれてくる。
新聞記者の南部(江口洋介)は、事実を見て、それを伝えるのだと主張します。
南部と恵子は同じ正義感を持ちながらも、行動への移し方が異なるため、両者は何度もぶつかり合います。
一筋縄ではいかない現実の中で、目的を実現していくための葛藤も、原作の人物と設定を変えた見せ場です。
我々観客も、映画を観て「知る」ことが第一歩として必要なのだと思います。
確かに知ったからといっても、一人で何ができるわけでもありません。
しかし知る人が増えてくれば、それは「世の中」としての力になっていきます。
その中から実際に行動する人たちも多く出てきて、現実に働きかけていくでしょう。
「すそ野」を広げることが、頂きの高さをせり上げていくのです。
それが作品やジャーナリズムの役割であると、僕は思っています。
阪本監督は児童虐待や性的搾取のシーンも決してオブラートに包むことなく、大人の醜悪さを映し出します。
それらは目を背けたくなるばかりです。
そのシーンを撮影する際、阪本監督はタイの子役たちの心のケアに神経をすり減らすあまり、声が出なくなってしまったといいます。
監督はこのテーマを、自分が安全な場所にいて告発するのではなく、自分自身に戻ってくることなのだと強調しています。
それを表現するため、原作とは異なった設定にされている南部は、ラストシーンで驚愕の過去が明かされます。
「自分を見ろ!」
阪本監督からそう言われたかのようなメッセージは、我々に痛烈に突きつけられて、胸を締めつけるのでした。
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