ラストゲーム 最後の早慶戦のレビュー・感想・評価
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父が心配そうに息子を見つめる姿を見逃すな・・・錯覚だったかも・・・
六十五年の時を経て永遠に語り継がれる試合がある。昭和十八年、戦局が悪化する中で、野球が敵性競技とされていた時代のことだ。四月に六大学連盟が解散させられ、九月には学生の徴兵猶予も停止され、、多くの野球部員が戦場へと駆り出されることになった。戦場へ赴けば生きて戻ってこれなくなる・・・選手たちは徴兵前に何とかして早慶戦を行って思い出を作りたかった。
慶應義塾の小泉塾長(石坂浩二)が早稲田の野球合宿所を訪れ、早稲田大学野球部顧問の飛田穂洲(柄本明)に試合を申し出るが、早稲田大学総長(藤田まこと)は頑として拒絶する。野球部員たちの熱き思いと飛田自身の思いが早慶戦開催させる物語なのです。
主人公は戸田順治(渡辺大:渡辺謙の息子)。彼の兄も野球をしていたが陸軍へ志願していて、自分の叶わなかった夢を弟に託す。父親には山本圭。いつもの印象とは違い、軍国主義にどっぷりと浸かった人物にも見えるという意外性。そして母親には富司純子。息子が出征することを誇らしいとは言えずにいたが、「立派な母親ではありません」と一気に自戒を解く台詞が感動的でした。
この戸田一家を中心に展開するものかと思っていたけど、順治と同室の黒川(柄本祐)の淡い恋、食堂の娘(原田佳奈)が部員の憧れの的だったという挿話などもあり、飛田の熱心な交渉と腹を決めた決断が“出陣学徒壮行早慶戦”開催に結びつくのが中盤における感動の頂点となっていた。もちろん、号泣できるのは試合後に応援歌、校歌を相手の応援団が歌うところ。
北京五輪における星野日本が世間や報道で非難轟々だったのですが、なぜここまで非難されるのか不思議でしょうがない。金を獲ること、強豪国に勝つこと。元々彼の強気な発言や豪華な職業野球人を揃えたことへの反動もあるのだろうけど、こうした非難こそ国力の顕示を求めた、いわば競技という名を借りた戦争といった印象が残ってしまう。野球そのものが平和の象徴であるとか、純粋に試合を楽しむといった原点を思い出させてくれるこの作品を観てしまうと、「試合を楽しむだなんて恥知らずだ。勝たなきゃ駄目」とのたまった、憎たらしい政治家の顔まで思い出してしまいます。
この実話の映画化は初めてなのかと思っていたら、一九七九年に岡本喜八監督の『英霊たちの応援歌/最後の早慶戦』で一度映画化されているようです。特攻隊を描いた部分もあるらしいのですが、今回の神山征二郎作品では戦争描写が最後に実写映像が出てくる程度。戦争の恐怖や悲惨さよりは、徴兵を余儀なくされる若者の理不尽さや、平和を願う人間愛を強烈に感じました。
渡辺謙の息子の演技は、卒は無いが強烈な印象もないといった感じ。山本圭や富司純子は見事に感動を与えてくれるのですが、それよりも際立った演技は柄本明。“一球入魂”という言葉を残し、学生野球の基礎を作った功績のある飛田穂洲という人物にも興味が出てきます。
【2008年8月映画館にて】
ブランド
最後の早慶戦がこんにちまで語り継がれるドラマとなっているのは、それがワセダとケイオウの話であるからに他なりません。
でなければ歴史の隅に追いやられ、何十年も経て映画化されることは有り得ないでしょう。
無関係のにんげんにとって「だからなに」や「それがどうした」になること──そんな疎外感を多くの日本人が、知っているのは、この国のほとんどの時事が東京の話題で占められているからだとわたしは本気でおもっています。
ご存知のとおり、この国の地方都市はどこへ行ってもシャッター街です。都市圏とイオンだけに人がいる国です。
たとえば新型コロナウィルス禍とオリンピック。とうぜん関係ないとは言いません。しかしどうでしょう。
まんえん防止や緊急事態宣言が、1ミリも関係ない地方が、この島には、事実上たくさんあり、そこにも大勢のにんげんが住んでいます。
オリンピックにしても、どこか地方に住んでいたら、恩恵も、受難も、なんにもありません。ばあいによっては東京オリンピックと言ったら市川崑の映画のことだと思う人だっているかもしれません。(冗談です)
この国でメインストリームの階梯を昇りたいばあい『ブランド』が重要です。(本気です)
どんな野望があるにせよ、賢明ならば、16か17歳あたりで「おや、この国、東京に出なきゃ話にならんぞ」と気づきます。東京はブランドです。そこに住むことはブランディングです。
ユーチューバーが稼いでいる現代では、勘違いしてしまう人もいますが、きほんてきに、いい大学へ行き、いい会社へ入り、出世することが、今もわたしたちの人生の王道だと思います。
出陣する学徒を壮行するエピソード、日の目を見なかった野球と戦争のドラマが日本中に星の数ほどあったに違いありませんが、後世に伝えられるのは最後の早慶戦だけです。
わが国の私立二大ブランドである「早」でも「慶」でもない人が、この映画を見る理由・根拠・由縁・事情がありますか?なんにもありません。「けっ、なにが最後の早慶戦だよ」と毒づきながら、見るほかありません。
で、思ったのです。
みんながウィルスで困窮している今、オリンピックの開催は、「早」でも「慶」でもない人にとっての早慶戦のようなものです。
じぶんに、いっさいの関わりを持たない東京以外の日本じゅうで「けっ、なにが東京オリンピックだよ」と毒づきながらオリンピックを見るんだろうな──と思ったのです。
伝統の早慶戦とは・・・
いきなりですが、この映画素晴らしいです!
基本は大学生が戦時中に野球をやりたいと言う内容
なんですが、心に訴えてくるモノがバシバシあります
戦時中のリアルな緊張感もあり映画に引き込まれる
伝統の早慶戦について私は何も知りませんでした
現代の早慶戦すら、単に六大学野球の1試合に過ぎず
早稲田は単にお祭り好きで、あの校歌を聞くと泥酔して
いる学生を思い出すだけ、慶応については印象すらない
だけど今回の映画で「伝統」の意味を深く印象づけられた
念願叶って戦時中最後の早慶戦のシーン、試合開始前の
両校の校歌斉唱には鳥肌が立ちました、これほどまでに
早稲田の校歌が心地よく聞こえた事は初めてでした
野球シーン1つ1つをとっても妥協が無くまさに戦時中の
野球、現代の野球とは道具、スタイル、ユニフォームまで
違っていて逆に新鮮でした、すごく緻密に作り上げてる
だけにもう少し長く試合シーンを見たかったですね
この映画最大の素晴らしさは、野球というスポーツの裏に
戦争の是非を問う壮大なテーマがあります
しかも今まで数ある反戦映画、戦争のありかたを問う映画
より優れているのは、ドンパチのシーンが本編には全くない
事です、銃声1つありません、、、
それでいて戦争の悲惨さを見ているこちらに投げかけてくる
こんな映画は初めてでした
これからは伝統の早慶戦はあの戦時中の試合があったから
今があると思いながら観戦しようと思います
野球映画という事で敬遠しがちな方もいるだろうが、まったく
そんな事はなくむしろ知らない方が純粋に楽しめる映画です
戦争映画じゃない。青春ドラマだ
第二次世界大戦中の東京。
早稲田と慶応の誇りであった大学野球、
「早慶戦」が、学生たちの徴兵によって中断をやむなくされた。
戦争という、狂気じみた時代の波に翻弄されながらも、
必死で早慶戦を復活させた大人たちと、
もうすぐ散る命の意味を、これまで生きてきた意味を
「野球」に賭した青年たちの物語。
とても重要だと思うのが、
この映画は「戦争映画」ではなく、「戦争時代を生きた人間たちのドラマ」
として作られたということではないでしょうか。
ヒューマニズムあふれる作品をたくさん作ってきた神山監督らしい、
台詞の数々が胸に響きます。
最近、はすに構えたりフザケただけの印象しか残らない
映画ばかりだったけれど、たまには、こういうふうに、
歴史的事実に正面から向き合った「まっすぐ」な映画
もないと・・・と思わせてくれる、とても良質な香り漂う作品。
鬼束ちひろさんの「蛍」がまたよく映画にマッチしています。
「その一瞬が、永遠だと
貴方は教えてくれたひと」
最後の一戦を、永遠に胸に刻んで逝った
青年たちのはかない光のようにも思え、
ふと胸の奥が温かくなりました。
実話だからこそ伝えたい!
野球に夢を追いかけた若者たちが、悲しくも強制的に出陣しなければならない戦時中の話。
死ぬのを知りつつも、わが子を戦場に送らなければならない親の苦悩。
大好きな野球を諦めて戦地へ向かわなければならない学生達の悲しみは、今この世に生を受け、平和ボケをしてる私にとっては、想像を遥かに超えた辛さだったんだろうと、とても悲しい気持ちになりました。これ、実話なんだもんねぇ(涙)
渡辺大さんって、渡辺謙さんの息子さんだとはね^^言われてみれば似てる♪似てる(笑)
監督さん曰く、エキストラの人数不足で、早慶戦の観客の中に、学ランを着て男子学生のふりをしてる女性が混ざってるとか^^よく見ればわかる・・・かもです(笑)
監督さん考案なのか、音楽が古めかしく、映画自体がちょっとレトロに感じてしまった。音楽はもっと斬新でもいいのになぁ~
富司純子さんと柄本明さんの迫真の演技がこの映画を締めてる感じですかね^^特に富司純子さんのシーンにはウルウルしました。
戦争でたくさんの命が失われた過ちを、二度と犯してはならない!!!そう願わずにはいられません。
7月15日ユナイテッド・シネマ前橋 試写会にて
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