カールじいさんの空飛ぶ家 : 映画評論・批評
2009年12月1日更新
2009年12月5日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー
虚構より実人生の尊さを謳い上げるラディカルなアンチ・ハリウッド映画
一見なんとも歪な構成に思える。冒頭、少年が少女と出会い結ばれ、日常に追われて夢叶わずに老いさらばえ、妻の死によってひとつの物語が終わるまでを10分程で見せてしまう。この叙情詩のようなモンタージュがあまりにも素晴らしく感動的なせいか、厳めしい老人となった主人公が、現実逃避の末に無謀な冒険旅行に旅立つ、アニメ表現の真骨頂ともいえるアクション描写が空疎で冗長なものに思えてくる。しかしやがて気づくのだ、これは途轍もなくラディカルなアンチ・ハリウッドムービーであることを。
主人公の夢とは、1930年代に映画館で見た冒険家に憧れ、南米の秘境へ旅することだった。ようやく訪れたその地では、娯楽映画の常識を破る展開が待ち受けていた。そして、冒頭に凝縮されたつつましやかな暮らしこそが、真に冒険的だったというテーマがそそり立つ。人生最期の相棒となり偏屈な老人の心を開くのは、「グラン・トリノ」よろしく冴えないアジア系の少年。マーチャンダイジングよりも今を生きる作り手たちの感性を重視するピクサーは、初めて人間を主人公にするに当たって、社会のメインストリームから追いやられた庶民に光を当てるという冒険に出た。
メディアに煽られた20世紀的熱情はまやかしにすぎず、きらびやかな虚構より、地に足の着いた実人生の尊さを謳い上げる。邦題はいかにもジブリ的だが、原題は「UP」。上昇志向の果て、あてどもなく遠くまで来てしまった我々も、そろそろ空飛ぶ家に別れを告げなければならない。
(清水節)