ハプニングのレビュー・感想・評価
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シャマラン低迷期
監督自らも認めているが、ちょうど低迷期真っ只中に製作した作品。恐怖の連続から始まる冒頭から、渦巻く謎などはシャマランっぽく感じるが、中盤以降は彼の良さがこれっぽっちも出ていない。
「シックス・センス」で描いた、観賞後にもう一度観たくなる展開や、「ヴィレッジ」で描いた意味が分からないがもう一度観て謎を解いていきたくなるような、あの探求心を与えてくれる魅力が無かった。ラストも特に捻りがある訳でもなく、衝撃のラストと謳われた割には薄い。それよりも夫婦二人を待ち受けた最後の展開が謎過ぎる。
ただどうしても避けられない「それ」から逃げるべく、人々が動く様はなかなかグッと来た。そこは評価したい。
起承転結のうち、承の真ん中へんまでは面白かった
とにかく“何か”が起こっている異様な雰囲気までは、面白く見れた。
ところがだ、素人が適当に何か言った事が、いつの間にか物語的に正解になっている。
シャマランの監督作品を数本続けざまに見る機会があったが、どれもこれも、いつの間にか推理じみた事を適当に言ったモノが「正解」っぽくなっている。
とにかくミステリーっぽい雰囲気で中盤まで進むが、ヒントらしきモノが中途半端にちりばめられている。
だが中盤以降に失速するのは何時もの通り。
大きな問題の語り口を、非常に狭い身近な問題で語り、結局は何にも分からないで収束する。あっちこっち少しづつ囓っているから、どの部分でも不満が残る。
雰囲気とか語り口とか、面白い部分は少なくもない。だが結局はよく分からん、としか言い様がない。
だがその雰囲気やら語り口でファンもいるのだろう。
よく分からないで人が死んでいき、訳も分からず逃げ待とう人々、というワンポイントを徹底すればミステリーホラーとして非凡な物にもなり得たろうが、意味があるのか訳の分からん謎解きをチョコチョコ入れるので、分かったような分からないような半端な気分になる。
「世にも奇妙な物語」をむりにひきのばして、明後日の方向に肉付けしたような感触。
これで主人公が魅力的ならいいが、教師ではなくて生徒のような未熟さが目立つ。そもそも夫婦の設定が雑音(ノイズ)が大過ぎて、なんでこんな設定にしたのかも不明。
ミステリーなのかホラーなのかSFなのかロードムービーを気取りたいのかも不明。そうして無理やりエコっぽいテーマで帰結するのもな。
でも雰囲気が嫌いじゃないので、またこの監督の作品を無理しない範囲で見たい。
謎は謎のまま…
或る日突然、人間たちが次々に死んでゆく現象が起きたとしたら…。
逃げ惑う人々は、不安だからと群れをなしてしまいますが、それが逆に仇となって死んで行きます。
少人数で行動することが唯一の対策だったはずでしたが、そう簡単に行かないのが恐ろしいところです。
空気中に漂う恐ろしい猛毒を想像すると、どうしても放射性物質を想像してしまいます。
人間を簡単に抹殺できる自然の脅威に、自然の偉大さと人間の無力さを感じます。
タイトルなし
環境破壊に怒った植物達が、自殺を誘導するフェロモン的なものを発生させ人類を滅亡に向かわせるお話。
人類滅亡の話にしては弱いし、ホラーにしても弱いかな。。。モヤっとして終わった。
どちらが追ってるの?
この映画で一番心に残ったのは
おばあさんのこの言葉ですね。
お互いの瞳が同じ愛が注がれることはない
みたいなこの言葉
恐怖感も少なめ、あまり感情が入ってこない
パニックに陥る様子があまりなさげ
婆さんの家でのシーン
ゾンビ映画にでもなったのかと思いました
グロいというほどのものでないけど
ライオンに腕を切られるシーン
扉の前で撃たれるシーン
痛いのはここかなぁ
木が、植物が、
怪物かなにかにでも見えてくるのだろうな
むむむむむ?
私には難しいぞ。。。
でもこの自然が原因のなにかという得体の知れないものは分からないのだよ。という。それがキーワードで、その分からなさを表現しているのかもしれないと考えると非常に深いように感じる。
だからどうなったの⁉︎?‼︎?
これは…なんていうか
スッキリしません。環境破壊を人類が
しすぎて、植物?かなにかが有毒物質?を
出す的な物に進化⁉︎?して風で運ばれ
それに当たると死ぬ…‼︎?
で、局地的なもので
時間が過ぎればだいじょぶだぁ!って…
そして主役のご夫婦は
最初こそ険悪っていうか、倦怠期?なんだろうけど
お互いプラス子供1名で
なんとか助かり、めでたしめでたし。
奥さんも子供を授かりなんたらかんたら。
別の地域でまた…。みたいな。
まず、謎が根本的にわからない。
結局環境破壊的なものを訴えたいのだろうけどだとしたら夫婦の倦怠期はいらない。
何を伝えたいのかボヤける。
しかも風が吹いて空気感染とか
そのへんもボヤっとしてて危機感があまり感じられない。
とゆうか、もうとっくに感染してるのを疑うべきだよ!
そして助かりました。では納得いかない結末だった。
妙に現実っぽい
この映画を見ているうちに絶対あり得ないと思いながらももしこういうことが起こったら自分ならどうするかと真剣に考えたりするようになった。この映画は自然が人間に対して猛威をふるうという映画だか、自然だからこそそれ故に恐ろしさが増してくる。人間がどうあがいても解決できないものほど怖いものはない。原因がわからず人間がどんどん自殺していく状況に陥ったら自分はどうするか、考えただけでも恐ろしい。自然との共存が大切だよ、というメッセージも強くこの映画でアピールできていると思った。
ラジー賞ノミネートに納得
はっきり言ってどこが面白いのこの映画?
最初のミツバチの話は関係なくなるし…避難の仕方めちゃくちゃだし…結局人々が死んでいく原因が最後まで分からないし…
避難しているところを見ても馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。
唯一怖さだけは感じた謎のパニック映画!
ズーイーデシャネルはとてもかわいい。
個人的にすごく好きです。(英語版を推奨)
一番最初に日本語吹き替え版で見たとき、他の方々が思うような理由でこりゃあひどいや、と思いましたが、英語音声の英語字幕で見るとすっかりはまってしまいました。住人たちの声のトーンも主役たちの話し方もまるでニュアンスが違ったのです。
最初にそこに映画的な、劇的刺激を求めてみた時分は実につまらないとおもった箇所でも、実はそれが現実をより簡素に表明(その現実が監督の思う妄想であっても)ためであったと思えたのです。
具体的な例では、主人公の二人の頬についぞ涙が流れることはなかった点です。それを最初は気合の無い演技だと罵りたくなりましたが、やはり二度目にはそれをある意味、大袈裟でないとも感じたのです。ニコール・キッドマンのハキハキとした顔の動きをつい先日思い出してたからかもしれません。
主人公の2人について、互いの軋轢の描写から、仲直りまでの直接的な描写まではまとめても10分程度しかないでしょうから、確かにそれは一説には描写が甘いとも、粗いとも言えるかもしれません。
しかし、個人的には2人の抱える問題は一般性を持っていて、学ぶことも多かったとおもいました。薬局の美人の話は私には、主人公の優しさと、相手への免罪を象徴するものとしてとても心に残ったのでした。淡々として無機質なセリフでしたが、そこには自分の葛藤をしつつ相手へ手を差し伸べるものとして、リアリティーを感じました。
劇中のテレビで繰り返されるテロへの恐怖と、政府への不信感は、もしかすれば監督がそう感じているか、あるいは大衆の感情に共感を狙ったものなのかもしれません。一方でそれを単なる恐怖に先導されて、事実を受け入れられない大衆の姿だとみせしめているようにも思うのです。
子供に銃を撃つ男性の老人はアメリカのような自己防衛意識の高い国においては(加えて年をとり頑固で、外部からの接触を嫌うようなああいった集落で、そして何より極限状態では)むしろ至極現実的とも思えるし、そういった一般大衆の人間の弱さや自分勝手さを周りにちりばめて、主人公に理性的で平和的な人物の理想像を示そうとしたものに感じました。そこには、主人公の意見がTVの中の博士の言葉と一致すると言う都合の良すぎる部分がありますが、やはりそれなりの意味を持っているようにも思いました。
ヒステリックな老婆はつまり、若いころに夫を戦争で失くしたのでしょう。その絶望感と社会が自分から夫を奪ったことに対してのやるせなさから、ああなったのは十分にうなづけることでした。女の子の手を叩いたのも、ある種自分が娘を欲しかったのに手に入れられなかったことの悲しみや、あるいは他人の娘への嫉妬があったものに思います。
自殺に走るという行為は、人間が突然発作で死ぬことよりもインパクトがあり、我々に恐怖を与えるのであると私は断言します。それはいきなり血を吐いて死ぬより、大きなサメに食いちぎられるよりずっと人が拒むのであり、道徳的にも精神的にも人が最も嫌う死の形態であるからです。
もちろん曖昧な部分はたくさんあります。煮え切らないような不条理さや、都合の良さが随所にあることは言うまでも有りません。しかし、私はそれら全てを含めても、監督が意図したにせよいないにせよ、多くのメッセージを感じました。むしろ大衆に対しての自己への認識を促し、現代への警告として、あえて悲劇的にも喜劇的にも書かず、同情を得ない仕様にしたように思うのです。それは或いは、私が幸せな人間であったのかもしれませんし、深読みが過ぎたのかもしれません。事実、アメリカでも人気は薄かったようですから。
最後になりますが、個人的には作中のどの人間も日常生活で隠されがちな悲しみや利己性、弱さあるいは強さを描写したものであり、人間への鋭い洞察を試みたものとしてとても面白かったです。
ただDVDのパッケージでも予告でも(もしかしたら監督自身も)、この作品をアクションやパニックホラーと同じ棚の隅に置くような宣伝の仕方しかしていないことと、それ故に作品・監督に対する人々の既存の固定観念と期待が全ての「具」を土葬してしまったものと思います。
ちなみに、やはり三度目に日本語版でみても、確かに不完全なホラー要素以外に何ものも持っていなかったように感じました。
気軽に見る事はできると思う
シャマラン監督だという事、見てだいぶ後でわかった
っていうくらいシャマラン監督らしくない作品でした
聞いたら確かにって思うような感じではあったけど
設定は小難しいというよりは謎のままだけど
話としてはすごく単純です。
ホラーというよりはミステリーでしょうか
突然、人々が自殺をはじめる
その原因はテロのウィルスなのか?病気なのか?
謎が謎のまま人々は安全な地を求めて走り回ります。
走り回っていくうちに少しずつ謎が解明されていく
その話の展開は面白かったです
終始、ご都合主義と救いがない脇役たちって感じが全力全開だったので
残念ながら見終わっても何も残りません。
とりあえず最後まで見れたので3点にミステリーの展開としては上出来なので+0.5
曖昧さの誤解
植物原因であることは理解できるし、どちらかと言うとラストは良い。しかし、オチがどうこうというよりも脅威となり神経に影響を与える基準が曖昧過ぎる。
そして、明確にしない脅威が恐ろしいと考える人もいるかも知れないが、これはゴーストでなければエイリアンでもない、現実に起こり得る恐さを表現しているのだから、このまとめ方は納得できない。しかし、現実的にまとめ過ぎてもつまらないし、そうすればいま以上の伏線と展開が必要。その逆を考えるならば、まったく意味の分からない原因でコトが動いた方が新鮮だ。
つまり、この作品は中途半端過ぎる進行とエンディングで構成されているように感じた。また、殺し方(死に方)も演出的にしたいのかリアルに見せたいのかハッキリさせてほしい。
俺たちに明日はあるのか。
オープニング。ビルから大勢の人が落ちてくる。鈍器で頭を殴られたような衝撃。なんなんだ。この不条理。解明されるのか。
これはシャマラン監督、初のホラー作品と言っていいかもしれない。
正常な人間が、ある瞬間、突然にしゃにむに自己の命を断とうとする。人間の理解を越えた話だ。
いろいろな案が提示されながら、生き残る人と死ぬ人の区別は全く分からない。
でも、実は人間が分かる事など微々たるもので、よく分からない世界で平静に暮らしているのだ。日常が微妙なバランスで成り立っている事に気づかされる、恐ろしい話だ。
シャマラン監督のファンの中には、全部説明される事に慣れている人がいるが、たまには、こんな打ち上げっぱなしの話もいいではないか。考えても実は、答えがない。答えは必要ない。思うに、作品内の情報は全てフェイク。答えの出せない人間が考えたものが、答えに直結している訳がない。
世の中は不条理。不条理こそホラー。我々はホラーの世界で生きているのか。
まぁ、怖かったで済ませましょう。考えすぎると心を病んでしまいそうだ。
ミツバチがいなくなったら人類の寿命は4年なんだよ
なにか原因不明なものが原因で次々と自殺するようになっていく
大都市圏から村レベルまでだんだんと広がっていく
それが、植物が原因?と農家のおっさんが言ったとたんに植物からの風が危ないって決め付けちゃっていいんでしょうか?
ホラーともサスペンスともパニック映画ともいえない
ちょっと中途半端な感じがします。
特にオチも何もありませんし・・・・・
ちゃぶ台をひっくり返したくなるようなエンディングでした
2008年アメリカ映画。91分。「シックスセンス」以降、ほんとにパッとしないM・ナイト・シャマラン監督のナチュラル系パニック・ムービーでございます。少し前に、友人宅でだら~と観ました。
内容は、アメリカのニューヨークを発端に怪奇現象が全世界に拡がります。それは、急に人がなにかに憑依され自殺していくという現象。最初はテロ行為だと思われますが、それがどうやら違う。そして、そんな渦中の中、逃げる人々が描かれています。
パンデミックの恐怖を近視眼的に描いた作品で、ある種の密室的な怖さがあります。この点は、怖い物すきなわたくしは結構楽しめ、さらに謎解きもしながら、けっこう自信をもってエンディングを映画がはじまって1時間で推測しました。
というのも、この監督さんはいつもエンディングがドッキリ系なのだからです。しかし、フタを開けてみれば、その予想は外れました。もっと正確に言うと、とんだ肩すかしをくらいました。このエンディングのみで言わせてもらうと、本作は全然エンターティメントしていません。
なにかプレゼントをもらって、わくわくしながら開けたらなにも入っていなかったような感覚です。
こんなに腹が立った作品はなかなかないです。
独りよがりな怪作
自ブログより抜粋で。
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前作『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006年)に続いてまたしてもM・ナイト・シャマラン監督の独りよがりなトンデモ世界観な怪作。
シャマラン監督作品で言うなら“オチのない『サイン』(2002年)”。他の監督作品でなら“話の広がらない『回路』(2001年、黒沢清監督)”といった感じ。
別の見方で例えるなら、よくある殺し合いゾンビものを自殺に置き換えただけ。
作品全体を包むシャマラン監督らしい異様な雰囲気は嫌いじゃないけれど、こういう投げやりな世界観は一歩間違うと映画的になんでもアリになっちゃうんだよ。
事件の原因は一応ほのめかしているけど、結局「なんで自殺?」という最大の疑問には答えられていない。それなのに見終わっての印象は「ただただ自殺のいろんなバリエーションを見せつけられた」だもの。
早い段階で「これはもう、風呂敷を広げるだけ広げて、たたまずに終わっちゃうな」って察しがついちゃった。
原因を明確にしないのがいけないんじゃない。シャマラン監督を一躍有名にした『シックス・センス』並のドンデン返しを期待したわけでもない。映画的に“自殺でなければならなかった”といえる必然性がまるで無いってことに疑問を感じるの。
映画を観た人ならわかると思うけど、ただ単にぶっ倒れて意識不明のまま死んでしまったって作品的にはなんら不足無い。
そこをあえて、“自ら死を選ぶ”にした理由付けは、劇中での推測でも触れられていないし、映画のテーマに結びつけて考えても理解不能。
思うに結局、見た目のインパクトを狙っただけなんでしょ。
仮にこれが「人間がじっくり二時間かけて液状化する」ゲテモノ映画でも、「人々が手当たり次第にセックスする」ポルノ映画でもよかった。「思いついた中で一番悪趣味なのを選んでみました」ってノリなんだろう。
そしてその理由付けは、「世界にはわからないことだってあるんだ」との開き直りで逃げちゃってる。
映画たるもの映像的なインパクトも必要ですよ。それは一理あるけれど、多種多様な自殺のバリエーションにどんな新発見やカタルシスがあるっていうのさ。監督自身が自分の毒に酔っちゃってるだけじゃないの?
恐怖より不安を感じた。
賛否両論だろうな~。
つまんないという人もいれば、良かったという人もいるようです。
冒頭の恐怖の始まりシーンは、良かった。
あれっ?? 周りの動きが止まったよ、と不思議に思っていると、急に異変が起きる。
いきなり、自分の首に髪飾りを突き刺して自殺する友人。
ビルの上から、次々と飛び降りる人々。
人間が、いとも簡単に死んでいく。
一体なぜ??
≪自然界のことは未知だから、必ずしも解明されるとは限らない≫
謎を一つずつ解き明かしていくのだが、不思議なことは不思議なまま。
謎をすべて明らかにしなくて、余韻を残すシャマラン監督の手法。
起承転結の≪結≫の部分が、ないのね。
これはこれで、ありですね。
途中、本筋とは関係のないところに、恐怖もあったりして。
最初の良かった恐怖がしりすぼみになってしまったのが、残念。
途切れない緊迫感
アメリカでミツバチが死骸も残さずに減少し続けている・・・
何故か?
教師がこんな問いを生徒に投げかけるところから
この物語は幕を開ける
【蜂群崩壊症候群】という実際に起こっている現象である
いまだにハッキリとした原因は解明されていない
なんだか不気味な【自然の怖さ】を感じる
この作品は そんな得体の知れない恐怖に満ちている
オープニングから突然 自殺を始める人々が続出する・・・
この人々の異常行動の原因は何なのか?
テロか 汚染か それとも・・・
今までのシャマラン作品とは思えないバイオレンス映像も多々あり
何が起こるか分からない緊迫感が最後まで続く
ラストのオチに不満タラタラな人のレビューをよく見かけるけど
【アレ】だから良いと思います
【アレ】だから怖いと・・・
シャマラン監督はデビュー作の『シックスセンス』が世界的に超ヒット
してしまった為に 2作目以降のハードルが有り得ないくらいに
上がってしまった可哀想な監督だ
やはりこの作品もあまりヒットしなかったし 良い評判も聞かない
だけど僕は かなり好きです
シャマラン作品を観る時 ラストの【ドンデン返し】を期待して
毎回ガッカリする人が多過ぎる気がする
そんなに『シックスセンス』的な意外なオチばっかりだと
逆に不自然というか リアリティーに欠ける
それに あんまり【ドンデン返し】を待っていると
面白い話も面白くなくなるというか・・・
その作品の訴えてる【大事なポイント】を見失う気がします
ラストにドンデン返しがありそうで無い事も【ドンデン返し】だと
僕は思うんだけど・・・
蜂の異変は日本でも。。。
この映画を観た理由は、
監督があの「シックスセンス」のナイト・シャマランという事と
主演がマーク・ウォルバーグだったということ。
観た時は「インデペンデンス・デイ」を観た時と同じような印象をもった。
正直に言うと、前半の出だしは立派だが、後半は腰砕け、
全然つじつまが合っていない、と。
だって、蜂が突然いなくなった理由は、
環境問題に憂えた植物たちの反乱だったなんて、
そんなこと誰も思いつかない。
ここまでは良いとして、
この問題が収まった理由が、まったく説得力がない。
でも、今日本でも蜂が突然死している。
その理由はまだ定かではない。
観た時と今では随分と、この映画に対するイメージが異なってきた。
だとしても、
そしてたとえ、シャマラン監督が預言者だったとしても、
しっかりとしたオチを考えて作品を作るのは
監督の義務だと、私は思う。
「驚愕のドンデン返し」を期待するのは未熟だと知るべし
「シックスセンス」は確かに巧妙な“オチ”があった。そして、次作以降も同じような“びっくり”を求める人は後を断たなかった。これがM・ナイト・シャマランの不幸である。
映画というのは元々いろいろなジャンルや語り口があってしかるべきなのに、ある種の物しか期待されなくなってしまったのだ。これはすなわち「驚愕のオチ」を求める客の未熟さを物語っている。そして、残念なことに「未熟な客」というのが現在の世界的なマジョリティである。
シャマランがやろうとしているのは『映画表現』をどこまで煎じ詰める事が出来るか?という高度なチキンレースである。
前作「レディ・イン・ザ・ウォーター」を鑑みれば明らかで、『世界の終わり』という壮大なテーマを低所得者向けのアパートの中だけで展開するという、倒錯したミニマルな演出であった。
ゴテゴテと装飾に彩られCGでつまびらかにされる、ブラッカイマーあたりの幼稚極まりない『世界の終わり』に比べ、極端に削ぎ落とされた世界は、ほとんど記号そのものが動きまわるような、今まで見た事も無い世界であった。
そして、「ハプニング」で描かれているのは『脅威』そのものの闊歩する風景である。
「ジョーズ」であれば巨大なサメが、「ボルケーノ」であれば噴出し地を覆う溶岩が脅威なわけだが、「ハプニング」における脅威の対象とは「脅威」という概念そのものである。
劇中では「ある種の植物には〜〜」というようなエクスキューズもあるが、明確にはされていない以上、マーク・ウォルバーグやズーイー・デシャネルが恐ろしがった物とは、やはり目に見えない「脅威」そのものである。
そして、たとえ目に写らない物であろうと「映画」は見せて表現しなければならない。その極限的な選択として「脅威」の概念は「風」で表現されているのである。死を運ぶ風は地をゆらすように響くBGMをしたがえ、恐怖をもって現れる。それが、映像的にはただ草が風にそよいでいるだけだとしても。
鑑賞者は、この、すさまじく映画的な瞬間にうち震える他なくなるのである。
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