「個人的にすごく好きです。(英語版を推奨)」ハプニング 飛べないミミズさんの映画レビュー(感想・評価)
個人的にすごく好きです。(英語版を推奨)
一番最初に日本語吹き替え版で見たとき、他の方々が思うような理由でこりゃあひどいや、と思いましたが、英語音声の英語字幕で見るとすっかりはまってしまいました。住人たちの声のトーンも主役たちの話し方もまるでニュアンスが違ったのです。
最初にそこに映画的な、劇的刺激を求めてみた時分は実につまらないとおもった箇所でも、実はそれが現実をより簡素に表明(その現実が監督の思う妄想であっても)ためであったと思えたのです。
具体的な例では、主人公の二人の頬についぞ涙が流れることはなかった点です。それを最初は気合の無い演技だと罵りたくなりましたが、やはり二度目にはそれをある意味、大袈裟でないとも感じたのです。ニコール・キッドマンのハキハキとした顔の動きをつい先日思い出してたからかもしれません。
主人公の2人について、互いの軋轢の描写から、仲直りまでの直接的な描写まではまとめても10分程度しかないでしょうから、確かにそれは一説には描写が甘いとも、粗いとも言えるかもしれません。
しかし、個人的には2人の抱える問題は一般性を持っていて、学ぶことも多かったとおもいました。薬局の美人の話は私には、主人公の優しさと、相手への免罪を象徴するものとしてとても心に残ったのでした。淡々として無機質なセリフでしたが、そこには自分の葛藤をしつつ相手へ手を差し伸べるものとして、リアリティーを感じました。
劇中のテレビで繰り返されるテロへの恐怖と、政府への不信感は、もしかすれば監督がそう感じているか、あるいは大衆の感情に共感を狙ったものなのかもしれません。一方でそれを単なる恐怖に先導されて、事実を受け入れられない大衆の姿だとみせしめているようにも思うのです。
子供に銃を撃つ男性の老人はアメリカのような自己防衛意識の高い国においては(加えて年をとり頑固で、外部からの接触を嫌うようなああいった集落で、そして何より極限状態では)むしろ至極現実的とも思えるし、そういった一般大衆の人間の弱さや自分勝手さを周りにちりばめて、主人公に理性的で平和的な人物の理想像を示そうとしたものに感じました。そこには、主人公の意見がTVの中の博士の言葉と一致すると言う都合の良すぎる部分がありますが、やはりそれなりの意味を持っているようにも思いました。
ヒステリックな老婆はつまり、若いころに夫を戦争で失くしたのでしょう。その絶望感と社会が自分から夫を奪ったことに対してのやるせなさから、ああなったのは十分にうなづけることでした。女の子の手を叩いたのも、ある種自分が娘を欲しかったのに手に入れられなかったことの悲しみや、あるいは他人の娘への嫉妬があったものに思います。
自殺に走るという行為は、人間が突然発作で死ぬことよりもインパクトがあり、我々に恐怖を与えるのであると私は断言します。それはいきなり血を吐いて死ぬより、大きなサメに食いちぎられるよりずっと人が拒むのであり、道徳的にも精神的にも人が最も嫌う死の形態であるからです。
もちろん曖昧な部分はたくさんあります。煮え切らないような不条理さや、都合の良さが随所にあることは言うまでも有りません。しかし、私はそれら全てを含めても、監督が意図したにせよいないにせよ、多くのメッセージを感じました。むしろ大衆に対しての自己への認識を促し、現代への警告として、あえて悲劇的にも喜劇的にも書かず、同情を得ない仕様にしたように思うのです。それは或いは、私が幸せな人間であったのかもしれませんし、深読みが過ぎたのかもしれません。事実、アメリカでも人気は薄かったようですから。
最後になりますが、個人的には作中のどの人間も日常生活で隠されがちな悲しみや利己性、弱さあるいは強さを描写したものであり、人間への鋭い洞察を試みたものとしてとても面白かったです。
ただDVDのパッケージでも予告でも(もしかしたら監督自身も)、この作品をアクションやパニックホラーと同じ棚の隅に置くような宣伝の仕方しかしていないことと、それ故に作品・監督に対する人々の既存の固定観念と期待が全ての「具」を土葬してしまったものと思います。
ちなみに、やはり三度目に日本語版でみても、確かに不完全なホラー要素以外に何ものも持っていなかったように感じました。
いい映画だと思いますよ。
利己的に走り、利他を考えない人達から死んで行く。
『報恩と感謝そして慈悲』の無い行為を続けた成れの果てあり
環境すら支配したつもりの人間族が植物という環境そのものから排除される。
現代人に対する警告でしょう。