「独りよがりな怪作」ハプニング かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
独りよがりな怪作
自ブログより抜粋で。
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前作『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006年)に続いてまたしてもM・ナイト・シャマラン監督の独りよがりなトンデモ世界観な怪作。
シャマラン監督作品で言うなら“オチのない『サイン』(2002年)”。他の監督作品でなら“話の広がらない『回路』(2001年、黒沢清監督)”といった感じ。
別の見方で例えるなら、よくある殺し合いゾンビものを自殺に置き換えただけ。
作品全体を包むシャマラン監督らしい異様な雰囲気は嫌いじゃないけれど、こういう投げやりな世界観は一歩間違うと映画的になんでもアリになっちゃうんだよ。
事件の原因は一応ほのめかしているけど、結局「なんで自殺?」という最大の疑問には答えられていない。それなのに見終わっての印象は「ただただ自殺のいろんなバリエーションを見せつけられた」だもの。
早い段階で「これはもう、風呂敷を広げるだけ広げて、たたまずに終わっちゃうな」って察しがついちゃった。
原因を明確にしないのがいけないんじゃない。シャマラン監督を一躍有名にした『シックス・センス』並のドンデン返しを期待したわけでもない。映画的に“自殺でなければならなかった”といえる必然性がまるで無いってことに疑問を感じるの。
映画を観た人ならわかると思うけど、ただ単にぶっ倒れて意識不明のまま死んでしまったって作品的にはなんら不足無い。
そこをあえて、“自ら死を選ぶ”にした理由付けは、劇中での推測でも触れられていないし、映画のテーマに結びつけて考えても理解不能。
思うに結局、見た目のインパクトを狙っただけなんでしょ。
仮にこれが「人間がじっくり二時間かけて液状化する」ゲテモノ映画でも、「人々が手当たり次第にセックスする」ポルノ映画でもよかった。「思いついた中で一番悪趣味なのを選んでみました」ってノリなんだろう。
そしてその理由付けは、「世界にはわからないことだってあるんだ」との開き直りで逃げちゃってる。
映画たるもの映像的なインパクトも必要ですよ。それは一理あるけれど、多種多様な自殺のバリエーションにどんな新発見やカタルシスがあるっていうのさ。監督自身が自分の毒に酔っちゃってるだけじゃないの?