トイ・ストーリー3のレビュー・感想・評価
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いちげんさんおことわりなのか
えー、まあ、おもちゃの主張が気持ち悪い。
ストーリー性のあるお遊戯はいいが、しゃぶられたり、たたかれたり、パーツを取られるのはイヤだとさ。
どんだけゆとりなのか。
思い入れ一切なし、どこかの映画評論家に影響することもなし。大人も楽しめる、感動できるとさ。
ないない。
ダッチワイフもおもちゃも消耗品であるからこそ、使えるときに輝く。どんなに次世代に引き継ごうが(ダッチワイフは引き継がないか)必ず捨てられる運命。
ウッディの屋根裏に戻るべきだという考え方は、その前提をしっかり認識した上で、ひっそり役目を終え朽ちていくことがおもちゃの生き様として、共感できるが、ただただ今をストーリー性豊かに遊んでくれることに執着しているおもちゃどもとの対比が単なる脱出劇までの流れでしかなく、結局このゆとりに流されて、普通にハッピーエンドで終わるようではなあ。
モノを大事にしましょうね、は分かるが、それじゃ大人は感動できないし、ましてはオレはおもちゃとの別れに感情を抱けないさあね。
と3だけ観たのなら、そういう風にしか感じないんだよな。1、2観てれば、違うのか?ゆとりに対する思い入れが。
あー、どっかの評論家サマが、リストラ労働者にかけてる、とか言ってたな。あれじゃリストラされるぜ。おっとリストラと言えば、マイレージ、マイライフもひどい映画だった。
素晴らしすぎる最高のラスト
1、2と内容はほぼ一緒。ただスケールは更にパワーアップして面白さを保っている。トトロが出てきたのはびっくり。
保育園という楽園、かと思いきや暴君たちの潜む魔境だったとは…しかも古参の人形たちが保育園でポーカーやってたり、夜は刑務所に変わっていたりとこのギャップがめっちゃ好き。アンディと一緒に大人になった当時の子どもだからこその演出の良さ。
2も修羅場だったけど、最後のマグマはやばすぎでしょ。手を繋いで最期を迎える覚悟を決める、、大人な演出だ。
そしてアンディとの別れ。アンディがずっとウッディたちを大切に思っていたこと、おもちゃを信頼できる子どもたちに託す決心をするところ、おもちゃの悲願だった一緒にアンディたちと遊ぶところ。全てが素晴らしすぎて、今でも涙が浮かぶ。
ウッディのラストのセリフ、心にこれからも残り続けるだろう。3部作として観ればこれ以上最高の終わり方はない。
共に成長してきた世代へ向けた感動大作
5の公開にあたり1から見直してから鑑賞したいと思い数年ぶりに鑑賞。おそらく3回目。
本シリーズは子供向け作品だが、本作に込められたメッセージは1,2公開当時に子供であり、トイ・ストーリーと共に同じ時間を刻んできた世代に向けたものであろう。私もその一人で、初見時には映画館でボロボロ泣いてしまったし、推定3回目の鑑賞となる今回も終盤は涙なしには観られなかった。
本作で描かれるのは2でもテーマとなっていた、「子供はいずれ成長しておもちゃを手放すことになる」という点だ。アンディの宝物たちは屋根裏部屋で遊ばれることなく永い眠りにつき、いずれ彼に子供ができたときに再び遊ばれることを夢見るが、紆余曲折あり保育園でたくさんの子供たちに遊ばれることを至上の喜びとして目指すことになる。
人間目線の考えのため彼らが本当にそう思っているかはわからないが、目的があって生まれたものである以上、どんなものでもその目的通りに使われることが彼らの幸せだろうとは私も考える。
もう遊ぶことはなくとも思い出とともに大切に持ち続けるのも、倉庫の中で再び日の目を見る瞬間を待つのも、悪いとは思わないがそれは使用目的を逸脱した持ち主のエゴである。おもちゃは「子供たちと遊ぶ」目的でつくられているのだから、遊ばれないのはかわいそうだ(これも私のエゴに基づく考え方だ)。
本作のラストでは、アンディは唯一大学へ持っていこうと思っていたウッディも含め宝物たちを知り合いの女の子に譲ることになる。一瞬躊躇しつつも、「大切にしてくれる?」と言いながら彼らを手放す。宝物たちとの思い出を胸に走り去るアンディの車を眺めながら、彼らもまた思い出を胸に新天地での活躍に精を出す。
人間とおもちゃとに限らず、別れの時は必ずやってくる。いつまでも既存の関係性に固執するのではなく、思い出として糧にしながら新しい役目を全うするのがお互いのためにも、そして新たな出会いのためにも必要なことだ。もちろんそれが寂しいことは言うまでもない。
私はこの後公開された4を映画館で観ることがなかったのだが、本作でのこの別れの描き方が劇的で、「私自身が過ごしてきたトイ・ストーリーという作品との思い出に終止符を打った」ような気持ちになったことは非常に大きい。リアタイ世代の私たちにとってアンディは私たち自身といって差し支えない。
そんな大切な思い出を昇華して素敵な別れ方をさせてくれた本作だからこそ、止め処なく涙が溢れてくる。時間の経過という前提がある以上子供向けとは言い切れないかもしれないが、それでも私たち世代のために作られた本作を観賞できたことを嬉しく思う。
ただ、やはりその反面「子供向けであってほしい」という観点では前2作と比較して大人向けの作品である。
個人的にはロッツォが最終的に救われず(その後を知らないため断定はできないが)磔のような状態で今後を過ごすことになるというのは悲しいな、と感じてしまう。
2のNGシーン集でプロスペクターを救ったのと同様に、子供向けにロッツォを救う描写が欲しかったと少し残念に感じてしまうのは、私の中にもまだおもちゃたちを信じる子供心があるからかもしれない。
You've Got a Friend in Me
本作は、最後までしっかりヴィランに徹したロッツォベアとか、ホラー感マシマシのビッグベビーにサイコ感マシマシのわんぱくスージーとか、後のシリーズに大きな影響を及ぼす(といっても今作を観たときはまさか続くとは思わなかったですが)ボニーの登場とか色々と掘りどころ満載なんですけど、結局のところは使わなくなってしまったモノにいつまでも執着するのではなく、適材適所に配してあげるほうが人もモノも幸せになれるのではというピクサーなりのメッセージであり、つまりは子供向けアニメの体を成しているけれども実はいつまでもモノに固執してしまう私のような大人にこそ見て欲しくて作られた作品なのではないかと思っています。
だから私は、最終的にあれほど大切にしていたウッディすらも手放す決断を下すことのできたアンディの行動力に感動するのであって、毎回涙してしまうのです。
トイ・ストーリーは、それは4や5にも色々と良いところはあるのだけれども、やはり私はこの3で終わっておくのが一番美しかったと思います。
ピクサー渾身の挑戦作
トイ・ストーリーシリーズ最高傑作と謳われる一作。毎度のことながらCGの進化が著しい。個人的には世界観が広がりすぎておもちゃとしてのルールやテーマのシンプルさが失われていると感じた。また、ロッツォが受けた罰が足りないのでは? と思えてしまいピクサーの原則とも言える勧善懲悪が分かりた。
シリーズ最高作品
トイ・ストーリー5鑑賞きっかけで1・2に続き3
多くの人がシリーズ最高作品というだけのことはある。
お話の展開はハラハラ、ドキドキもありながら美しいエンディング。
チーム・アンディ・トイの結束力はより強固なものとなり、各キャラクターも無理なく噛み合っている。
しかし子供たちの成長とともにおもちゃの寿命は終わる。
今作は上手に次世代にバトンを渡せた好例。
シリーズの完成度を考えれば今作をエンドにしたら良かったのでは・・・と、これも多くの人が言っていること。
シドのカメオ出演(ネット情報)
アンディのお母さんが、ウッディたちの入ったゴミ袋を出してしまう場面で、ゴミ収集車がやってくる。
運転手ではなく、ゴミを回収している作業員が成長したシドとのこと。
子どもの頃と同じドクロのTシャツでヘッドホンを付けてロック音楽に合わせてノリノリであごひげを生やしているのが彼らしいです。
色々考えてしまいますよね。
子供はいつか大人になる
プリックルパンツ
優しさに満ち溢れた“別れ”は、シリーズの集大成にして到達点
【イントロダクション】
前作から11年。大学進学を控えたアンディは、ウッディやバズといったオモチャ達をどうすべきか選択を迫られる。
前作で提示された「子供の成長とオモチャとの別れ」というテーマを、シリーズ当初からの観客の子供達と対応させて描く為、前作から10年以上のスパンを開けての製作となった。また、当初は本作を持ってシリーズの正式な完結編となる予定だった。
監督は『リメンバー・ミー』(2017)のリー・アンクリッチ。脚本に『リトル・ミス・サンシャイン』(2006)のマイケル・アーント。
【ストーリー】
前作から長い時が経ち、アンディは成長し、大学進学を控える身となった。大学寮への引っ越し作業を進める中、アンディはかつてのお気に入りのオモチャ達を大学寮に連れて行くか、屋根裏部屋に仕舞うかを決める事になる。考えた末、アンディはウッディだけを大学行きの箱に入れ、バズ達を屋根裏部屋に仕舞う事に決めた。ところが、手違いによってバズ達の入った袋をアンディの母がゴミとして捨ててしまう。アンディに捨てられたと誤解したバズ達は、一部始終を見ていたウッディの説得も無視して、地元の託児所である「サニーサイド保育園」に寄付される箱の中に逃げ込み、ウッディもまたサニーサイド行きの車に閉じ込められ同行する事になる。
サニーサイド保育園に着くと、バズ達は保育園のオモチャ達から歓迎を受け、オモチャ達のリーダーであるイチゴの匂いのするクマのぬいぐるみ・ロッツォから保育園の説明を受け、バズ達は保育園に残る決意をする。ウッディはバズ達の決意を覆せないと観念し、アンディの元へ帰るべく1人でサニーサイドを去る決断をする。しかし、帰宅途中でトラブルに見舞われたウッディは、内気な幼い少女・ボニーに拾われ、彼女の家へと連れて行かれる。ボニーに遊んでもらったウッディは、久しぶりにオモチャとしての歓びを思い出すが、その夜、かつてサニーサイドに居たピエロのオモチャ・チャックルズからサニーサイドの真実を聞かされる。
一方、保育園に残ったバズ達は久しぶりに子供達に遊んでもらえる期待に胸を膨らませていたが、彼らが案内されたのはまだオモチャ遊びを理解していない年少の「イモムシ組」だった。子供達は乱暴にバズ達を扱い、彼らは1日で辟易してしまう。バズ達は、自分達もロッツォ達と同じく年長の「チョウチョ組」に配属してもらえるよう話を付けに行こうとするが、そこでロッツォの柔和な態度が偽りのものであり、実際はバズ達に過酷な年少の子供達の相手を押し付けていた事を知る。
チャックルズによると、ロッツォはかつての持ち主に自分や赤ちゃん人形のビッグ・ベビーと共に手違いで置き去りにされてしまった。彼らが必死の思いで家に辿り着くと、既に持ち主の腕の中には新しいロッツォが抱き抱えられており、その事に絶望し歪んでしまったロッツォは、サニーサイドへ流れ着くと恐怖政治によってオモチャ達を支配し君臨するようになったのだ。
ロッツォはバズの背中のリセットボタンを操作して手下にし、ジェシー達を檻に閉じ込めてしまう。サニーサイドの真実を知ったウッディは、バズ達を救出すべくサニーサイドへ向かう事を決意するのだった。
【感想】
前作から10年以上のスパンが開いた事もあり、まず何よりもCG技術の進歩に目を惹かれる。序盤でギャグとして描かれる、すっかり老犬となったバスターの姿も、その毛並みや弛んだ腹肉の描写のリアルさは、ペットを飼った経験のある人ならば分かると思うが、一種の「悲しみ」を表現する事にすら繋がっているから凄い。
更に凄いのが、前作と比較しても格段に増えたサニーサイド保育園での多種多様なオモチャ達の姿だ。製作費が前作から倍以上になった事もあるだろうが、ぬいぐるみからフィギュア、人形、車や電話に至るまで、そのバリエーションの豊かさは技術の進歩あってこそだろう。
そんなバリエーション豊かなオモチャ達の中でも、本作のヴィランであるロッツォのキャラクターが良い。シリーズの集大成に出てきたヴィランは、まさにシリーズ最大の悪なのだ。
「あの子には自分が必要なんだ!」と信じて過酷な帰路を辿ってきたにも拘らず、既に持ち主の女の子は別のロッツォを手にしていた事で、「代わりはいくらでも居る」と絶望し、暴君へと変わり果ててしまった彼はいわば、ウッディのダークサイドだ。悲しいのは、女の子にとってはロッツォが本当に大切な存在だったからこそ、新しいロッツォを手に入れたという事だ。
歪み切ったロッツォは、サニーサイドのオモチャ達の首領として、恐怖政治によって保育園を支配するようになる。ゴミ処理場で自らを助けてくれたウッディ達を裏切って去って行く姿まで、徹底して悪役のままなのも良い。
もう一つ、私が本作、もっと言えば本シリーズを通して評価したいのが、ヴィランの末路についてだ。
「1」のヴィランであったシドは、ウッディの機転によってオモチャ達の真実を知り、「3」ではゴミ収集の作業員として働いている。
「2」のヴィランであったプロスペクターは、子供嫌いで博物館での展示を希望してウッディやジェシーを巻き込んだが、空港にてメイク好きな女の子のリュックサックに収まって始末また事で、大嫌いな子供にオモチャとして扱われる未来が想像出来る。
そして、本作のロッツォはゴミ収集車のフロントに磔にされ、まるで『マッドマックス』のような結末を辿る。
そう、どんなヴィランにも(人間であるシドは別としても)、廃棄処分や破損といった結末ではなく、ある意味更生の余地を与えて世に放つのだ。この辺りのバランス感覚は、子供向け作品であるディズニーとピクサーの塩梅なのだろう。
個人的には、アンディと大差ない年齢であったはずのシドが、アンディは大学進学の道に進むのに対し、シドは家庭環境故か既に社会人として働いており、その作業内容からも低所得者であろう事が伺えてしまう残酷さがリアルだと感じた。
そんなロッツォの支配から解放されたサニーサイドは、エピローグでオモチャ達にとって良い環境に変わった事が伺える。「イモムシ組」の子供達の相手も、それぞれが協力して、時にバトンタッチを繰り返しながら、誰かに押し付けるのではなく皆で乗り越える姿勢に変わっている。新しいリーダーにはバービーのボーイフレンドであるケンが就任した様子で、バービーからかと勘違いさせる派手な手紙のオチも、ナルシストらしい彼ならではか。
【アンディとの別れは、子育てを終えた親の姿が重なる】
前作でプロスペクターが提示した「子供はいずれ成長し、我々オモチャから去って行く」というテーマを真っ向から描き、心優しい結末を与えてみせた本作は、ファンから「シリーズ最高傑作」との呼び声が高く、根強い人気を誇る。
その最たる所以は、アンディとウッディ達オモチャとの別れを描いたラストだろう。アンディは結局、バズ達を屋根裏に仕舞うのではなく、遊んでくれる次の持ち主として幼い少女のボニーに手渡しに行く。それでも、彼は最後までウッディだけは手放すまいとした(大学行きの箱に入れたはずだったから)が、彼の知らない所で既にウッディと遊んでいたボニーは、ウッディに親しみを抱いており、その様子を目の当たりにしたアンディは、1番のお気に入りのウッディもボニーに託して去っていく。
思い出の詰まったオモチャ達を一瞥し、「ありがとう、皆」と呟いて走り去るアンディの車を見つめ、「あばよ、相棒」と返すウッディの表情が切ない。
この構図は、アンディが大人になった証明であると同時に、親元を離れて自立する事の証明だと思う。作中では母親との抱擁で示されていたが、ウッディ達もまたアンディの成長を見守ってきた立派な「親」なのだ。そして、ウッディはアンディ一家の“父性”の象徴でもある。「アンディのオモチャ」という枠割を終えたウッディは、言わば「子育てを終えた父親」の立場なのだ。
※実際には、製作コストの都合で父親のキャラクターが製作されなかった事から、アンディ一家には父親の姿が見えないそうだが、予算が増えた「2」以降も一貫して父親を登場させなかった事には、少なからずウッディに父親的な役割を重ねる意図もあったように感じる。
そして、人間とは違い、役目を終えた多くのオモチャにとって、この先に待つ運命は、サニーサイドで描かれたように他の誰かへ「寄付」されるか、不用品として「廃棄」されるかに分けられる。あるいは中古ショップに「売りに出される」というのもあるかもしれないが、実際にはウッディ達のように幼少期から遊ばれてきたのならば、破損や汚れでオモチャとしての機能を果たせなくなっている事も多いだろう。
そして、その「廃棄」の様子を間接的に描いてみせているゴミ処理場でのクライマックスは、前作で提示されたオモチャの宿命、その更に先を描いたものである。眼前に迫った「死」を覚悟して、互いに手を取り合うウッディ達の姿は、シリーズ最大のピンチとしての盛り上がりも一入だ。
そして、その窮地を打開するのが、リトル・グリーン・メンの活躍だ。彼らは「1」から一貫して「神様」と崇めていたUFOキャッチャーのアームに類する処理場のアームでウッディ達を引き上げ救出する。ウッディ達はここで、まさに神から「第2の人生」を与えられたのだ。
しかし、あえて意地悪な言い方をしてしまえば、これは「問題の先送り」とも取れるのだ。これが人間の人生ならば、「子育て」を終えた両親というのは、再び自分達の人生を取り戻す「セカンドライフ」がスタートする。だが、ウッディ達はその後ボニーに引き取られた事で、再び「子育て」のステージに戻されたと見る事も出来るからだ。それがオモチャにとって最大の歓びである事は間違いないのだが、肝心なのは「いつまで保つか」という事だ。この「いつまで保つか」という点に目を向けると、本シリーズが(その人気があるからこそとはいえ)存続したのは、ある意味宿命だったのかもしれない。
【総評】
一度はシリーズ完結編との心意気で製作されただけあって、全ての要素がシリーズの集大成とも言える作品。ラストの感動的なお別れ含め、その圧倒的な完成度の高さから、本作がシリーズ最高傑作と呼ばれる事も、その後のシリーズ存続で物議を醸した(詳しくは「4」のレビューにて)事も頷ける。
毎回懲りずに泣く
子供の成長の糧(かて)としてのおもちゃ
<映画のことば>
ウッディは、ずっと昔から僕の友達だった。
勇敢なカウボーイで、優しく、賢い。
何より凄いのは、友達を見捨てないこと。
絶対に。どんな時も側(そば)にいる。
大切にできる?
いわゆる「知育玩具」に限られずとも。
どんなおもちゃでも、子供の想像力(創造力?)を育むのがその役割であって。
子供たちの成長の過程では、その「糧」として、それぞれの成長過程に応じたおもちゃは、必要不可欠…どうしても欠くことのできないものなのでしょう。
そして、それが本作…そして、本作鑑賞の前提として鑑賞した「トイ・ストーリー」「トイ・ストーリー2」を通じた本作までの一連のシリーズ作のポリシーであり、本当の意味での「トイ・ストーリー」(おもちゃと、そのおもちゃで遊ぶ子供とが紡ぐ物語)なのだとも、評論子は思いました。
そういう「物語」を見事に紡いでみせた点で、本作、そして、その過去2作を含め、佳作としての評価が相当とも思いました。
評論子は。
(追記)
<映画のことば>「トイ・ストーリー2」
「子供を幸せにしてこそ、おもちゃじゃないか。」
おもちゃと遊ぶことが楽しい子供たちと、子供と遊ぶことが(そうとは知らない子供たちには仮に粗末に扱われたとしても?)実は楽しかったおもちゃたち―。
そのことに、本作と、本作までの一連のシリーズ作を鑑賞したことで、気づくことができました。
そのことも、評論子にとっては「大きな収穫」でした。
(追記)
<映画のことば>「トイ・ストーリー2」
「彼と君は永遠か?
彼は大学や新婚旅行に君を連れていくか?
彼の成長は、誰にも止められない。」
前記で、評論子は「それぞれの成長過程に応じたおもちゃ」と書きました。
それは、ある意味では、おもちゃとしての「宿命」―。
そして、「会者定離」ともいうべき、その宿命の峻厳さにも、改めて思いが至りました。
評論子は。
たしかに、「記念物」として博物館に納められるという選択肢もあるのでしょうけれども。
その一方で、新たな持ち主との出会い―。
おもちゃにとっても、そうやって命脈を保つことが、一番の幸せなのでしょう。
評論子は、そう思いました。
(追記)
支配と服従の「サニーサイド保育園」。
ただ焼却による最終処分だけが待っている「ゴミ処理場」。
そして、悪者にも悪者なりの、消し去ることのできない切ない過去―。
いわば「暗部」も登場する本作は、それだけ「大人の世界が近くなった」―すなわち、子供だったアンディの「成長」を、また別の一面から示唆するものでしょうか。
(追記)
大学への進学と、進学先への引っ越しを控えたアンディと、その彼の母親とが、荷物の送り出しを終え、ほとんど空(から)になった彼の部屋で、ハグして別れを惜しむシーンが、評論子には、印象的でした。
実は、評論子は、息子にも娘にも、進学先では親元を離れた「一人暮らし」をさせたいと、ずっと考えていました。
それは、評論子自身が、大学進学のために移り住んだ東京で、親元を離れて一人暮らしをして得たことが、とてもとても大きかったという「想い」があったことによります。
一人暮らしをしていると、当たり前のことですけれども「生活の全部」が、自分に降りかかってきて、それを自分一人で処理、解決し、大学生であれば、通学―学業と、経済面を含めた「生活」全般との両立を図らなければならない―。
そのプロセスで得たものが、社会人(職業人)になってからも、とても役立ったという、評論子自身の経験からの、子供たちへの「想い」ということでしたので。
(ビジネスマンは、「ビジネス戦士」などとも例えられますけれども。「戦士」なのであれば、そもそも、自分の最低限の「兵站(へいたん)=兵器・食糧などの補給」ぐらいは自分で確保できなければ、「戦士」として「戦う」どころの騒ぎではないはず)
この点、その「想い」には、父親と母親とにも差等はないのだろうとも、思いました。
評論子は。
(追記)
本作も、コミュニティFM局の「映画紹介コーナー」で紹介されたことから鑑賞した一本になります。
最初に、このコーナーの紹介で別作品『シックス・センス』(1999年/107分/アメリカ/M・ナイト・シャマラン監督)を鑑賞したおりに、同作のレビューで、「映画ファンとして、自分で佳作を引き当てるのも、もちろん楽しいことだが、それと同じくらいに(あるいはそれ以上に?)同好の志から紹介されて優れた作品に巡り会うことも、映画ファンとしての醍醐味」と、評論子は書きました。
本作のほか、一連の過去2作品についても、評論子的には紹介されていなければ、自分から選んでは観ないジャンルの作品群―。
本作についてもそのことを含め、改めて、同コーナーで本作を紹介してくださったラジオ・パーソナリティ氏に、厚く感謝します。
【評論子的な関連作品】
離れて暮らそうとする父と子の関係性を描いた佳作
『とんび』
2022年/139分/日本
瀬々敬久監督
別れと出会い
■作品情報
大学進学を控えたアンディのおもちゃたちが保育園に寄付され、脱出を試みる友情と別れを描いたフルCGアニメーション冒険コメディ作品。監督: リー・アンクリッチ。脚本: マイケル・アーント。主なキャスト: トム・ハンクス、ティム・アレン、ジョーン・キューザック、ドン・リックルズ、ウォーレス・ショーン、ジョン・ラッツェンバーガー、エステル・ハリス、ネッド・ビーティ、マイケル・キートン。吹替版キャスト:唐沢寿明、所ジョージ、日下由美、三ツ矢雄二、大塚周夫、永井一郎、勝部演之、小野賢章。製作国: アメリカ合衆国。
■ストーリー
大学進学を間近に控えたアンディは、長年共に過ごしてきたおもちゃたちとの別れの時を迎えようとしている。ウッディやバズ・ライトイヤーたちはいつかこの日が来ることをうすうす感じながらも、それでもアンディに捨てられるはずがないと信じ続けてきた。しかし現実は無情にも彼らを保育園「サニーサイド」へと送り届ける。裏切りにも似た痛みを胸に秘めながらも、おもちゃたちは新しい子どもたちとの生活に淡い期待を抱く。ところがそこを支配していたのは、イチゴの香りのぬいぐるみ、ロッツォだった。かつて愛する持ち主に捨てられた経験から深い傷を負い、心に闇を宿したロッツォは、サニーサイドを恐怖で支配する独裁者と化していた。愛されることへの絶望が怒りと憎しみへと変わり、同じおもちゃたちにまでその矛先を向けるロッツォ。果たしてウッディたちは、この施設から脱出し、アンディのもとへ戻ることができるのか。幾重にも重なるピンチを乗り越えながら、おもちゃたちの冒険と別れの物語は、感動的なクライマックスへと向かっていく。
■感想
シリーズ最新作の第5弾の公開前におさらい鑑賞してみました。前作から続けざまに見ていることで、当時の初見のころより気づかされることが多く、シリーズに流れるテーマの深化を強く感じます。
前作から続いてきたアンディとの別れへの予感が、ついに現実として描かれるこの作品には、単なる子ども向けアニメを超えた深い哀愁と感動が宿っています。いつかは来ると知りながら、それでも信じることをやめられなかったおもちゃたちの心情が、静かに、しかし確実に胸に刺さります。捨てられたかもしれないという疑念と、それでもアンディを信じたいという純粋な想いのあいだで揺れるおもちゃたちの姿は、子ども時代の終わりというテーマをリアルに映し出しています。
今作の大きな見どころのひとつが、悪役ロッツォの存在です。愛されず、求められず、拠り所を失ったおもちゃの末路として描かれるその姿は、単純な悪役にとどまらない複雑さを持っています。癒えることのない悲しみと孤独がロッツォを歪めていることは十分に理解できます。それでも、やり場のない怒りを無関係な仲間のおもちゃたちにまでぶつけ続けるその姿は、やはり憎々しく、最後の最後まで心をざわつかせます。むしろその一貫した卑劣さが、ある種のすがすがしさすら感じさせるほどです。
そんなロッツォに対して、ウッディが見せる深い優しさと寛容さが際立ちます。絶体絶命の局面でさえ、ロッツォにまで手を差し伸べるウッディの姿には、シリーズを通じてひとまわりも、ふたまわりも成長したリーダーとしての頼もしさを感じます。その優しさを踏みにじるロッツォの行動に、怒りよりも哀れな思いを抱くのは、ウッディの誠実さが鮮明に描かれているからこそでしょう。
クライマックスのピンチに次ぐピンチの連続は、手に汗握る展開でありながら、仲間たちの絆と機転が光る最高に熱いシーンです。そしてたどり着くラストシーン。アンディの愛情を確かに感じながらの別れは、じわじわと熱いものが込み上げてきます。悲しいだけでなく、一つの美しい幸せの形として受け取ることができる、見事な締めくくりです。エンドロールで描かれるおもちゃたちの穏やかな後日談も、心温まる余韻を残してくれます。誰もが、子どものころ大切していたおもちゃを思い浮かべ、温かな気持ちになれると思います。
誰もが感動する最後ーー。
宇多田ヒカルの「ぼくはくま」が浮かんできます
細かいアイデアがたくさん詰まった、宝箱のような映画でした✨
すでに多くの褒め言葉がレビューされているので、私は少し気になった点を。
あの悪役のクマさんが救われずに終わっているのが残念です。
ピクニックで3体のおもちゃが置き去りにされて、持ち主のもとに辿り着いたらクマのぬいぐるみだけが新たに買い与えられていた。ここでクマさんは裏切られたと感じてしまう。愛し合っていた人が他の愛人に乗り換えて、自分は捨てられたような気分なんだと思う。
持ち主側の視点に立つと、個々のおもちゃの心情にまでは考えが及ばず、代用で喪失感を埋めたかったのでしょう。でも、クマのぬいぐるみだけを新たに買い直したのは、あのクマさんを嫌ったからではなく、彼が最もお気に入りだったからです。変心した訳ではない。他の種類のおもちゃで代用されるより納得して良い状況のはずで、誰かあのクマさんにそれを気付かせてあげてよ!って思いました。
子供とおもちゃの間柄で普通に起こりえる紛失事件で、一体のおもちゃが闇堕ちしたままというのが、作品に少しだけ翳りを落しているような気がしました。
ものにも心があるかもしれないのだ
これは、ピクサー史上1番の名作と言っても過言ではない‼︎ 個人的には「トイストーリー」は此処("3")で終わっても良かったくらいだ‼︎ だってこんな皮肉れた変態オジサンが最後には涙目になって泣いてしまうんだ…。。
その変態オジサンにも子供時代があり、、、良く超合金やソフビ怪獣のオモチャでひとり遊びをしていた事を思い出す…。あのオモチャ達は何処に… そぅ、子供達は何処れそんなオモチャを卒業し興味が次々に変わるのだ。俺のあのオモチャ達は何処に行ってしまったんだろう⁉︎捨てた憶えは無いのにとうに忘れてしまった…
そんなオモチャ達が皆んな主人公なのだ。
この"3"はストーリーが素晴らしくとても良く出来ていて面白さが止まらない。アドベンチャーありコメディありで大人が観ても全く飽きさせないのだ。そして最大の良き点はウッディの仲間達を想う気持ちが嬉しいのだ。もちろん子供達にも響くし大人は童心に帰って楽しいのだ。
この物語りの最大のポイントは日本人にも通じる其々の物にも心があり魂があると想う八百万の神にも通じる物や生物に対する愛着や優しい心だ。だから日本人は物を大事にするしもったいない精神があるのだ。"USED IN JAPAN"は一種のブランド迄に成っている。オモチャを擬人化する事で世界全体に問うているのだ。それはある種の消費社会に対する警告でもある。
・・・・・
最後にアンディからボニーへと引き継ぐ感動のシーンは涙なしには観られない…。。こんなアニメでいいおっさんが泣いてしまうなんて、、、と、思ってしまうのだった。。。。
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