山桜のレビュー・感想・評価
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東の人柄を表すような展開
田中麗奈扮する磯村野江は、叔母の墓参りの帰り、山桜が目にとまり見入っていた。一枝取ろうとしたが取れずにいると、東山紀之扮する手塚弥一郎が近づいて取ってくれて言葉を交わした。磯村に野江が嫁ぐ前に弥一郎と縁談があった相手で弥一郎はまだひとりだった。野江の弟が藩校の道場で弥一郎に剣術を指南してもらっていた。野江は、嫌味な磯村家では決して良い立場ではなかった。弥一郎の藩は窮乏に貧しているが、私腹を肥やす藩の重臣を斬ってしまった。果たして弥一郎の運命や如何に? 田中麗奈主演作なれど、地味なトーンながら東山の人となりをそのまま題材にしたような展開だったね。
女の幸せ
風雪に耐えて咲く山桜の下、男は直向に正義を貫き、女は熱い想いを胸に秘めた。
冒頭のシーン、女は山桜を栞ろうとし、男は無言で手折って渡す、ほんの僅かに発した言葉に女は静かに胸を熱くする。春爛漫の山里で四方に満開の花を拡げる山桜、美しい日本の春の里山の情景が心に深く沁み込みます。
女の手が届きそうで掴めない花、これを女の幸せと擬えた時、上品で清澄な優美さに満ちたこのシーンが、本作を象徴し、如実に物語っているように思えます。
本作は、先日NHK BSで放映された2008年公開の、藤沢周平原作の短編を篠原哲雄監督、田中麗奈主演で映画化した作品で、舞台は江戸後期、藤沢作品にはお馴染みの北国の小藩・海坂藩。
嫁ぎ先に恵まれず不幸な結婚生活を耐え忍ぶ女が、嘗て縁談を断った武士との偶然の出会いをする。男が、私腹を肥やす家老を白昼斬殺するという事件が起き、これを通じて男の実直さ高潔さ、強く気高い正義感と行動力、潔さ、そしてその後、男が心奥に秘めていた真情に触れ、女は来し方を見つめ直しこれからの生きる道を見霽かす、という、事件を除けば、取り立てて抑揚のない淡々と粛々と静かに揺蕩うような筋書ですが、観終えた後に清楚な爽快感が残り、台詞、特に心情を吐露する台詞が殆ど無いながら、それ故に却って沁み沁みと心に伝わってくる日本人の心根の琴線に触れた心地良さ、清々しい快感が得られました。
時代劇の様式美、心情風景を台詞でなく、所作・表情・情景で描いた美しい作品です。
田中麗奈が武家の女を、意外に器用に熟しており、作品にしっとりした落ち着きを与えてくれましたが、相手役となる東山紀之の颯爽とした凛々しい武士が一層引立てていました。彼は今最も時代劇に適っている役者の一人であり、特に太刀捌きは、上背もあって見栄えも良く現在の俳優の中でも出色でしょう。ラストに登場する富司純子は流石です。作品に重みと爽やかさを齎してくれました。
【藩の農政を慮り、不正を行う重臣への命を懸けての”下級武士”の行動。そして、彼を密かに慕う同じく下級武士の娘の姿が心に染み入る作品。近年、今作のような品のある時代劇映画が、減ったなあ・・。】
ー藤沢周平、「海坂藩シリーズ 番外編」ー
■印象的なシーン<caution 内容に触れています。>
・手塚が野江と墓参帰りの際に山桜の前で会うシーンの美しさ。
ー”今はお幸せでござるか・・”と声を掛けながら、山桜の枝を手折り野江に渡す手塚。この後、二人の過去の関係性と現在の野江の辛い日々が描かれる・・。-
・海坂藩の下級武士の娘・野江を演じる田中麗奈の質素だが、美しき着物姿。そして、彼女の両親が二度も出戻った娘を、責めない姿。
ー 母(団ふみ)の言葉 ”貴女は、ほんの少し回り道をしているだけなのです・・”ー
・同じく、海坂藩の下級武士で剣術に秀で、藩校の道場で剣を教える手塚弥一郎を演じる東山紀之の凛とした侍の姿。
ー この方は、大岡越前のイメージが強いが、今作のような役も実に良く合う。-
・凶作が続く海坂藩の重臣、諏訪は財政の為と言いつつ、私腹を肥やし別邸などを立てている・・。手塚が諏訪の一行と会った際、頭を下げつつ道を譲りながらも諏訪を見る目の厳しき事。
一方、諏訪に媚び諂う野江の再婚した夫、磯村を含めた連中の姿との対比。
野江の夫に対する激しき目付き・・。そして、自ら離縁して実家に戻る姿。
・手塚は、且つて握り飯を田で渡した少女とその母の粗末な墓の前で手を合わせる男の姿を見て、重大な決意をする・・。
ー多くの人が、見て見ぬふりをしているのに・・、そして諏訪の行状を江戸にいる藩主に知らせようとした者の事を耳にしているのに・・。自分の命を犠牲にしてでも・・。-
ー 野江の父(篠田三郎)の言葉 ”あの事件はお家を動かした・・”ー
・手塚は自らの意思で投獄され、冬が来て、又春が来る。獄中の小さな窓から見上げると、そこには蕾が開きかけた桜が・・。
野江は手塚の母(富司純子)の家を勇気を持って”山桜の枝”を携え、訪れる。そして野江の訪問を喜ぶ手塚の母と、粽を作りながら”新たな生活”が始まることを祈る・・。
<藤沢周平の世界に触れた人であれば、海坂藩のモデルは庄内藩であり、藩主の酒井家は代々、名君であった事は承知の筈。(手塚が切腹にならない理由の背景であろう・・)
又、随所で映し出される月山の雄大な姿や、庄内平野の美しい風景も印象的な、品性高き時代劇映画の佳品である。>
最後の場面は安らげるが
総合65点 ( ストーリー:65点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:75点|音楽:65点 )
よくある物語で藤沢周平らしい内容だが、言い換えれば平凡な展開だったし、重臣が場内で暗殺されたというのに沙汰が出ないなど強引。藩士の会合や農民が集う場面などで出演者たちの科白の言い方は、いかにも覚えた科白を台本に書かれている順番通りに言っていますという不自然な感じだし、悲惨な農民の生活もあまり伝わってこないしで、あまりいい演技・演出ではない。田中麗奈にも東山紀之にも悪くはないが特に強い印象が残らなかった。
それなのに最後で相手の家を訪ねる場面は、辛い現実を経験した二人が心を通わせ美しくて安らかであった。予定調和な結末なのだけど、やっと安住の居場所が出来たのかもしれないという希望を見いだせた気がした。この場面は良かったし、母親役の富司純子の存在にほっとした。これがなければ作品全体にもっとがっかりしていた。
猟奇的な猫娘が素敵な女優に見えました・・・
海坂藩の少年隊。
藤沢周平の同名短編小説を映画化した本作。
彼の時代小説が好きなので、もちろんこれも観るつもりで^^;
いやしかし~。
予想はしていましたが、それ以上に地味な作品でした。
確かに原作がそう(セリフもほとんど同じ)なんですけどね…。
ヒロイン野江に、時代劇初挑戦となる田中麗奈を起用。
彼女がどれくらい幸薄い武士の妻役を健気に演じられるか、
…だったんですけれど、まずまずだったと思います。
初挑戦らしく初々しい感じ?かな。儚さはあまり無く^^;
それでもって、相手役の手塚弥一郎に東山紀之なんですが、
これがねぇ~カッコ良すぎるんだな。さすがジャニーズ!
っていうか、少年隊!?殺陣も見事に決まっているので、
まぁ申し分はないのですが^^;海坂藩の平侍には見えない~。
第一、当時とはいえ、あのカッコ良さ(贔屓目に見ても)で
ご縁がない。ってのは、おかしな話じゃございませんか!!
まぁ、いいんですが・・・。
題名にもあるように、山桜が綺麗です。
一本だけ、凛と咲き誇る山桜。枝を折って持ち帰ろうと、
野江が手を延ばした先に、手塚が折ってくれたのが出逢い。
もともとは、縁談があり(手塚はずっと野江が好きだった)
…ともすれば結ばれていた二人だったのに、
野江の母親が彼の家庭(母ひとり子ひとり)に気後れし、
二人を逢わせることなく縁談を断ってしまったという。。
彼ら二人を取り囲む、家族(特にそれぞれの母親)が好演、
幸せになるためには、こんな回り道も必要なのかも。。と
誰もが味わう苦しみですら、考え方一つでこんな風に
前向きに生きられるんだよ、という教科書のような作品です。
辛い、苦しい、と嘆く前に、今の自分に何が出来るのかを、
他人のために一つでいいから、なにか報いてみる必要性を、
ただただ静かに語っているだけの、そういう作品でした。
でもラストは、やたら涙が溢れました。やっぱ富司純子だ(T_T)
(村井国夫は適役ですね。篠田三郎は最初分からなかった^^;)
佳作という表現がピッタリ
藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品
大変美しい風景描写の作品です。
雪解けが進むせせらぎには、春を待ちきれず咲きそろう草花が水面を映え、そよぐ風も温んで心地よさそうです。画面を引くと、冠雪のままの雄大な鳥海山がそびえ、冒頭だけではや観客を藤沢周平の世界へ誘うのでした。
美しいのは風景だけではありません。山桜で描かれる心情そのものが滋味に満ち、心にジ~ンと響き、見ている方のこころも洗われてピュアになっていくような作品でした。
構想7年。『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『蝉しぐれ』『武士の一分』と続く、藤沢周平作品の映画化最新作です。そして初めて女性が主人公となった映画化となりました。篠原哲雄監督の抑え気味な演出が光り、藤沢作品のなかで最高の仕上がりと思います。藤沢周平の長女遠藤展子氏も、「まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚えた映画です。」と絶賛しています。
原作では、夫の病死で離縁をされ、その後気に入らない再婚話を受けて嫁いだ野江が、つらく切ない環境の生活に思い悩んだ末にやっと本来の男性と新しい人生を歩みだす話になっています。けれども本作には、敢えて最後のオチの部分を切り落とし、本来の男性に思いを寄せるところで終わっています。
このラストも余韻が残る言い終わり方でした。
野江役の田中麗奈さんは、心の強い凛とした女性像を見事に体現しています。彼女なら筋を通して嫁ぎ先に離縁されても、さもありなんと思えました。
昔から野江に好意を寄せていた武士手塚弥一郎は、山桜の下で再会したとき凛々しさ、そして剣術の使い手として殺陣筋の美しさはほれぼれするもので、東山紀之さんの演技にも注目して欲しいと思います。
また真の主役といえる山桜もなかなかでして、写るだけでも感動的でした。そして枝を野江が実家で活けても、それが何か主張しているむように、物語を映えさせました。
特に壇ふみが演じる母が、活けられた山桜の花弁が散る様を見て、嫁ぎ先で苦労する野江の姿を枯れゆく山桜にダブらせて案じる姿が印象的でした。
その後手塚弥一郎は、私腹を肥やし農民を飢餓に追いやる組頭を斬って出頭してしまいました。それがもとで結局2度目も離縁して野江は実家に帰ります。ここから藤沢周平の原作は、野江を藤沢作品を代表する女性像として浮き彫りにしてゆきます。
手塚弥一郎は獄舎に入ったまま、無言。台詞もありません。そこに野江がけなげにお百度を踏む姿が何度も重なります。台詞やト書きは一切ありません。しかし観客は野江の気持ちがスクリーンを通じて痛いほど伝わってきて、泣けてきます。
ふと気がつけば、冬が過ぎ、春が巡ってきました。僅かな牢の窓から山桜が咲いているのを弥一郎は気づきます。同じ頃野江も山桜を見つめていました。ふたりの間をまるで山桜がつないでいるようでした。
折った山桜を手土産に、野江は思い切って手塚弥一郎の家に向かいます。これまでに何度躊躇したことでしょう。家は弥一郎の母親のひとり暮らしでした。「いつかあなたが、こうしてこの家を訪ねてみえるのではないかと、心待ちにしておりました。」との母親のひと言に、野江は眼から涙があふれ落ちます。ここも泣けましたね。
台詞はないものの、なんて自分はとり返しのつかない回り道をしたことだろう!なぜもっと早く気づかなかったのだろうと。嫁ぐべき家の母を前にして後悔の思いに打ちひしがれる情が、はっきりと伝わってきました。
人生回り道も無駄ではありません。その涙は、後悔ばかりでなく野江の希望が叶うことを暗示しているように見えてしまうのは小地蔵の穿った見方でしょうか。
派手なアクションや、CGを使った幻想的なシーン、それに熱いラブシーンすらない、淡々とした作品です。藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品としてお勧めします。こんな作品が現代でも生まれるのも、やはり日本映画が残してきた遺産が息づいてているからだと思います。
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