山桜のレビュー・感想・評価
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山桜が美しい
たった一度、桜の下で
BS日テレ「日曜特選時代劇」で鑑賞。
原作は未読。
厳しい年貢の取り立てに、農民は日々の食事にも事欠き、命を落とす者まで出ている中、藩の上役は私腹を肥やして贅沢三昧し、己が欲望のためにさらに年貢を厳しく巻き上げようと画策する。
苦汁を舐めるのは常に下の者。このような理不尽は何も江戸時代に限らず、令和の今でも形を変えて存在していると云うことがなんだか悔しくてならない。あまりにもあまりある所業に上役を斬った東山紀之演じる武士の静かな怒りに共感した。
正しいことをしたが、手段が手段なだけに牢に繋がれてしまった彼を待ち続ける野江(田中麗奈)の姿がとても健気で涙を誘う。最後の最後に登場した富司純子の柔らかな存在感も、出番がわずかにも関わらず出色で、これが大女優の業かと感服した。
藤沢周平原作らしい豊潤な人間ドラマが味わえる時代劇の佳作である。たった一度の桜の下での交流がずっと心にあって、相手を想い続けるふたり。なんと美しい、人の心の在り様だろうと思った。
田中麗奈
上品で美しい時代劇
原作者は『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『蝉しぐれ』『武士の一分(いちぶん)』『花のあと』『必死剣鳥刺し』『小川の辺』『吹く風は秋』『小ぬか雨』『殺すな』の藤沢周平
監督は『昭和歌謡大全集』『小川の辺』『影踏み』『犬部!』『ハピネス』の篠原哲雄
脚本は『ホワイトアウト(2000)』『花のあと』『小川の辺』『柘榴坂の敵討』『あの頃、君を追いかけた』の飯田健三郎
脚本は他に『ホワイトアウト(2000)』『花のあと』『小川の辺』『柘榴坂の敵討』『空母いぶき』の長谷川康夫
粗筋
最初の夫と死別し浦井家に戻った野江
道場で剣術を指導する手塚弥一郎から縁談を申し込まれたが野江は断った
剣術に長けた人は乱暴な印象が強く手塚の人柄も知らず思い込みからの誤判断
磯村家に嫁いだが夫も舅も姑も酷い人たちで針の筵だった
弥一郎はなお野江に想い慕っているためか独身だった
その一方で藩の財政難を悪用し百姓をますます苦しめ私腹を肥やす諏訪平右衛門はやりたい放題
農村の悲惨な窮状を間近で見た弥一郎は城中で諏訪を斬った
弥一郎は牢屋暮らしとなったが刃傷事件がきっかけに新田開墾は取りやめとなり年貢率は元に戻された
この作品などでHIHOはくさい映画賞第2回(2008年度)最低主演女優賞を受賞した田中麗奈
はくさい映画賞とは蛇いちご賞らと同様にゴールデンラズベリー賞のパクリである
由緒正しき?本家の方は81年から今もなお毎年続けているアメリカンジョーク?だが日本版はどれもこれも長続きしない
典型的ネット民レベルの悪巫山戯けだからすぐに飽きてしまうのだろう
映画ジャーナリストの大高宏雄は「あら探し的に映画産業をエキセントリックに批判することだけは避けたい」とも言っている
自分も肝に銘じたい
映画秘宝が酷評した田中麗奈だが決して悪いとは感じなかった
むしろ良くないか
たしかに山桜の枝を折ろうとする野江のシーンは不自然な気はする
この作品で「?」と感じたのはそのくらいだ
特に不満はなくまあまあの出来ではないかな
原作は20ページほどの短編らしい
野江と弥一郎の2ショットは冒頭の数分のみ
それでも99分ももたせた
たいしたものだ
藤沢周平らしさがよく出ている気がする
配役
下級武士の娘の磯村野江に田中麗奈
剣術の名手の手塚弥一郎に東山紀之
野江の父の浦井七左衛門に篠田三郎
野江の母の浦井瑞江に檀ふみ
弥一郎の母の手塚志津に富司純子
野江の弟の浦井新之助に北条隆博
野江の妹の浦井勢津に南沢奈央
野江の舅の磯村左次衛門に高橋長英
野江の姑の磯村富代に永島暎子
野江の夫の磯村庄左衛門に千葉哲也
新之助の友人の兵馬に途中慎吾
藩の有力者の諏訪平右衛門に村井国夫
農村の幼い娘のさよに村尾青空
さよの父の吾助に綱島郷太郎
さよの母に浅川稚広
さよの祖父に伊藤幸純
さよの祖母のうめに森康子
磯村家の下男の源吉に樋浦勉
肴屋に鬼界浩巳
住職に江藤漢斉
磯村家の下女のたかに藤沢玲花
磯村家に借金をしている男に矢柴俊博
百姓が差し出す年貢米を吟味する役人に諏訪太朗
落ち着いてる感じが良い
叔母の墓参りの帰り道に野江は、かつて縁談を申し込まれた弥一郎に山桜を手折ってもらう。そんな野江は、今の嫁ぎ先で辛い思いをしていた。この年、飢饉にあえぐ農民たちを目の当たりにし、弥一郎が事件を起こし。
穏やかに進行していき、中盤に突然物語が動きます。多くを語らない弥一郎の決断に驚かされます。しかし落ち着いて迎える終盤に、幸福な結末を予感させる終わり方が良かった。
泣ける殺陣
地味ながら秀作。
正直、東の出ているものは
たいして面白かった試しないのだが
この作品は別格。
東の凛としてすゞやかなたたずまい、
ダンスで鍛えた軽やかで流れるような殺陣。
美しい!の一言!
役にピッタリであります。
殿中で抜刀して切腹の沙汰になった忠臣蔵の時代に、
地方とはいえ殿中で刃傷沙汰おこしてただですむわけは無く。
それを覚悟の上の
殺陣は悲しく美しく。
殺陣で目頭にキタのは初めてかも知れません。
田中麗奈さんも好演。
出戻りのわりには若いかな?とも思うがその昔は初婚が早いからアリアリ。
意外なことにこの映画は母性愛の話でもある。
田中麗奈、東、のはいうにおよばず。
再婚相手の母でさえ、わが子の小物さを知りつつ、格上でいけ好かない嫁であっても息子が好きな嫁ならば、と思っていたのであろう。
できた母ではないが母の愛には違いない。
居場所はずっと昔からここにあったのだ、と
悟るもその先にはどんな運命があるのだろうか。
ラストにかぶって流れる歌詞も意味深で
良くも悪くも解釈できる。
けっして押し付けがましくなく染み入る映画でした。
藤沢作品はいいねえ…。
加えて細やかな描き方で
当時の人々の暮らしを浮き上がらせてくれました。
たとえば足袋は汚れるから
いいとこの家じゃないと家の中で履きません。
板張りで汚れて何度もあらうと駄目になるからです。
てろんとした絹の『柔らかもの』と呼ぶ着物は
張りのある織物より格上で、上品とされてる着物。
それを質に持っていきますね。
きっと実家が嫁ぐ時に持たせたものなのでしょう。
そんなところからもいろいろ読み取れる、
演出にしびれました。
自分の居場所が見つかってよかったですね、野江さん。
うーん…あらすじは好きだけれど
この映画を途中で放棄せず最後まで見れたのは、野江が結局どうなるのか、それだけが気になったから。
それ意外の面は、わたし的にはあまりヒットしなかった。
恋愛がいまほど自由でなく制約が多い時代に、ある不器用な女が、さんざん回り道をした末、昔からの知り合いだった渋い男(東山紀之カッコいいけど)に、やっと自分の居場所を見い出す。
回り道をしても、人生、最後に幸せになればいいのだ、という気持ちになれる。
でも、全体に月並みな感じ?…折角いい俳優さんたちが出ているようなのにその良さがイキイキ伝わってこない?
自然の描写も、セットも、台詞も、ありきたりで「取り敢えずこういうの出しておけばいいでしょ」的な気がして、別にどうでもよくなってくる。所々挟まれる音楽も何となく風景と違和感。
少し疑問点もある。
野江の家での夕食の真っ最中に、野江の弟が話し始め、みんな箸を止めてしまう場面。何となく違和感がある。もっとお行儀よく食事するのかと思っていた。
もっと「えっ?」と思ったのは、野江が弥之助の家を訪ねたとき、敷居や畳の縁を踏んだように見えた…。それって基本的な作法では?
ついでに、磯村家の跡取りも言ってたけど、野江の不幸そうな恨めしそうな表情は、私も見ていて結構ストレスがたまり、跡取りに少し同情してしまったりした。(その分、最後の方の表情は可愛く感じたけれど)
あらすじが気に入ったのなら、映画ではなく藤沢周平さんの本を読めばよかったのかな、と思った。
巡る想い
剣術を教える実直な武士手塚弥一郎を東山紀之さんが、二度目の結婚の嫁ぎ先で苦労を重ねる(武士の娘)野江を田中麗奈さんが可憐に演じる。
思慮深い両親が周囲の評判を調べないまま、大切な娘を嫁がせるものだろうか…と引っ掛かりを覚えましたが、日本の風景、所作が美しく描かれていた。
中でも、弥一郎の母親を演じた富司純子さんの気品ある表情、佇まい、美しい所作に見惚れました。
NHK-BSを録画にて鑑賞
あなたは今、幸せですか?
主人公(田中麗奈)の最初の結婚は、夫が若死にし、再婚した今の夫はお金がすべてという俗物だった。
ある時、以前、結婚の話があり、自分が断った男(東山紀之)と出会い、「貴女は今、幸せですか?」と問われる。
そして大事件が起きる。
藤沢周平の世界に浸る。
録画ラストの言葉
同じ海坂藩の血が共鳴した!
キネマ旬報では
38位と高い評価ではなかったが、
同じ庄内藩(海坂藩)出身の作家、
藤沢周平原作映画として鑑賞。
原作は短編とのことで、話の展開は単純だ。
演出の拙さも多々感じられたが、
冒頭で出会った二人が最後にどう一緒に
なれるのか、興味深く観ることが出来た、
ただ、そもそもが藤沢作品では、
庄内人の気質がそのまま反映されている
ような気がして、他の映像化作品でも、
ゆっくりでのんびりした気質、
そして寡黙だが忍耐強い、
とのイメージがある。この作品でも
その影響か、前半は冗長だったものの、
後半からは作品の世界に引き込まれ、
彼の無事を祈る主人公の願掛けのシーン以降
は涙なくしては見れなかった。
主人公の母親の「貴女はほんの少し廻り道を
しているだけなんです」との
セリフもとても良かった。
全ての人に、たとえ遠廻りしてでも
幸せが訪れて欲しいと思わせてくれる。
この映画の2年後公開の同じ藤沢周平原作作品
「花のあと」と共に桜がモチーフに
なっていたが、
「花のあと」では、結ばれなかった男性との
過去の想いを断ち切る、
いずれ散る儚さの象徴として、
そして、この作品では、たとえ遠廻りしても
桜の花のようにまた開花する時は必ず来る
との再生の象徴として、
描かれているように思えた。
ところで、最終版になって
かつての縁談の相手の母親役として
富司純子が登場したのには驚かされた。
同じ藤沢周平原作の「たそがれ清兵衛」の
ラストシーンでの岸惠子の登場が
思い出されるが、
この作品でも締めに相応しい俳優による
格調高いエンディングに繋がった。
さて、この作品のラストシーン、
最後の顔を田中麗奈ではなく、
東山にした監督の技量は気になるものの、
解釈を観客に託したかに思えた海外作品
「スリー・ビルボード」とは
違う意味ではあるが、
二人の結末までを、あえて描かない演出は
上手い選択で、余韻がより深まった。
この作品の場合は、
二人はその後一緒になり幸せになった
ことだけは確かなのだから。
11/28追記
原作本を読みました。「時雨みち」の中の
一話でしたが、かなりの短編で、
弟が東山の優れた人物像を姉に語る前提も、
私服を肥やす重臣と夫の関係や、
東山がその重臣を斬る切っ掛けになった
農民の悲惨な状況を見て物思いに耽る
エピソードも無く、
また、心に残る、母親が
「貴女はほんの少し廻り道をしてるだけ
なんです」と語る場面もない。
原作では、主人公自ら
廻り道をしているのではないかとの
自問があるだけである。
そして何よりも、原作同様ではあるが、
結果を描くことなく、
二人はその後一緒になって幸せになったと
観客に確信させるエピローグを、
更に分かりやすく描いた手法は見事だった。
ある意味、この原作は長編に書き直す前の
メモ集のような感じさえある。
そこをこの映画は、
映像作品としてオリジナリティを出すべく
別の次元に原作を改変してしまう作品を
多く目にする昨今、
原作の心を尊重して
藤沢周平の世界に心地良く浸らせてくれた
上手に肉付けした作品に思える。
言葉が少ないからこそ
気品漂う時代劇を久々に見た。 田中麗奈、東山紀之、檀ふみ、篠田三郎...
想像が止まらない!
ラストをあやふやにする事が観客に対する優しさだと感じました。
全くヒントも与えられないラストに驚愕しましたが、ヒントがある程、私たちの想像の幅は狭まってしまいます。
時代劇に詳しくないのが幸いして、二人の幸せな未来を思い描くことが出来ると思いました。
派手さはないですが、登場人物の心情や時代背景が大変丁寧かつ恋愛物の時代劇ということもあり、新鮮な気持ちで鑑賞出来ました。
主役二人の凛とした様がとても素敵でした。そんなふたりが儚くて、心が切なく淡くなりました。
どんな結末を想像しましたか?
私は一般常識も取り入れつつ希望を込めて…
殿が弥一郎の家に野江が暮らしている事を知り、一日だけ帰宅を許す。野江は弥一郎との子供を産み、弥一郎の母と仲良く三人で暮らす…かなと。
超現実的パターンや超理想パターンなど、想像が止まらず楽しかったです。
藤沢作品の清々しさ
庄内地方と思われる山野の四季折々の美しさ、題名にある立派な山桜。日本の原風景をぜひ訪ねたい気持ちにさせる。
そんな土地を背景に、嫁ぎ先になじめず苦悩する主人公と、苦しむ農民たち。弥一郎という男の志が、主人公や農民たちに勇気と希望を。山桜の美しさと重なって清々しく爽やかに終わる。
田中麗奈は芯の強く自立しようとする主人公に似合っていた。夫に戒められる厳しい視線と信頼できる家族や用人たちとの優しい眼差しを見事に使い分けている。時代劇、和服の仕草や歩き方、彼女の役柄にさらに幅ができた印象を受けた。ここで、富司純子か、というのも良かったな。
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