ヒッチコック : 映画評論・批評
2013年4月3日更新
2013年4月5日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
<天才のダークサイド>に迫っている点にこそ好感が持てる
「ヒッチコックは殺人の場面をラブ・シーンのように撮る」と評したのはフランソワ・トリュフォーだったか。しかし、「サイコ」の名高いシャワーシーンを見るたびに、ヒッチコックは、ほんとうは殺人をセックス・シーンのように撮りたかったのではないかという疑念が沸く。
「ヒッチコック」は、彼の最大の問題作「サイコ」のメイキングの体裁をとりつつ、編集者であった妻アルマとの不抜のパートナーシップを謳い上げている。だが、単に旧来の<サスペンスの巨匠>として神格化するのではなく、「サイコ」の主人公にも負けず劣らぬヒッチコックの倒錯性、異常なまでの嫉妬深さ、コンプレックスを浮き彫りにし、いわば<天才のダークサイド>に迫っている点にこそ好感が持てる。
冒頭から「サイコ」のモデル、大量殺人者エド・ゲインの事件が再現されるのには笑ってしまう。後のすべてのサイコ・キラー映画の原型となったこの危ういキャラクターは、妄執のごとくヒッチコックにつきまとう。「サイコ」は低予算、テレビスタッフの起用など撮影所システムの崩壊を予見した先駆的な試みであるだけではない。窃視(せっし)症、死体愛好癖、ブロンド美女への偏愛というヒッチコックの私的な欲望があらわになった究極の実験映画でもあったことがわかるのだ。アンソニー・ホプキンスは余裕たっぷりに巨人を演じ切り、アルマのヘレン・ミレン、ジャネット・リーのスカーレット・ヨハンソンはオリジナルよりもはるかにまばゆい色香を放っている。
いずれにせよ「ヒッチコック」を見終えたら、すぐさま「サイコ」を見るべし。
(高崎俊夫)