「変ではない変」ラースと、その彼女 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
変ではない変
ラーズ(ライアンゴズリング)は信心深い好青年だが、人付き合いをしない。
兄夫婦も町の人たちも気にしているが、心を開かない。
そんなあるときラーズの住む小屋に大きな荷物が届く。
その晩、ラーズは兄夫婦に「女性」を紹介する。
それは等身大のいわゆるラブドール。
ラーズは疑いもなくそれを擬人化している。
最初は動転し、気まずい空気になるものの、兄夫婦も周りの人々も、かれのラブドール擬人化に付き合う。
精神科医ダグマール(パトリシアクラークソン)のアドバイスもあり、けっして刺激せず、ラーズの新しい恋人「ビアンカ」を歓迎する。
基地外にまみえたばあい、どうするだろう?
航空機内でマスク着用を拒否したひとが、昨年(2020)アベマの報道ショーに出演していた。
コメンテーターたちが、腫れ物にさわるような物言いをしていた。のが印象的だった。
わけのわからない理屈を並べて、マスク着用を拒み、ルールにも機長命令にも従わず、途中寄航させ大勢の乗客・乗務員に迷惑をかけたかれはいわゆる基地外だ。(番組では、そいつに賛意する進歩的文化人もいたが・・・)
にんげん、だれしも基地外とは関わりたくない。
あたらしい恋人ができたんです──と言って、ラブドールを紹介されたら、たしかに、それを頭ごなしには否定しない。
とっととそいつの側から離れるだけだ。
ところが、映画はそんな辛辣な方向へ行かない。
ラーズには邪気も悪意も見えない。
人々はかれの純情を信じている。
まっとうに生きてきたにんげんが、突如おかしくなったら、なにか理由があるのだろうと心遣いされる。
だから、かれのパートナー「ビアンカ」にも、いわば敬意を払う。
やがて「ビアンカ」は完全に町のひとたちの市民権を得てしまう──のである。
人々はビアンカに人格を与える。
なあに──と意見を聞くふりをして懐に耳を傾けると、ビアンカは、その都度、聞いた人の考えた人物像を吹き込まれる。
もはや町じゅうの誰もが、若く素敵なカップル、ラーズとビアンカのことを知っている。
だがラーズはだんだん煮詰まってくる。
もともとかれの内的心象=なんらかの強迫観念が「ビアンカ」を実存させている。
かれが町の人たちの厚意に触れるほど=人々に交わるほど「ビアンカ」の存在は薄らいでいく。
けっきょくラーズはビアンカを死なせる。
それは内なる葛藤の克服を意味している。かれのメンタルヘルスを襲った危機からの脱却を意味している。
変わった方法で、心の傷を負ったひとが再生する様子を描いた映画。Awkwardでオフビートだけど、主題はまじめ。印象も大人しい。
ビアンカ=ラブドールは是枝裕和の空気人形的なスタンスで扱われているわけではない。──ゆえにゴズリングは内省型の青年を演じているのに、キモく見えず、爽やか。映画じたい性的方向へまったく振れない。