ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のレビュー・感想・評価
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評価できるか新シリーズ
新機軸とまではいかない。果たして作る意味があったのかというと疑問が残るが、当時感じていた疑問にはより分かりやすいアプローチが施されている。
登場人物の二面性がくっきりと強調してあり、背景の「匂わせ」が絶妙なスパイスになって、旧TVシリーズの解消されない謎がすっきりとまとまった感がある。
つまり、登場人物が複数の顔を持ち、国家、企業、自治体、宗教、学校、地域のコミュニティそれぞれのお付き合いが、同じ顔触れによって微妙に変わってくる味付けが、当時は受け入れられなかった。というより、理解されなかったということか。
母親の事故についても、より分かりやすく語られており、非常に親切な造りになっていると思う。難点は、これを単体の映画として評価できるのか?というところだろう。
シリーズのファンに特化して、ここまでのクオリティを実現できたのは評価したい。
「いじけは楽しくない」
マリが搭乗するEVA仮設5号機が、相討ちで第3使徒を退ける。一方、日本にやってきたアスカが搭乗するEVA2号機が、第7使徒を撃退。月面で、ゲンドウと冬月がEVA Mark.06を視察している時に、第8使徒が衛星軌道上に現れ。
今作は旧世紀シリーズと大きく変わり、全く新しいキャラクターも登場。映像技術の進歩も凄まじい。一方で「今日の日はさようなら」と「翼をください」は懐かしい。携帯電話も登場、2009年の作品で、スマホはまだ。ちょうど公開された2009年当時とパラレルワールドを描いている感じか。孤独の三人の性格が全く違うけど、その描かれ方がより深い感じがしました。
アスカ登場。謎のメガネのお姉さん登場。 弐号機活躍。 後半盛り上が...
アスカ登場。謎のメガネのお姉さん登場。
弐号機活躍。
後半盛り上がって凄く良い。
TV放映版とも漫画本とも違う展開で面白い!
こだわりのグラフィックで大画面視聴向き。
もう本作で終わっても十分満足な内容。
アップデート
いや、登場人物がTV版と違うし(マリの存在)、アスカは苗字が惣流から式波に変わっているし、心なしかレイが多く喋っているような。
新たな物語として自身の記憶を書き換えつつ、続きを見ていった方が良さそうだ。
呪いを解くための儀式その2
あるいは円満離婚のための布石か。
劇場公開時はスルー。まあでも結局観てしまったのだけど。もしこの流れのまま温く終わってたらと思うと怖い。
大人の都合に子供を巻き込むのは気が引ける・・
活発なアスカの登場でシンジも、いい加減うじうじさから卒業のきざし、やっぱり女性の方が現実的だしおませというのが庵野監督の女性観なのでしょう、それにしても前作よりお色気シーンが増えていますね。
戦うことに躊躇していたがシンジだが友や愛する人を守るためには奮い立つんだと言うシンプルな動機づけ。女所帯だったが加持の登場で男気にも目覚めてゆく、ただ、加持の「辛いことを知っている人間の方がそれだけ他人に優しくなれる」と言うセリフはまるで金八先生でしたね、独走しようとするアスカに3人での協力を促すのは毛利元就の三矢の訓と作風が説教臭くなりまた。また「織り込み済みとはいえ大人の都合に子供を巻き込むのは気が引ける・・」とか、庵野監督の自虐的なエキスキューズにも思えます、やはり気にしてたんですね。
碇親父はいったい何を企んでいるのか、初号機の不可解な変貌は計画されたものだったのか謎は深まるばかり。
2作目はTVシリーズを部分的になぞりつつ、新キャラも登場して新たな...
2作目はTVシリーズを部分的になぞりつつ、新キャラも登場して新たなるストーリー。
公開当時に劇場で観た時、すごいアニメが出来たなぁとかなり興奮したことを覚えている。
映像を観て自然に泣いていた。キャラの心情と映像がうまく融合している。そんな映像に泣けて、すごい!という、ただただ興奮した。衝撃だった。
当時、エヴァを初めて観る人たちにとっても、かなりわかりやすく観やすく描かれていたと思う。
レイの「ぽかぽかする」って表現、可愛い。
エヴァンゲリオン 序~Q
未公開アップロードしたままで忘れていたので、変な時にレビュー公開となってしまった。
俺は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観ようと考えた。しかし、俺はエヴァを一つも観ていない。TVシリーズも劇場版も。時はちょうど黄金週間。録りためた中に、たしか「序」「破」「Q」いずれもあったはず。よし、一気に観て、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観る市民権を獲得しよう、・・というのが今回観た背景。
【序】
すごいなこのオープニング。あっというまに引き込まれる戦闘シーン。
登場人物が少ないからわかりやすい。
いわゆるメカ(設備、器具備品の類)のカッコよさが、心をくすぐる。
"使途" の異様な造形は、CG時代をフルに感じさせる。
ネブカドレザルの鍵とか、セカンドインパクトとか、初めて聞く単語のオンパレードなのに、ストーリーを追い続けられるのは、「それが当然」かのように、なんの迷いもなく進める点かな。まあ、アニメから延々と続く歴史があるからこそ、できることなのだろうな。
俺たち(50~60代)に、大友克洋がいるように、彼らには庵野秀明がいるんだなあ、と変な感心の仕方をした。
主人公とそれをとりまく女性たち。手ごろなお色気。
【破】
辛いのは君だけじゃない。
「ヒトマル」という読み方に象徴されている自衛隊(ミリタリー)感覚は受けそう。それも、それを美少女たちが言う。
思わせぶりな音楽。
科学の最先端な世界で、「純粋な精神エネルギーの具象化」という魅力的な現象。
「なぜ若者たちだけがエヴァンゲリオンに乗るのか?」という俺の疑問は解かれるのだろうか。
「シリーズものは、2作めが鍵」と言われる条件を見事に達成した出来のよさ。感心。
【Q】
前作の痛快さを忘れてしまったかのようなオープニング。
謎の少年カオルの登場。カシウスとロンギヌスの2本の槍。異なる槍が必要。第1使徒と第3使徒。アダムスの器。
前作にも勝る、謎のワードのオンパレード。その中で徐々に見えてくる、人類と使徒、それぞれの誕生の歴史。第1使徒であるアダムから生まれた、第3使徒以降の使途。そして第2使徒リリスから生まれた人類(リリン)。両者は、どちらかが生存し続けるために、相争う運命だったことがわかってくる。
ゲシュタルト(統一的全体像)。西洋的な思考は、ひとつひとつ分解してよくしていくことで最高のパフォーマンスを得る、という要素分解的な考え方。
一方、東洋的な思考は、全体をシステムとみてそのバランスを調整することで最高のパフォーマンスを得る、という全体像的な考え方。
自分でも、なにを書いているかよくわからなくなってくるが、「Q」をみて感じた気持ちはこんな感じ。哲学書か。
そして...【シン・エヴァンゲリオン劇場版】
展開が、、
早くもついていくのがやっと、、学校生活とか平和なシーンはほっとするけど、ちょっと規模でかすぎて理解が追い付かないところも多々ありました、合唱曲が怖かったです。アスカはむかつくけど推せます。
くっそおもんない
これの何が面白いのかほんまにわからない。
頑張って次も観てみたけど、観れば観るほど打ちのめされる。。。
展開がわかりづらいし、なんかダイジェスト観てるみたい。
ラッキースケベ的なんも古くさくて嫌い。
ほんと好きな人には申し訳ないけど、どーしても理解できない。
前作を圧倒
最終作を見る前に改めて鑑賞。
前作はテレビシリーズを編集してちょっと追加したような内容だったが、今作は最初から新キャラ登場からのアスカが空から登場と、いきなりの盛り上がりシーンの連発。
最初の五分見ただけでこれは面白くなりそうと思わせてくれる。
実際ストーリーもバトルシーンも多く、男子向けサービスシーン?も多々あり展開も良かった(>_<)
いつものことですが、最後に見れるミサトさんの次回予告が好きです☆
【「揺らぎ」から「より大きな揺れ」へ】
「新劇場版:序」に対して、「新劇場版:破」で対比されるのは、本来は対立していてはいけないはずのものだったり、矛盾しているものだ。
国と、その中の組織。
ゼーレとネルフ。
魚が豊かな狭い水槽は、本来は豊かであるべきなのに汚染されてしまった大海原に対するアンチ・テーゼなのか。
古い街並みに人気はないのに、電車や学校の狭い空間に人が多くいる状況と実は同じではないのか。
いや、そもそも、人間は所詮狭い世界の中でだけでしか生きられないはずだと、外界を侵食してはいけないのだと示唆しているのではないのか。
葛城ミサトの正義が、父への反発をベースにしていること。
碇ゲンドウが、カオスとの対立概念として、調和と秩序を上げるが、過度な秩序への欲求は、調和を破壊するのではないのか。
過度な開発が自然を蝕むのと同じではないのか。
近づこうとすると、離れてしまう。
碇シンジとゲンドウ、シンジと綾波レイの関係はそうだ。
序破急の「破」は、文章作法の起承転結で言えば、「承」「転」にあたるはずだが、ここでは、調和や希望を破壊する「破」であるかのようだ。
「新劇場版:序」で感じた、少年や少女が大人になる過程で感じるような戸惑いや不安が、いわゆる音楽の「1/fの揺らぎ」で、調和に近いものだったのに対して、破では、揺らぎは大きく様々なものを破壊するかのようだ。
綾波レイが、エヴァンゲリオンは心の鏡だと言う。
エヴァンゲリオンを通してしか繋がっていられないのだと。
僕達が大人になる時に抱いていたささやかな希望に立ちはだかる壁のような感じだ。
綾波レイのささやかな望みや、シンジの希望を打ち砕くものは一体何なのか。
ゲンドウが願望は自己で実現するものだ、大人になれとシンジに言うが、願望とは、どうあるべきなのか。
綾波レイを救おうとするシンジの気持ちが、なぜ秩序を乱すのか。
綾波レイを見殺しにして、秩序を維持する選択をするのか。
葛藤などなく、単一の意思の制御によるダミーシステムが全てを支配するのか。
こんなものは調和ではないはずだ。
「新劇場版:序」で、綾波レイがシンジに言う「あなたを守る」という言葉。
「新劇場版:破」で、シンジが綾波レイを助けたいと思う気持ち。
何が違うのか。同じではないのか。
シンジの気持ちは間違っているのか。
少年や少女が、これまで重要だと考えていた価値観が否定され、社会で感じる矛盾。
こうした希望を打ち砕くのが「新劇場版:破」のテーマなのかもしれない。
ミサトが、綾波レイを助け出そうとする碇シンジに向かって叫ぶ。
「自分自身の願いのために行きなさい」
渚カヲルは、シンジを救うと言う。
何をもって…。
様々な疑問は、どのようにして明らかになるのだろうか。
バージョン違いの君
シンの予習として見直した。
12年前、劇場で激怒した思い出の一本。
旧劇場版は春も夏も初日に並ぶくらいには大切な作品だったし、その後も黄瀬和哉のベストワーク、と思い込むくらいにはフェチの対象だった。
それがリメイクと聞いた時はまず耳を疑った。
序がヤシマ作戦まで、その後のアスカ登場から「男の戦い」までをかいつまんで作り直している本作。
慣らしの序はともかく、破は綾波が味噌汁作ってるあたりからもう頭に血が上って記憶がない。
冷静になって見直すと、そうかちゃんと話が振ってあったんだな、全然読めてなかったな…と反省した。
しかし冷静になって観ていても、TVシリーズと比べると(大きな流れに関わるエピソードを中心に見直した)当時のような切迫感、ギスギス感がないぶん、画面は高密度だけど味のしないガムみたい感じる。
たぶん、まったくの別物ではなく、同じシーンが違う意味に書き換えられていたりするせいで居心地の悪さを感じるんだと思う。
まるで同じタイトルの改稿されたシナリオを読んでるみたいだ。
普通は両方が映像化されることなんてないわけで、それはそれで稀有な経験かも知れない。
でも過去作の記憶がなければこっちが「正典」で、逆に旧はなんかヤなムード、シンジ君なんでこんなにいじけてるの、と呆れたかも知れない。
とはいえ、終盤はもはや空想科学というよりほとんどオカルトのような無双っぷりで、さすがに劣化しているように思えてならなかった。
起きることはほとんど同じなのに、色んな段取りを飛ばしたり意味を書き変えたせいでそう感じてしまうのだろうか。
何回も日本を沈没させかねない、人の生活が破壊されるような事態が起きているはずなのに、妙に軽い。そこは責められないが、まだ311前の世界という感じがする。
それでも、震災の2年前にあの津波を彷彿とさせるような山をじわじわ越えてくる液体描写、避難の場面を先取りしているあたり、天才の所業というのはおそろしい。
予定ではあのまま人類補完計画に突入して終わるつもりだったのかな。それがなんであんなことに…?
そこはやはり震災の直撃を受けたということだろうか。
シリーズとしても、単体映画としても素晴らしい完成度
新作 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||見るために見直し第二段
序が秩序の中の違和感を感じる映画であり、
破はその違和感の延長上にある、新秩序の物語を綴ったものだと思う
初見の時は、月のあれはなに?、いったいカヲル君はどういう役回り?とか、
いわゆる前シリーズの公式にあてはめようとして、置いてけぼり 笑 食らったけど、
いろいろ考察を見た後だと、ああそういうことかとやっと理解できながら見れました 笑
ラストのラストの次回Q予告はいわゆるミスリードなんだけど、
盛大に滑ってる 笑 いい意味でねw
単体映画としても、他の実写映画よりも完成度高い
迷ったけど、初の5点にしました
:|| 楽しみ!
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