「【「揺らぎ」から「より大きな揺れ」へ】」ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【「揺らぎ」から「より大きな揺れ」へ】
「新劇場版:序」に対して、「新劇場版:破」で対比されるのは、本来は対立していてはいけないはずのものだったり、矛盾しているものだ。
国と、その中の組織。
ゼーレとネルフ。
魚が豊かな狭い水槽は、本来は豊かであるべきなのに汚染されてしまった大海原に対するアンチ・テーゼなのか。
古い街並みに人気はないのに、電車や学校の狭い空間に人が多くいる状況と実は同じではないのか。
いや、そもそも、人間は所詮狭い世界の中でだけでしか生きられないはずだと、外界を侵食してはいけないのだと示唆しているのではないのか。
葛城ミサトの正義が、父への反発をベースにしていること。
碇ゲンドウが、カオスとの対立概念として、調和と秩序を上げるが、過度な秩序への欲求は、調和を破壊するのではないのか。
過度な開発が自然を蝕むのと同じではないのか。
近づこうとすると、離れてしまう。
碇シンジとゲンドウ、シンジと綾波レイの関係はそうだ。
序破急の「破」は、文章作法の起承転結で言えば、「承」「転」にあたるはずだが、ここでは、調和や希望を破壊する「破」であるかのようだ。
「新劇場版:序」で感じた、少年や少女が大人になる過程で感じるような戸惑いや不安が、いわゆる音楽の「1/fの揺らぎ」で、調和に近いものだったのに対して、破では、揺らぎは大きく様々なものを破壊するかのようだ。
綾波レイが、エヴァンゲリオンは心の鏡だと言う。
エヴァンゲリオンを通してしか繋がっていられないのだと。
僕達が大人になる時に抱いていたささやかな希望に立ちはだかる壁のような感じだ。
綾波レイのささやかな望みや、シンジの希望を打ち砕くものは一体何なのか。
ゲンドウが願望は自己で実現するものだ、大人になれとシンジに言うが、願望とは、どうあるべきなのか。
綾波レイを救おうとするシンジの気持ちが、なぜ秩序を乱すのか。
綾波レイを見殺しにして、秩序を維持する選択をするのか。
葛藤などなく、単一の意思の制御によるダミーシステムが全てを支配するのか。
こんなものは調和ではないはずだ。
「新劇場版:序」で、綾波レイがシンジに言う「あなたを守る」という言葉。
「新劇場版:破」で、シンジが綾波レイを助けたいと思う気持ち。
何が違うのか。同じではないのか。
シンジの気持ちは間違っているのか。
少年や少女が、これまで重要だと考えていた価値観が否定され、社会で感じる矛盾。
こうした希望を打ち砕くのが「新劇場版:破」のテーマなのかもしれない。
ミサトが、綾波レイを助け出そうとする碇シンジに向かって叫ぶ。
「自分自身の願いのために行きなさい」
渚カヲルは、シンジを救うと言う。
何をもって…。
様々な疑問は、どのようにして明らかになるのだろうか。