劇場公開日 2008年7月19日

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「蒼井優がタナダユキの世界にはまった。」百万円と苦虫女 幻巌堂さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0蒼井優がタナダユキの世界にはまった。

2008年7月22日

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 短大は出たけれど定職に就けないまま、実家のある東京でレストランのアルバイトの日々を送る鈴子。同僚と賃貸マンションを探し家を出たものの、知らぬ間になぜか同僚に振られた男とのルームシェア生活。そしてあることが原因で同居男から訴えられ前科者になってしまう。なんとも理不尽にハンディを背負わされ、家族からもお荷物扱いの鈴子はまだ21歳。自分という存在をできる限り消して生きるために、旅に出る。そのために鈴子が考えた条件が、百万円貯まったら場所を変えて生きるということ。
 海の家のアルバイトではお好み焼きの名人と言われ、山の農家では桃もぎのために生まれてきた人と言われ、彼女の意思とは裏腹に、どこへ行っても一生懸命に働けば確実に存在感が生まれる。同時に、人の温かさに触れることで、確実に地に足がついてゆく鈴子。ところがどこへ行っても百万円が貯まる前に、問題が生じて出て行かざるを得なくなってしまう。そして東京近郊の町のホームセンターでは、アルバイトの先輩の大学生とはじめての恋。鈴子にとって旅に出て初めての、仕事以外に夢中になれる出来事であり、愛・信頼・ジェラシーといった感情を芽生えさせるものだった。
 主人公鈴子はもともと落ちこぼれなのだが、さらに下へ蹴落とされた若い女性。格差が広がり、理不尽がまかり通る現代社会の象徴ともいえるフリーターである。そんな彼女が始めるのは、流行の自分探しなどではなく、存在感を消して生きるいわば自分無色化の旅。そんな旅の象徴となるのが、彼女自身の手縫いのカーテン。人からの干渉を拒む盾のようなもの。ところがそんな旅から自分という存在が着実に見え出してくるのだ。このあたり、タナダユキは、自分探しブームへのアイロニーを持って描いてゆく。それは一見醒めているようでいて、時に痛快ですらある。全編を通して、常に下からの眼線で描かれながらも、そこには微塵の卑しさもなく、私も同じ人間であるという強烈なプライドに貫かれているというのも、見事だ。
 鈴子の行動の中では、手を繋ぐという行為が、大きな意味を持って描かれる。弟と、そして恋人となる大学生と。前科をもらった鈴子は強い。街で出会った同窓生グループにいじめられても、正面から立ち向かう。そんな姿を見て、姉を恨んでいた弟が、その存在を認める。家への帰り道の公園で手を繋ぐ2人。心に姉弟の絆が結ばれる。その絆の強さと温もりを、鈴子が旅先から弟へ出す手紙に込めて見せる演出は絶妙だ。また、アルバイトの帰り道、自転車で追いかけてきた大学生からの告白。互いに意識し合っていた心が結ばれる瞬間だ。ゆっくりと手を結ぶ2人。この2つのシーン、ともに心の喜びがあふれ出したような手の繋ぎ方がいい.スクリーンいっぱいに暖かな温もりが漂い出してくる。
 タナダユキの脚本は、蒼井優という女優にひかれ、彼女をあて込んで書いたものだという。鈴子というキャラクターはもちろん、そのファッションから歩き方まで、実に丹念に書き込み描き出しており、スクリーン上の鈴子は、まるで蒼井優と相似形を成しているようにさえ思われるほど。それに応えるかのように、カットカットで奔放なまでに変化を見せる蒼井優の表情と、一貫して醒めた調子を変えない台詞をなんと評せばいいのか。とにかくその存在感は圧倒的だ。彼女を受ける森山未来の適度に乾いた感じも捨てがたい。ラストの追いかけも、押し付けがましい爆発感のないところがナチュラルでいい。
 この作品は確実に今の青春映画だが、現代の日本社会のどうしようもない一面を描きながらも、最後の最後に捨てたもんじゃないと思わせてくれるところは、少なくとも評価に値する。百万円という現実的な記号よりも、人の心の中にはもっと大切なものがあるというスピリチュアルは、時代を経ても色褪せることはないだろう。小品だが、心に残る秀作だ。

幻巌堂