おくりびとのレビュー・感想・評価
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ものすごく美しい映画「おくりびと」
少し前に見た作品の感想を。
2008年の作品ですが、ずっと気になっていたので鑑賞。
映像、所作など本当に美しくて、涙もいっぱい出て、本当に心が洗われる作品でした。
特に自分の中で印象に残ったことが、
・周りになんて言われようが誇りを持って仕事する
・幼少期の家族との関係が自分の人生に大きく影響している
ということです。
僕は15年前から経営者になることを志して、今は会社を立ち上げ事業を営んでいるんですが、
「なんで経営者なるの?」「リスクあるからやめとき」「普通でいいやん」「なんでそんな仕事してるの」などなど、、、
いろんなこと言われ続けていました。
作中の本木さんも色々言われながら、それでも自分の仕事を遂行する姿を見て、かっこよさを覚えました。
そして、幼少期の家族との関係が、自分の人生を前進させるときに邪魔することもあると改めて学びました。最近これはよく感じるのですが、再度自分の過去を癒して行きながら、思いっきり前進させていこうと思いました。
自分にとってものすごく大切な作品になりました。
梶清智志
オスカー作品
やたらと評価が高いけど、もしオスカーを取ってなかったらどうなってたのか?
内容は悪くなく、本木の映画も素晴らしかった(またしても勝又に見えたが・・)が、
特別に面白いとは感じませんでした。
あまり考えたことはなかったけれど、納棺師というのは大変なお仕事です。
その仕事に就いている事で周囲が馬鹿にしたり反対したりする、
現実にもおそらくそうなのでしょう。それを知れただけでも収穫ですが。
でも何故主人公が偶然出会ったこの仕事にそこまで執着したのかが不明。
そして最後、生き別れの父の納棺をする事になる展開もやや強引に感じました。
いい旅して帰っておいで。
扱ってる題材からじっとり重くなりがちかと思いきや、淡々としながらも人間の間抜けさやその中に潜む愛情を感じていい映画でした。
他にもいろいろ言いたいことはあるはずなのに言葉で説明すると別なものになってしまいそうでむしろ言いたくない。
とにかく、できれば、何も考えずに見てください。
宗教や国は違っても大切な人への愛情は世界みな同じ。映画祭受賞で改めてそう思いました。
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父の葬儀の直前に見ました。
見てよかったです。
本木雅弘と広末涼子のカップルで、山形が舞台。
数年に渡る物語で、納棺師になる前から、そこそこベテランとして自信をもてるようになるまでが描かれており、丁寧につくられていることがよくわかります。
もう十数年前の作品になりますが、ほとんど古さは感じませんでした。ただ役者陣は、みなそれなりに若さを感じます。
厳粛な雰囲気のなか、コミカルな描写もところどころあり、いい映画でした。
死は人生の門か?
この映画の内容は説明する必要がないと思うが、個人的に、私の授業でこの映画をどう使おうか考えている。まだ、何にも煮詰まっていないが、主人公、ダイゴの心の変化、例えば、納棺師として歩んでいくかへの疑問、解決、父の死により父への蟠りが解けていくなどダイゴの心の移り変わりに焦点を置くのもいい。彼が納棺師として、歩もうか迷っているとき、この仕事が父親との再会を果たしてくれて、心からこの仕事に対しての確信と自信が持てたこと。でも、これを彼は知らなかった。父親の顔を思い出せなく、思い出したくもない彼にやっと、人生の一コマの区切りがつけたこと。彼の生まれてくる子供とともに歩む新しい人生に明るい希望が持てたこと。そして、父を許せたことが、最も彼の心の重荷を下ろして気持ちが軽くなったと思う。
この主演の男優は顔の表情をよく使い分けていて、微妙な顔の演技が上手だった。しかし、それに反して、伴侶役を演じた俳優はミスキャストだったと思う。この人は誰か知らないがアニメの声優かもしれない声質で、間延びした話し方で、緩慢で、申し訳ないが、残念だった。ただ、この人の役柄は重要で、ダイゴに語りかける一言一言が意味を持っていて、ダイゴの気持ちや考えに徐々に気づきを与える。そして、ダイゴは変わっていった。例えば、父から教わった『いしぶみ』を伴侶に渡す場面や父親の好きなレコードを大切に保存していることが母の愛情の表れと語る伴侶。
しかし、納棺師としての職業選択の決定だけは彼女が彼の気持ちを変えられなかった。彼女が気づいた。これが、素晴らしいかった。
人生においても自分が気づき変われること、または、人の言葉で気づき変われること、全く信念があって、変われないことがある。こんな実例をあげて、話し合いのポイントが見出せればいい。
こういうことに個人的に感動しいたが、クラスの学習者にとってここが論点になるかどうかはわからない。主に、学習者が、会話のトピックを決めて話あう学習者主導型のクラスだから。
少なくても、納棺師という、山形県酒田での貴重な役割、それに、出羽三山として聳える山々、その残雪の鳥海山をバックにチェロの音など話題はあるだろう。
*授業は一月上旬で、学習者はこの映画を見てきて、この映画についてどんなことを話し合いたいか決め、感想、経験、意見などグループで言い合うクラスです。何かアドバイスがありましたら、歓迎します。
美と敬意の生死儀式 納棺
青木新門さんが亡くなったニュースを聞いてこの映画を見ていないことに気がついた。『納棺夫日記』は20年前、都内で入手できなかったからか富山の出版社「桂書房」に直接注文した。当時の私は葬儀屋さんになった女の子の話や監察医解剖や人体の本をいろいろと読んでいた。
舞台は霙の冬から花の春に向かう山形で、照明と色彩と風景が美しかった。女の子になりたかった男の子の場面が一番辛くてきつかった。
餅や干し柿やフライドチキンなどをムシャムシャ食べる場面が多いし山崎努が居るのでどうしても伊丹十三監督の「タンポポ」を思い出す。「こおろぎ」(2006)という映画も同様だった(があまりにたるく、山崎努の無駄使いで途中で見るのをやめた)。伊丹十三へのオマージュなのかな。青木さんの本にも食べ物が沢山出てくる:水島柿、鱒寿司、軒下にぶら下げる鮭。富山だなあ。浄土真宗王国の富山で死は穢れではない。あるのは「生死」で「生」と「死」は別物でなく対立もしていない。お寺との距離も近い。月命日に必ずお坊さんを家に呼ぶ(朝8時!)。仏壇にお花、お坊さんにお茶と和菓子を用意して、お経をあげて頂きお礼は千円位。毎月だから誰か家に居ないと続けられない習慣だ。キラキラの仏壇と井波の欄間が立派な広い仏間は富山の少し昔の典型的和風家屋に欠かせない。そういう富山の人のメンタリティと親鸞の考え、そして空気感を変える程の清浄な立山連峰は映像に是非とも必要だったろうと私ですら思った。だから富山ロケができないことと、素晴らしい脚本だが結末が自分の言いたいこととは異なるという理由で青木さんが自分の本を原作として挙げないでくれ、と言ったのはわかる気がする。
でももっくんが青木さんの本に出会わなかったら、青木さんに何度も会いに行かなかったらこの映画はできなかった。もっくんの一挙一動は静謐で美しい。日本人で彼ほどスーツや白シャツを美しく着こなす人は少ない。寡黙に自らの身体と所作で表現する様式美タイプの役者さんだと思う。
職業に貴賎なし
とてもいい映画で、自然に涙があふれてくるほど感動しました。
ただ、ストーリーの根底にある、納棺師に対する偏見のようなもの=職業観・仕事観が、どうしてもいただけなかった。
それが原因で、夫婦仲が壊れたり、友人から軽蔑を受けたりと、話の進行に深く関わるものなのですが、私は基本的に「職業に貴賤なし」もっというなら、どんな仕事にも苦労ややりがいはあると考える者なので、「もっとましな仕事して」とか「父親になるから、ちゃんと生きて」みたいなセリフはまったく理解できませんでした。
そこが減点の理由です。
2013.3.1
百聞は一見にしかず
昔、遺体を洗う仕事のバイト代はとても高いという都市伝説のような噂話を聞くことがあった。
最近ではドラマなどで法医学の職業もよく知られていて、遺体と向き合う仕事そのものは知られていて不気味なイメージはあまりないが、それでもやはり特異な印象は受ける。
実際、警察官や介護士、ひとり身老人の見回りをする区役所の人間が立ち会うご遺体は相当な損傷や臭いだと言うし、作中の最初に出会うご遺体のような環境下での仕事はあまりやりたがれるものではない。
そのごく一般的な視点から仕事に就いた主人公の大吾が、初日こそあまりのショックに吐き気を催し気もすぐれないが、徐々にご遺体の人生と向き合い、美しい身なりで、遺族との最期の時間を整えてあげたいと仕事に対する想いが変化していく過程が見どころ。山形の美しい四季の風景とチェロの音楽と共に時間が過ぎ、納棺師として立派に成長していく。
軽口を叩くところもあった大吾が、オフの時はいい加減とすら感じられる社長の仕事ぶりを目に仕事に対する意識が変わり、精悍な顔つきで丁寧な所作で仕事に臨む姿は惹きつけられる。
死を直視するからこそ、生きている生かされている事実がよりまざまざと感じられ、妻の美香が息をし生きている存在に安堵と安心を感じる描写や、生きている限り命を頂き食し続ける自らの命を悟り、美味しくしっかり食べ命を全うすべくしっかり働く描写は、どんな人間も生き方について考えさせられる。
「一生続けられる仕事なの?」と聞いた妻の一言が刺さる。他の命を食し生きている存在が、何に時間を使い生きるのか。夢と思っていたチェロの仕事に就いても、うまくいかなかった大吾にとって、偶然就いた納棺師の仕事が、使命を感じられる仕事となった。ある意味運が良い。
顔も覚えていない父親の最期に対面したことで、より使命は確信に変わる。70数年生きて、遺したものが段ボール一箱の父親でも、大昔に父親と交わした石文は最後まで互いの記憶に残り、一生懸命手伝っていた姿は漁連の人々の記憶に残る。
息子を捨てて出てきた人でも、大吾の感情に大きく影響する。
どんな人間でも、生きている限り誰かからは必ず想われ、また誰かに影響もしていると思わされる作品。
そして、使命と感じられる仕事を迷いなく全うしたい、そう感じさせる作品。
人は向き合うと心にショックが大きい事、受け入れ難い事からは目を背けたくなるもの。目を背けているから、イメージで決めつけや誤解が生じる。葬儀屋、火葬屋、納棺師、死の事実を目の当たりにする職業ながら、作中で良妻としか言いようがない美香からも、最初は正しい理解を得られず、「汚らわしい」という言葉が突きつけられたりする。
でも、どんな仕事でも誇りと意思を持って一生懸命働いている姿は美しく、例え納棺師で葬儀屋から回されるような扱いの仕事だとしても、その姿を見たら2度と罵る言葉は出て来ないのが人間。
「夫は、納棺師なんです」最後にはこう話してくれた美香の言葉。認めて貰えて嬉しかっただろう。百果は一幸にしかず。
そう想わせるプロの仕事ぶりに見せる、しっかりした所作を身に付けた本木雅弘と山崎努の俳優としての仕事ぶりもまた、プロなのだと感心する。実際の納棺師は死装束を着せる工程も更にいくつもあるはずで、作内では反物を着せる前段階で皺なく整えるパフォーマンスに近いところや、遺体の顔や手を整えるいくつかの同じ所作ばかり出てきて、繰り返し練習したのだろうと感じさせるが、それもまた職業への敬意と誠意のあらわれに思える。普段の本木雅弘はかなり強情なところもあるのを知っているだけに。
山崎努演じる社長も、仕事でない時はなんともシュールだから更に、ギャップで仕事中の手際が際立つ。
死は門で、死の後に始まる世界の入り口。
その門出の儀式に立ち合つお仕事。
とても尊く、おくりびとという名にぴったり。
作中のような儀式的芸術的な仕事をされる会社は少ないと思うが、おくりびとの意識をその業界で働く方々が持てば、依頼する方々の目に入り、職業へのあらぬイメージもきっと変わるし、実際この作品の影響でかなりプラスに転じただろう。
見ようと思って自分の意思で直面できる人の死ではないからこそ、実際に人を失う大きな悲しみを伴うことなく、作品を通して死に向き合う時間を見られることは、百聞は一見にしかず。とても勉強になる。
【”人間の死と生とは何かという深淵なテーマ”を、雄大な月山を遠景にした庄内平野を舞台に描き出した秀作。】
ー 青木新門さんの「納棺夫日記」を読んだのは、手元にある本の奥付を見ると、1997年だったようだ。 その後、今作が公開され、私は”観た気になって”映画館で観る事は無かった。
が、その後、複数の媒体にて今作を鑑賞し、素晴らしき映画である・・、と思った。-
<Caution! 以下、内容に触れています。>
■何度観ても、クスっとなるシーン。
ー伊丹十三監督のテイストを感じるシーンでもある。-
・小林大悟(本木雅弘)が、東京でチェロ奏者として活躍する、夢を絶たれ、故郷の山形県酒田市の父親が経営していた、喫茶店で第二の人生を歩もうと、NKエージェントの面接を受けるシーン。
社長(山崎務)は、履歴書も見ず、採用と言い、そのまま”葬儀用ビデオに出演させられるシーン。
毛を剃るシーンで、実際に頬を切られたり、散々である・・。
ー 「お葬式」の喪主の振舞いを覚えるビデオを思いだす。 ー
◆ジワリと沁みるシーン
・小林が、死後2週間たった、独居老人の死体を扱った後,死臭を落とすために寄った銭湯で、偶然出会った高校時代の同級生、山下。そして、常連(笹野高史)。
一人で、銭湯を切り盛りする山下の明るい母(吉行和子)の姿。ー
・小林が、会社に行かず、川を橋の上から眺めているシーン。遡上する鮭の姿。産卵が終わり、死して流れてくる鮭の姿。
- 生命は生まれ故郷に帰る・・。-
・いい加減に見えた、社長の納棺の所作の静謐な美しさ。
- 山崎務の演技の素晴らしさとともに、自然に涙が込み上げてくる、死者への礼節を忘れない姿。この映画の素晴らしき点である。
その姿を見た喪主の夫の涙と言葉。”あいつ、今までで一番綺麗でした・・”-
・妻(広末涼子)が、夫の真の仕事を知り、一度は家を出るが、小林の家に戻って来るシーン。
”子供が出来たの。自分の仕事を、誇りを持って生まれてくる子供に言える?”
・だが、直ぐに行きつけの銭湯を一人で切り盛りしてきたお母さんの死が告げられ・・。
- 夫の仕事の尊崇さを初めて身近で見る妻の表情。-
常連さん(笹野高史)が、実は、火葬場の焼き場の係の人で、銭湯の息子(杉本哲太)に告げる言葉。
ー”門番として、多くの人を送ってきたよ・・”ー
・小林大悟を幼い時に捨てた父の訃報が入り、
ー”由良浜だから、すぐ傍に居たんだね”ー
女といなくなっていたと思っていた父が一人で暮らしていた事を知る大悟。
だが、父の顔が思い出せない・・。
市職員の雑な仕事を見て、自ら”送る事””を決める大悟。
妻の言葉。”夫は納棺士です!”
大悟が父を送る所作をしている際に、固く握られた父の掌から落ちた”丸い石”・・
<人が忌み嫌う”亡くなった人を送る”仕事は、実はとても尊崇な仕事であった。
原作をヒントとして、見事なエンターテインメント作品に昇華させた滝田洋二郎監督と、映画化に尽力した本木雅弘さんの熱意が、実った作品。>
こんな仕事がねえ
納棺士ってのは聞いたことがなかったです。
葬儀の人がやるのかなあ?くらいの認識でした。
人の死の話がメインなので得てして地味な内容になりがちなのですが、モッくんはとても演技がうまくてかっこよくて華があり、なおかつ脇を固めてる俳優陣が素晴らしいので地味なのに退屈せず見られました。
死体を扱う仕事なのでそりゃあ偏見もあるし奥さんは反対するのもわかります。
音楽と映像が綺麗で納棺の儀式もとても綺麗にやるもんでなんだか芸術的な映像美がありました。
銭湯でのエピソードや、石の話など小さい伏線がきいてて特にラストのお父さんにはなんとなく感動してしまいました。
まあ、捨てたのは事実だから感動するのもなんか変なんですけどね笑
旅立ちのお手伝い
亡くなった人で商売をする卑しい仕事?
多くの人が思っているだろうことを代弁するように、周りの人からマイナスイメージで物語はすすむが、
関わる人は、この仕事の尊さに触れていく。
夢をあきらめること、実家に帰ることに何も言わずついて行った妻だったが、この仕事が汚らわしいと、、、男としてはこんな悲しいことないな。
旦那が死人に触れる仕事をするのが嫌なのも、わからなくもないが。
知人の母の納棺から、旦那の仕事を目の当たりにし、
義父を看取る時に、この仕事の素晴らしさを感じていく。
同時に、主人公が嫌悪していた父との関係に向き合うことに、、、
大事な人の死を、粗末に扱われたくない。
誰もが思うことなのに、側から見ると卑しい仕事にみえる。
それは偏見だったな。と、消化してくれる作品。
これからの日本は超高齢者社会で、
亡くなる方も多くなるだろう、
生きてる間にこそ、死と向き合う。
向き合えばこそ、より生きてることが貴重に感じる
のだと思う。
お盆の時期に家族と見たい。
完成度の高い作品。ストーリーが特に全体を通して無理がなく、冷めることなく引き込まれていきました。特にラストの描き方は、、、たまりませんでした。もっくんと広末涼子をはじめとした俳優の方々も堂に入った演技で素晴らしかったです。お盆を前に妻と見たのですが、お互い死について話をするきっかけにもなる映画だと思いました。前からみたかった映画ですが、家族と一緒に見るタイミングまで待って見て正解だったと思いました。
神が交響曲の最終楽章まで演奏できるように、私達人間は次の命に引き継いでいかねばならないのです
確かに納棺師を描いた映画です
ですが、本当のテーマは、人は何の為に産まれ、生きて、死んでいくのか?だと思います
それを納棺師という職業を通して描いているのです
主人公は何故元チェロ奏者なのでしょうか?
昨年2019年、チェロにまつわる大事件がありました
さる世界的自動車会社のCEOが特別背任で逮捕収監され、厳しい条件をつけられた保釈中に、彼はチェロの楽器ケースに潜んで、出国審査をすり抜けて国外脱出をしてのけたのです
つまり、チェロとは人間が隠れることができる程大きなケースが必要な楽器なのです
そう棺桶のように
楽器ケースだけでなく、チェロ自体も棺桶に似ています
木の箱で、中は空洞なのです
そのチェロを名手が奏すれば、美しい調べが流れ出して人の心を打つのです
素人が弓を弾いてみても騒音にしかならないのに
人もまた死ねば魂は天に登ってしまい
魂のない、命のない、がらんどうの肉でできた棺桶です
つまりご遺体は、チェロに似ているということなのです
納棺師という仕事は、ご遺体という楽器を美しく奏して、遺族の心を癒やすという意味において、チェロ奏者とそう違いはないのです
そして友人の母が独りで営む銭湯
あの銭湯は薪を燃やして沸かしているから、湯が柔らかいのだと、常連客が話ます
彼は燃やすことのプロでした
彼は自分は門番だと語りました
みんな門をくぐり抜けていくのを見送ってきたと
自分もまた向こう側に行って彼女とすぐ会えるとも
誰もが例外なく必ずいつかは死ぬのです
だから、劇中のご遺体は老人ばかりでなく、どちらかというとまだ死ぬには早い人が多く映ります
まだ中年の主婦、ヤンキーの女子高生、クリスチャンの家の少年、LGBTの青年
自分の性別を拒否して自由に生きても、死ぬ時には死ぬのです
死からは自由にはなれはしないのです
もちろん、自分の父や母も死ぬのです
そして自分もいつかは死ぬのです
それは何十年も先のことかも知れないし、明日かも知れないのです
妻や、大事なパートナーも死ぬのです
まだ小さな子供も死ぬかも知れない
いずれにせよ何十年も経ては、子供も老人になり死ぬのです
コロナウイルス禍の中ではいつ誰がどうなるかわからないという事がいっそうはっきりしたのです
それでも人の世は続いて来ました
これからも続いていくでしょう
子供が産まれそして死んでいく
それが繰り返される、それだけのことです
コロナウイルス禍だって、それが多少加速したというだけのことです
私達人間はみな神の楽器です
神に奏されて、美しい調べを生きている間、鳴らさなけれないのです
そのために産まれてきて、生きているのです
それをチェロになぞらえていたのです
納棺師とはその最後の演奏を助けてくれる人のことだったのです
父と子、そしてまた父と胎児
命の継承とは、人は生まれて、親となり、老い、そして死んでいく
その輪廻であること
そんな当たり前ことを、普段は忘れています
神が交響曲の最終楽章まで演奏できるように、私達人間は次の命に引き継いでいかねばならないのです
あの石文のように
何気にカレンダーの印が気になった。
6日ごとに赤く囲んであったのは友引なのだろうか、とNKエージェント内の小物が気になってしまったのです。棺の料金にもなるほどっと納得し、大きい人用の特注棺はどうなるのだろうと気になってもみた。そんな納棺師という馴染みのない職業。葬儀社の下請けをしている会社だったのですが、給料は良くても緊急呼出しが多いだろうし、休みも取りにくいなぁ・・・実は、カナザワ映画祭で上映されている『死化粧師オロスコ』も観たかったのですが、似たような職業とはいえ、あまりにも趣旨が違いすぎると思い、断念してこちらを観た次第。
死化粧に限ってみれば、海外の映画のほうが死化粧師を多く取り上げているし、ほとんどの場合が墓地に隣接している場所だったりする。『バタリアン』とか、『ゾンゲリア』とか・・・もしくは『オンリー・ザ・ロンリー』とか。宗教の違いこそあれ、どう考えても、死者を尊ぶとか、「死が門出」であるなどといった次元の作品ではない。美しく、恭しく、芸術的にまでに高めた納棺の儀を目の当たりにするにつれ、改めて日本人に生まれてよかったと思う反面、馬鹿高い葬儀費用や墓地の値段も気になってしまう哀しさも生まれてくる。
主演でアイデア提供者である本木雅弘がチェロ演奏や芸術的な納棺技術を見事に演じたことも評価したいのですが、それよりも強く心に響いてきたのが職業差別のことでした。中学時代に将来どんな職業に就きたいかと聞かれ、「葬儀屋になりたい」と答えたほどなので、忌み嫌う職業とされているとは思ってもみなかったのです。
「死人のおかげで稼いでるくせに!」という言葉にムっときて、じゃあ、坊主はどうなんだ?医者はどうなんだ?ましてや実際に人殺しをしている兵隊さんや操っている政治家はどうなんだ?と文句を言いたくもなりました。だけど、死者へのいたわり、着替えにしても見せないようにする配慮、一時でも生前の美しさに施す優しさは遺族の態度を変化させるのです。友人役の杉本哲太も、本木の妻役・広末涼子もそうでした。実際に親族を亡くした者にしか差別の壁を打ち破れないのかもしれません。ただ、葬儀代金を払えない人たちもいて、やっぱり一部からは嫌われているのが現実だと思います・・・
銭湯の経営者・吉行和子のエピソードがまた泣かせてくれる。そして笹野高史の意外な職業にも。あの苦々しい顔からは、彼もまた自分の職業を人には言いづらかったんだろうと感じてしまう。「死は門である」というどんな宗教にも通用しそうな普遍的な言葉。多くの最後のお別れシーンを見続けるためには、そうやってモチベーションを高めなければやっていけないのだろうなぁ。
広末涼子は後半になって表情が乏しくなってきたけど、本木が泣き崩れて絡むシーンは最高でした。社長の山崎努や余貴美子の演技もよかったし、“石文”の伏線もよかった。問題があるとすれば、若い人の死が多過ぎだったことでしょうか・・・
〈2008年9月 映画館にて〉
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