潜水服は蝶の夢を見るのレビュー・感想・評価
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なかなか無い映画。主題がいい映画
映像と音楽の雰囲気が素晴らしい。綺麗かな。描いているものがいい。生々しい生への執着を感じる。女や食べ物へ、の。最後の氷が崩れるのも印象的。生へ執着した男のあっけなさ、諦め、追想を感じる。ストーリーの構成に重きをおく人にはつまらないかも。正直、話の展開はあまりない。が、動きがなさそうに見える中の微妙な動きがいい。
極限状態になった時、どのように動くことができるか
かつてELLE誌の編集長をしていたジャン=ドミニク・ボビー氏の自伝小説の映画化である。
作品は主人公の目線と過去の記憶から綴られている。
ボビー氏はドライブ中に脳血栓に襲われそのまま全身不随に陥ってしまう…その不自由な状態はまさにこのタイトルに或る。
映画を見ながら自分がこういう状態になった時の気持ちは?そしてどう行動するか?何ができるか?想像せずにはいられなくなった。
潜水服よりもこの状態、精神的重さのほうがおそらくもっと計り知れないくらいだろう。
主人公の記憶と想像で紡がれるこの物語は、自由奔放に過去、現在を飛び回る。
生きる尊厳を奪われながらくじけても立ち上がり、自分のやり方で自分自身を懸命に生きる事で改めて「人間であること」を確認する姿に完全に感情移入して観てしまいました。
映画で在るべき作品
上から見下ろすカットをほとんど使わないのが特徴的。
どん底から始まり華やかだった過去へ戻って行くストーリーと要所要所のドミニクの想像力はジュリアン・シュナーベルの詩的映像と最良のパートナーとなった。
ドミニクの心情を広大な自然の情景を用いる表現は素晴らしかった。
作品の冒頭で崩れ去った氷河がエンディングで巻き戻されるのも印象的だ。
まさに映画でしか表現出来ない芸術性があった。
永久に蝶の夢を見る。
ポエジーなタイトルとは裏腹に、ロックイン・シンドロームに陥った男の瞬きから生まれた自伝。右目以外の全身が麻痺しているのに、意識だけははっきりとしている状態の計り知れない苦痛。前半、一人称のカメラ(主人公ジャン=ドーの目線)は、彼の“見える世界”を映し出す。右目の前に顔を近づけないと真正面にいる人でさえ判別つかない狭い世界。テレビのチャンネルを変えることも、カーテンを開けることもできない。硬い潜水服にロックインされた彼の意識は、右目前に現れる風景を必死で手繰り寄せる。やがてその意識は、記憶と想像力の蝶となり、自由に時空を飛びまわる・・・。右目の瞬きを使ってアルファベットを伝えるコミュニケーションを覚えてから、一人称だったカメラは彼の想像力のように自由に飛び回るようになる。映し出される映像は、時に幻想的で、時にリアルで、そんな風景が美しい。虚実ないまぜのストーリー展開だが、根底にあるのは静かな絶望感。人気ファッション誌「ELLE」の編集者で、仕事にも女性にも家庭にも不自由していない栄光の人生から一瞬の転落。それでもモテる男の周囲には、何故か女性がむらがる(笑)。妻以外にも、言語療法士や彼の瞬きを読み取る口述筆記者など、献身的に尽くす彼女たちの忍耐と努力によって、生きる希望を見出すジャン=ドー。死生観や宗教観などもはさみつつ、全編が静かで知的な雰囲気なのは、現実を受け入れ、希望を持ったジャン=ドーの心情そのまま。ひらりひらりと蝶はどこまでも飛んで行くが、ゆっくりと沈んでゆく潜水服は微かな死の予感を孕む・・・。20万回の瞬きで綴られた蝶の夢。海底に沈んだ潜水服は、おそらく今もなお、永久に蝶の夢を見続けていることだろう・・・。
人間すべては共有できない
自分の肉体の中に閉じ込められてしまった主人公に、何人かの登場人物たちが言う。
「自分の経験は一種のロックトインだ」
確かに、私たちはみんな程度の差こそ大きいけれど必ず孤独の中にいる。
そして、そんな中にこそ私たちの想像力がはためく可能性があったりする。
だから実在の人物とはいえ、かなり想像しにくい主人公の状況は(想像しやすいように映像は補助してくれます)、実は人間の本質的な部分を表しているのかもしれない。
昨日観てたときはあんまり好みの映画じゃなかったなぁ・・・と思ってたけど、今日お風呂でふとそう思いついて、いい映画だな、と驚きました
エンドロールは、氷山の崩れの逆回転
映画「潜水服は蝶の夢を見る」(ジュリアン・シュナーベル監督)から。
いろいろな映画祭で絶賛された映画らしく、
封切りを楽しみにしていた映画作品であった。
脳梗塞で倒れ、意識ははっきりしているのに、
自分の言葉が通じない。しかも、身体全体が動かない。
唯一、動く左眼の瞬きで自伝を綴り始める物語に、驚きを覚え、
それが実話を元にしていることに、さらに驚嘆した。
しかし、今回の私のアンテナに引っかかったシーンは、
作品終了後のエンドロールに映し出された「氷山の崩れの逆回転」。
環境問題を語る時に、よく利用される
「氷山」が、けたたましい轟音と共に崩れていくシーンを、
なぜか逆回転で流し、これが延々と続く。
すなわち、氷山が崩れていない状態に、戻っていくのである。
その表現の意味するところ、そして監督が伝えたかったこと。
残念ながら、私にはちょっと理解できなかった。
また、時間がたったら、インターネット等で調べてみたい。
成し遂げられるだけの理由がある。
☆
もちろん応援することも、希望を感じさせることも大事だろうけど、
どんな過酷な状況に居ようとも「希望を捨てるな!」と声高に叫ばないで
“現実”を描いているところが素晴らしい。
左目の瞬きだけしか出来ない人間が、
知識と経験を総動員し想像力を発揮して、本を執筆する。
そんなこと僕には到底無理だろうし、出来ても陳腐な詩ぐらいが関の山。
そういう意味では、導入からすんなりと入っていける美しい描写で、
彼の経験を体験しているような錯覚に陥るようであるのに、
これは“持っている者”のお話だと言い聞かせて観てもいる。
そして、忘れてならないのが、
ジャン=ドミニクはELLEの編集長だったということ。
凡人どころか、才能溢れる人物であり、
そこに到るには相当な努力もあったであろうし、
その結果として人生を謳歌していた人物であり、
全ての人がこの作品の主人公のように医師や理学療法士、
言語療法士から受けているような
好待遇を得られるわけじゃないでしょう。
それなりの“モノ”を持っていたと思うのが当然で、
セリーヌや子供たち、友人たちに愛情が全くないとは思わないが、
父親や恋人のイネスが取った行動の方に強い愛情を感じてしまう。
ジャン=ドミニク自身にもそれはよく分かっていたのだろう。
だからこそ、重たい潜水服に身を包み
海の底に沈んでいくような感覚にもなるし、
それでも目の前の献身的な人々を見て、そんな中にいたくはないと、
蝶のように想像の翼を羽ばたかせ、
世界を旅する気持ちにもなるのだろう。
実話を美化することなく、
丁寧に彼が見たであろう光景を繊細に再現しようとする映像も、
想像したであろう世界を幻想的に描いた映像にも惹き付けられ、
男の“欲”を排除しない視線の動きにも、
ユーモアや毒を吐くことを忘れないモノローグにも、大いに共感し、
それでも最大限の敬意が感じられる作品で、肉体的にというだけでなく、
似たような状況に遭遇したその時に、
思い出したい、ヒントにしたい作品。
ぬけぬけと力強い人間の賛歌
瞬きで本を書き上げたという信じられない偉業をなし得たのは、本人が健常の頃から培ってきた魅力ゆえ、というのが何とも面白い。想像を絶するような苦闘もさることながら、そのきっかけが「あなたELLEの編集長でしょ。愛読者だったの」とは。人を惹きつける奴はどんなになっても人を惹きつけるんだ。その生命と意志にはただ感嘆する。
それをじっくりと描いたシュナーベルは力強く素晴らしいが、アート指向な画作りは善し悪し。潜水服のイメージは凄く良いが、氷山の崩落を巻き戻してるのはアート気取り臭い。
それにしても、発病を最後に持ってきた編集は見事だ。この不運がやるせなく痛切。心に残る。
少し飽きた
左目だけで言葉を伝達し、本を出したとことは衝撃的な内容ですが、映画として観たときにその苦悩っぷりが全面にでているので、途中からその設定にたいしての飽きを感じてしまいました。
これは実話です。本当にあった話です。といわれるとなんだか「すごいなー」という気分になりますが、最近の映画は必要以上にそれを押し付けられている気がします。実話だからプラス何点みたいにしてしまっている自分がやるせなくなります。
それから印象的だったのはE.S.A.・・・という言葉で、途中から呪いの呪文のように聞こえ始めて少しぞっとしました。
また、エンドロールの氷山?が落ちる映像の逆回しは、再生をうまく表現していて、なんだか妙にぐっときました。
主人公とともに潜水服の中へ
オスカーノミネートのフランス人ジュリアン・シュナーベルが監督する映画" Le Scaphandre et le Papillon"="The Diving Bell and the Butterfly"=「潜水服は蝶の夢を見る」。
実在する主人公が書いた手記をもとに映画化されたものです。脳梗塞で左目以外動かせなくなった主人公の視点から見たものなのですが、この演出が素晴らしかったです。
映画の中の主人公の周りの人にとっては、コミュニケートが極めて難しい患者として写るのですが、彼の心の声を観客は聞くことができるため、観客にとっては広い表現力を持ったユーモアのある人物として映ります。
邦題にも仏題、英語題にもあるように潜水服の中に主人公とともに観客は閉じ込められます。潜水服の中から主人公と一緒に外界を観察しているような感覚に陥るこの映画、やっぱり監督の力量なんでしょうが、最初から最後までぐいぐい映画に引き込まれ、あっという間にラストシーンです。フランス映画には珍しく(?)心地よいカタルシスも得られます。監督賞ノミネートも当然?
おすすめです。
人間愛だね~
脳梗塞で左目以外動かなくなった雑誌編集長が、左目の瞬きだけを使って言語療法士と二人三脚で一冊の本を完成させるまでの実話の映画化。
この手の作品は、どうしても障害のある主人公の演技に目が行きがちで、そこにはどこか見世物的な趣があるように感じ、どちらかというと敬遠していました。ダニエル・デイ・ルイスも、ロビン・ウィリアムスも、ダスティン・ホフマンも、そしてロバート・デ・ニーローもみなさん障害者をがんばって演じてたけど、がんばればがんばるほど偽善ぽくってしらけちゃうんですね。
でも、この作品はしょっぱなから演出の仕方に工夫があります。ああやられると見世物的な感覚は緩和され、主人公の心情にすっと入っていけます。ストーリー展開はいたってオーソドックスですが、視点の設定が斬新なので退屈になりません。無理やり泣かせようとするのでなく、淡々と展開していく演出が、逆に涙を誘うこともしばしば。マチュー・アマルリックでしたっけ、主人公演じたフランス人俳優の人。とてもいい存在感ですね。
フランス映画観ると、いつも人間のリアリティを教わります。
今までにないくらい主観的
かつてここまで忠実に主観的な映像を再現したのは見たことがない。
アカデミー撮影賞が撮れなかったのが不思議なくらいだ。
映画は8割くらい主人公の目線で描かれる。その映像がとてもユニークで、ピンボケだったり、話し手の顔が見えなかったり、関係ないところを向いていたりする。これほど主人公と一体になれる映画は珍しい。自分の意思が伝わらないことのもどかしさ、手足の自由がきかないことへのイラつきが嫌というほど伝わってくる。
そんな苦しい状況だが、主人公は「想像」することで自由な身体を得て、何処へでもいけるのだ。この辺りの映像が、映画全体の息苦しさを緩和させる。
登場する女性はみな魅力的に描かれている。主人公は言葉には出さないものの、次第に感謝の気持ちや愛情が芽生えていると感じられる。
感動を押し付けるような映画ではなく、人間の温かみをしんみりと伝える秀作。
ただ、映像を楽しむにはある程度のスキルが必要かもしれない。
蝶になれない蝶を観るのは退屈
ロックトインシンドローム患者が瞬きで自伝を綴ったという事実には驚嘆するが、それを映像化して面白いかといえば、必ずしもそうではないし、その手法には大いなる工夫と困難がつきまとう。だが、この作品はそうした難問を、前宣伝ほどには克服できていない。それどころか、作品として哀しいくらい見事につまらない。
同患者にかろうじて残されたものは左目の自由の他に二つ。「記憶」と「想像力」。その貴重な「想像力」が貧弱で陳腐ときては誰も面白がれないし、楽しめないし、安手の涙さえ流せない。患者の「想像力」は大空を自在に羽ばたく「蝶」になれず、さなぎのまま朽ち果てている。一つ言えば、言語療養士の唇が何度も何度も繰り返す「E.S.A.R.I.N・・・」というアルファベッド、意味を持たぬはずのアルファベッドの文字がある様式美やリズムを伴ってしだいに耳に快く響いてくるのは意外であった。意味は不明だが、俳句か短歌のような定型詩を聞かされているような不思議な錯覚と陶酔にとらわれた。だが、だからといって、これはこの映画の評価を上げるものでは決してない。
蝶は浮気の象徴。
まさかこの作品を、こんなに早く観られるとは思わず(汗)
まぁ~名画座だろうな…なんて諦めていたのですよ、ホント。
そしたら近所のシネコンで上映が決定!?していてビックリ!
もちろんすぐさま観に向かいました…!
今年のアカデミー賞でも4部門にノミネートされた本作ですが
(どれかひとつでもとって欲しいな~)期待通りの素晴らしさ☆
とりあえず今のところ、文句なく一位にするだろう作品です。
あ、おすぎと一緒?^^;
ファッション誌「エル」の編集長として活躍する人生から一転、
脳梗塞で倒れ、昏睡状態だった主人公。物語は突然、
彼が目を覚ましたところから始まります。…このアングルが見事!
唐突に左目しか機能していないことを露呈させ、主人公と同様、
観客までが状況を掴むまでに時間をかけることになります。
やがて医師や看護師、博士などの説明から、彼がまばたきしか
出来ない状況であることが判明し、リハビリが開始される。。
すでにこの時点で、ものすごく悲壮感が漂っても良さそうなのに、
本作にはそれが全くない!それどころか、ユーモア満載で
詩情に溢れ、ただただ観ているこちらが驚くばかりなのです。
二進も三進もいかない状況で、こんな表現が果たして出来るか?
そこにこの主人公の人間性と、監督の人生観が投影されています。
実際にこの後、まばたきのみで自伝を完成させた主人公の過去、
いろいろな問題も暴露されますが、これぞおフランス主義♪か?
とにかくチャーミングというか、多分女がほっとかないタイプ^m^
彼が有名誌の編集長だったことが頷けるような生き方をしている。
彼のワガママに付き合い、彼の世話を焼き、彼に(目で)語らせ、
旅までさせたりするのが、ぜーんぶ美しい女達でっす。^^;
アンタ、潜水服なんて着なくたって周りが蝶だらけじゃん♪なんて
思ってしまった。そして彼本人にまったく嫌味がないのも素晴らしい。
この物語は彼の身に起きた不幸。を描いているようにみえて実は、
素晴らしき哉、人生!を地でいっている人生賛歌なんだと思います。
どんな状況にいたって、僕は僕である。それをしっかりと踏まえた
男の末路は生であろうが死であろうが、幸せなものだと感じられる。
鑑賞後に、これほどスッキリ感が残るとは思っていませんでした。
彼のとった選択、確かに妻なら寂しい部分はありましたけどね…(-"-)
監督:J・シュナーベルと、M・アマルリックの演技に大拍手!!
(夜の蝶と昼の蝶では、たぶん彼にとっても?違うよね…なぁんて)
監督のキリスト教に対する描き方には疑問が残ります。
脳梗塞で、一切の身体の自由を奪われた主人公の映画のために、当初から動きの少ない作品であることは予想されました。それでもきちんと映画になっている監督の力量に驚きましたね。
一見単館系のフランス映画に見えて、撮影はスピルバーグ作品の撮影監督が努めていたり、なんと主役は当初ジョニー・ディップが演じることになっていたそうです。残念ながら、パイレーツの撮影が多忙で、流れてしまったそうなのです。「ネバーランド」でヒューマンな主人公を好演したジョニデであれば、もっとこの作品に陰影を付けられたことだろうと思い残念に思います。
まぁ、それくらいバリバリのハリウッド映画でありながら、監督はジャン=ドーの存在感にこだわり、ジャン=ドーの入院したフランスの病院でロケし、ハリウッド映画では珍しくフランス語で語らせることで、まるでドキュメンタリーを見ているかのようなリアルな作品となりました。
但し主役のマチューの演技もリアルティもなかなかのもので、元気だった頃のジャン=ドーと入院後では、全く別人といえるくらい説得力がありましたね。
撮影方法もジャン=ドーの唯一動く左目の視野の制約をそのまま描き出し、なんと彼に語りかける人の顔までフレームアウトしてしまう徹底ぶりです。
右目を閉じる手術のときは、ゴムをレンズにおいて、縫合するところを撮ったそうです。
ただこの作品はそんな映画技法以上に、テーマがが強烈に語りかけてくる作品でした。 脳梗塞が身近な病気になった現代。もしも自分がジャン=ドーになったらと問いかけずにはいられなくなります。
原作で彼は、こう語っています。「健康なときは私は生きていなかった。存在しているという意識が低く、極めて表面的でだった。しかし私は再生した時、『蝶の視点』を持ち復活し、自己を認識する存在として生まれ変わった。」
確かに映画でも「死にたいと」述べていた彼は、明らかに変わっていきます。そして家族の絆や父親としての実感など、今までほったらかしにしてきた大事なことにも気がついていくのでした。
きっと彼の使命は、人生の目的を多くの人に考えさせることににあったのではないかと思います。五感が満足に機能している間は、刺激に反応しているだけだし、自分欲求を満たすことで頭がいっぱいで、感じている出来事の意味の一つ一つを深く考えていないことが多いはずです。
視聴覚や嗅覚などを満たすだけの日々は、本当に生きていることなのだろうかという疑問をジャン=ドーは病気になって初めて、気がついたのでした。
華やかな一流ファション誌の編集長を努めていて、自分が主役であり、思うとおりになった人生、それがずっと続いていくかのように思っていたのに、諸行無常であったのです。
けれども心の内を見つめれば、そこには無限の可能性が宿っていたのです。ジャン=ドーにはそれが蝶となって羽ばたく如く、魂の自由を感じたのでしょう。
一編の詩集を見るような作品です。
淡々と進んでいきますが、終わったあと、観客はみんな哲学者になっていることでしょう。
ということで、凝った撮影技法や詩を紡ぐようなカット割り構成など斬新な表現方法をとっている本作は、単館系の作品を何本も見ているような通の人に受けるこだわりの一本と言えます。
ただ一般の映画ファンにも、アクション映画ばかりでなく、たまにはこういう作品で人生とは何だろうと思索に耽るのも悪くないと思いますよ。
●追伸
不満点を述べるなら、ジャン=ドーの魂の叫びが聞こえなかったということです。彼が希望を見つけるまでの間、画面は回想シーンに飛んで、気がついたら本の執筆が進んでいたのです。もう少し彼の葛藤と克服していく過程が見たかったです。
また彼の奥さんは信仰深いクリスチャンであったことから、ジャン=ドーをルルドに連れて行こうとします。結局ルルドへ行く前の教会のジーンで、突如回想シーンになって、顛末がよくわかりませんでした。
ルルドの聖地の回想では、過去に巡礼の行列に並んだシーンしか出さず、むしろルルドの歓楽街での体験を長々と撮っています。あれでは監督は、聖地といってもこんな俗っぽい裏があるよと聖地を貶める表現を敢えてしていると言っても過言ではないでしょう。
カウンターカルチャー出身の画家も兼ねる監督だけに、宗教による救いに対して抵抗感があるのかもしれません。
全身麻痺した、ジャン=ドーであれば、神についても考えたことでしょう。また内なる心の世界を斯く見入ることで、様々なインスピレーションにも敏感となり、魂についても思いはせていたに違いないと思うのです。
けれども監督は、ジャン=ドーに神を信じる気持ちからの懺悔や罪の思いに対する許しなど、一切触れませんでした。そもそも神についてどう思っていたのかについても触れてなかったのですね。
ジャン=ドーのような人にこそ、魂の完全性や永遠性に触れさせてこそ、大きな感動を呼ぶものだと思います。
生きているという現象を追いかけているだけでは、やはり潜水服の世界から抜け出せていないなあと思いました。肉眼を超越したところに「蝶の目」はあるものですから。
最初はジョニー・デップ主演だったらしい
雑誌「ELLE」の編集長という第一線で活躍していたジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)は、病院のベッドで目を開けると、看護士から「何週間も昏睡状態だった」事を告げられる。
しかし、奇跡的に目を覚ました彼は、目が見えるだけで、話す事も身体を動かす事も出来なかったのだった。
そして、右目さえも化膿してしまう為に、縫い付けられてしまうのであった、、、
このシーンのカメラワークは、なかなか面白いです。
看護士と言語療法士により、リハビリを開始するのだが、こんな状況でも「こんなに美しい女性達に手も触れられないなんて、、、」と嘆く彼って、ちょっと理解出来ないかも(>▽<)
言語療法士アンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)の導きにより、目の瞬きによって意思を伝える事を指導される。
アルファベットの並んだボードを利用して、YESなら瞬きをする事で文章を作っていくのだが、呼んで貰えるスピードに合わせられずにイライラしてしまう。
「E,S,A,R,I,N,T,U,R...........」(フランス読みなので、判りづらいですけどね)
テレビも見ているのに消されたり、逆に夜中番組が終了しているのに消して貰えなかったりなど、イライラとすることばかりであった。
そんな彼が最初に伝えた言葉は、「死にたい」だった・・・・・
彼の浮気が原因で離婚した妻セリーヌ・デスムーラン(エマニュエル・セニエ)は、彼を心からいたわるが、浮気相手の女性は連絡さえも寄越さない。
飛行機事故で負った重傷から立ち直った友人が、彼を励ましにやって来る。
(その飛行機は本来彼が乗る筈だったのだ、、、)
彼が見る夢は、海底で重たい潜水服を着て自由に身体を動かせない自分であったり、言語療法士アンリエットとのエロティックなシーン、、、(彼にとって蝶のように自由なのは、女性とのエロなんですよね、、、う〜ん、そんなもんかなぁ、、、)
前半は、ほとんどを彼の目線からのカメラワークで進行して行きますが、途中から彼の全身が映され始めます。
ギョロっとした左目、縫い付けられた右目、ひん曲がった唇からよだれを垂らすその姿は、かってのプレイボーイの名残などまったく感じられない悲惨な姿であった。
初めは、その姿を見せたくなかった子供達に出会い、彼の心に変化が訪れる。
そんな彼が起こした行動とは、なんと瞬きを使って自伝を書く事だった。
絶望の底から、生きる為の活動を始めるジャン=ドミニク、、、
献身的に彼を支える家族達、、、
そんな彼の元に浮気相手から電話が掛かって来る。
瞬きを使って彼女にメッセージを伝えるジャン=ドミニク、、、、
そのメッセージを読み取り、伝えるのは前妻であった。
「きみのことを愛しているよ。」
う〜ん、、、理解不能、、、
「象の背中」以上に理解出来ない行動です。
まぁ一応離婚している訳だけど、、、それってどうなの、、、?
遂に20万回の瞬きで自伝を書き上げた彼は、直後に死を迎える。
実話だそうである。
20万回の瞬きをした彼も凄いが、そのメッセージを読み取った編集者の女性も凄いと感じました。
ジャン=ドミニクは、「E,S,A,R,I,N,T,U,R...........」の「R」で瞬きするだけだが、彼女はまた初めから「E,S,A,R,I,N,T,U,R...........」と声に出して読み始めなければなりません。
これって、相当に辛い仕事ですよw( ̄O ̄)w
う〜ん、、、微妙です、、、確かに凄い事だとは思ったし、映像も凝っていたし、役作りも見事だったとは思うけど、、、
好きか嫌いかと聞かれれば、こういう映画は嫌いかな(*´Д`*)
絶望から立ち直った辺りから、もっと明るくなるのかと(見ている側にもその希望が伝わって来るような)想像していたのですが、あまりそうではなかったんですよねぇ、、、、
挙げ句には前妻に対して、あんな行動をしてしまうし、、、、
結局、自分の伝記を書いただけなんですよ(>▽<)
それって、とても自己満足なだけで、こんな状況になっても、最後まで自己中心的な奴なんです。
だから、あまり共感する部分がありませんでした。
彼が残りの人生でするべき事は、もっと他にあったのではないだろうか、、、?
映画評論家連中が大好きそうな映画です。
これを誉めておけば間違いないという感じですね。
余談ですが、当初このジャン=ドミニク・ボビーの役をジョニー・デップが演じるという話があったそうです。
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