「見たかった未来戦争は、この作品にはありません。」ターミネーター4 kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
見たかった未来戦争は、この作品にはありません。
2009年6月中旬、封切り二日目の夕方にTOHOシネマズ六本木ヒルズのスクリーン7にて鑑賞。
映画を山ほど観ていると、好きな作品だけでなく、嫌いな作品にも出会う事がありますが、私が人生で最も嫌いな作品が本作であり、本来のシリーズを愛してやまない為に、これに関しては“邦題”ではなく“原題”でしか表記したくなく、出来ることならば、星を一つも付けたくない、この『ターミネーター・サルヴェイション』はそんな一作です(ファンの方には申し訳ありませんが、駄文にお付き合いください)。
西暦2018年。自我に目覚めた人工知能“スカイネット”によって、引き起こされた“審判の日”から十数年が経過し、アッシュダウン将軍(マイケル・アイアンサイド)の率いる人類抵抗軍の小規模部隊の指揮官であるジョン(クリスチャン・ベール)はある日、スカイネットがカイル(アントン・イェルチン)という少年を標的にしている事を知り、彼を助けるために、ジョンの捕虜となった謎の男マーカス(サム・ワージントン)と手を組み、本部へ乗り込む(粗筋はここまで)。
私は評判の悪かった『ターミネーター3』を大いに楽しみ、それを観る前は『2』で終わっていたと思っていたものの、実はそうじゃなく、SFとしては、本来の歴史通りにならなければならず、『2』で完結していたら、それこそが矛盾して終わっていて、前二作の主要スタッフのなかで一部しか参加せず、出演者もシュワルツェネッガーとアール・ボーエン(シルバーマン博士)以外に続投せず、不安だらけな要素が多かったのに、それをはね除け、暗黒の未来がやって来て終わっただけに、「もし、第4弾以降が作られたら、今まで断片的に描かれてきた未来戦争をフルで観られるのだろう」と期待していました。しかし、本作が『ターミネーター』の第4弾であっても、無くても、期待していた世界は、ここにはありません。
『ターミネーター』シリーズの未来世界は核戦争で地上が荒廃し、足元には瓦礫や骸骨が散乱、放射性降下物が空を覆い尽くし、昼でも真っ暗で、人類は地下に隠れ、薄汚れながら、スカイネットに対してゲリラ戦を展開し、僅かな武器と度胸で戦いながらも、赤外線を使う無人偵察機のハンターキラーが空と地上を支配し、それに見つかれば、搭載されているプラズマ光線を食らい、あっという間にやられてしまうという恐ろしい光景が広がっています。『ターミネーター3』の設定が無かったことにされていても、今回からは“審判の日”以降の話になっているので、その世界になっていなければ成立せず、なっていない場合には具体的な説明が必要になると思うのですが、説明がなければ、なってもおらず、人類が地上に基地を持ち、薄汚れていなければ、戦闘機や武器を普通に持ち、ソニーのコンピュータ(最強のコンピュータが地球を支配してるのに、コンピュータで挑むとは、この世界のスカイネットも人類も互いに優れてはいないのですね)を使い、司令部が潜水艦にあり、海に人が飛び込んでも何の影響も出ず、薄暗くなければ、骸骨も転がらず、マシーンも人間もプラズマ・ライフルを持っていないという想像とは、大幅にかけ離れた世界にただ幻滅するばかりで、“らしさ”を一切感じないというところが痛々しいです。
監督のマックGは「ジェームズ・キャメロンをリスペクトしているから、“ターミネーター3”のような作品にはしない」とインタビューで語っていたのに、この世界は『ターミネーター』ではなく、まるで『マッドマックス』で、戦車型のハンターキラーは序盤に一瞬しか出てこず、代わりに『トランスフォーマー』のような巨大なロボット(動きは“ロボコップ”の“ED-2O9”みたい)が登場し、飛行機型ハンターキラーも初期型のエンドスケルトン“T-600”も、まともに人間狩りを行わないだけでなく、それらがレジスタンスの基地に近づこうともしないので、“人知を越えたスーパー・コンピュータ”である筈のスカイネットが間抜けな存在としか思えず、マックGは本気で『ターミネーター』を作ろうとしていなかったのが見受けられます。普通、定着したイメージのある作品の続編はそれを再現すればするだけ、製作陣がオリジナルを敬愛しているのかどうかがハッキリすると思うのですが、この製作陣はノリに乗っているクリスチャン・ベールを担ぎ出して、『ターミネーター』のブランドで金儲けする事しか頭に無く、シリーズ一作目でカイル(マイケル・ビーン)のショットガンに紐を括りつけて使いやすくする件の再現や二作目のガンズ・アンド・ローゼスによる主題歌『You could be mine』の使用といった小ネタは使うのに、それ以外はまともにやらず、巨大ロボットとバイク型ロボットが活躍するカーチェイスのシーンに製作費を注ぎ込みすぎたのか、本来ならば、本作の目玉である若い姿のシュワルツェネッガー型ターミネーター以降のシーンが安っぽくなり、エンドスケルトンは子供の頃にスーパーファミコンでプレイした『T2 ジ・アーケード・ゲーム』の未来戦争の場面に登場するエンドスケルトンの方がリアルに見えるほどショボく、話やキャラクターも魅力(“ターミネーター3”の設定があるのか無いのかが曖昧な為に、ヒロインのケイトのポジションが重要じゃなくなっていたりと、中途半端さが失敗を加速させている)があったり、面白い(時代が2018年で、人類がスカイネットに勝利するのが2029年なのだから、タイムスリップのネタは使えたはず)とは言えないので、全てが無意味(これは私にとっては同じく認められないドラマ版“サラ・コナー・クロニクルズ”にも言えますが)に等しく、『ターミネーター3』よりも大コケし、製作会社が倒産したのも頷けます。
本作の良いところを一つ挙げるなら、続編が作られなかった事でしょう。確か、本作が公開される半年ぐらい前の段階で残り二作の続編をクリスチャン・ベールが主演の前提(その知らせが入った段階で“なんだ。ベールが主演し続けるって事は“サルヴェイション”でジョン・コナーがどんな目に遭っても、生き残るの確定じゃないか”と思い、シラけたのが懐かしいですが)で製作される事が発表されていましたが、この大コケで流れたのは朗報で、宙に浮いたシリーズの権利をミーガン・エリソン女史が買い付け、リブートされ、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』として甦るキッカケとなったのですから、そこは間違いなく、良い点と言えると思います。それ以上に評価できるところは皆無ですが。