劇場公開日 2008年8月9日

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「ダークでありながらも神々しい。」ダークナイト マロピさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ダークでありながらも神々しい。

2008年8月11日

泣ける

怖い

興奮

ティム・バートン版の「バットマン」も僕は好きだ。
ゴッサム・シティーの雰囲気は、どちらかというとティム・バートン版のほうがより、雑多な犯罪都市感が出ていた。
また、バットマンの造形もよく、バットモービルは素敵だったし、サントラもプリンスだったし。
しかし、ティム・バートン後の「バットマン」は完全に迷走。
キャラは続々と登場するも、実の無い話に終始、ドタバタコメディ、と化しており、「バットマン」ってこういうものなんだなと悪い意味で認知されてしまった。
それが残念でならない。
しかし、「ビギンズ」からは、全く姿を変える。
人物とストーリーを魅せる作品に大きく変貌。
新たな方向性を打ち出し、僕はこの方向転換を好意的に受け止めている。
これは、クリストファー・ノーラン監督に深く感謝せねばなるまい。

「善と悪」、もうこれはずいぶん前から幾多の映画で語られたテーマである。
「スターウォーズ」だって壮大な親子ゲンカでありながらも、ダークサイドに堕ちる人間を描いた物語だった。
しかし、本作では、この2つを今までに無い形で多角的に見せる、そして問いかける。
悪は悪でも法で裁けぬ悪を強大な力で制するバットマン。
しかし、法でコントロールされた社会における、その行為は、いわば悪でもある。そしてその強大な力は、それに挑むかのようにさらに凶悪な連中の出現を誘発する。今回はジョーカーがまさにそれ。
彼らはコインの表裏一体、呼び合うように生まれ、相対する。
バットマンは、そのジレンマに当然の如く悩み、ジョーカーはそこに「カオス」を注入する(本作のジョーカーは、この「混乱」への煽動が非常に巧みで、映画史に残るであろう熱演)。
この、スパイラルから抜け出すにはどうしたらいい!?
あえてイバラの道を進むバットマンは、まるで十字架を背負ったキリストのようであり、正義のため、理想の社会を作るために敢えて泥をかぶる。
悪を制するはずの力が、結果的により強大な悪を生み出すという善悪の発生原理。
禅問答のように、答えが見えるようで見えない、十字架を背負ったバットマン。

これを152分、延々と見せる。
そして観るものに考えさせる。
監督なりに禅問答の答えは一応提示はしたが、まだまだ続くと思われるラストに今後もメガホンをとってくれ、と願う。

そして、サマームービー、アクション大作を期待したお客さんは大きな肩透かしを食らうだろう。
もちろん、大きなハズレは無いのだが、本作はアクションで楽しむ映画ではなく、ストーリーの浮遊感、ジョーカーにより巻き起こされる「混乱」に身をゆだねる作品だから。

マロピ