「神と人間の関係を、父子の葛藤に置き換えて描いた作品。難解+爆睡(^^ゞ」ツリー・オブ・ライフ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
神と人間の関係を、父子の葛藤に置き換えて描いた作品。難解+爆睡(^^ゞ
難解とは聞いていましたが、余りに深遠な哲学的な内容に、全編爆睡してしまいました。従って記憶の断片でレビューを書き込みすることをお許し下さい。
字幕翻訳者のベテラン戸田奈津子さんに言わせれば、本作は21世紀の『2001年宇宙の旅』だ!と評していました。なるほど、象徴的な映像が多く、そのワンカットごとに深い意味が込められていそうで、共通点を感じさせられます。
但しドラマとしてみていった場合本筋に全く関係ない風景ショットの連続には閉口してしまいました。ウトウトとしていたので、今日見にいく『ライフ』の試写会に来ているのかのような錯覚に囚われてしまうほどでした。
監督の言わんとするところは、よくある親子の葛藤を描くことに留まらず、ひとりの人間が生きていくことの意味を映像化したかったようなのです。仏教でいえば「諸法無我」と同意になる命の起源とつながりを挿入することで、主人公が存在している背景には、こんな無数の関係性があるのだよ。ひとりひとりは、独立して生きていくことは困難で、みんな依存し合って生きている無我なんだということが言いたかったのでしょうか。
タイトルの『生命の樹』というのは、聖書にも仏典にもおよそ世界宗教に扱われている概念。個々のいのちは独立しているようで、実は一本のいのちの樹に繋がっているという考え方です。およそ宗教が、今のように各宗に別れて相争う状態となる前のもとなる教えの時からあった根本概念なのでしょう。
劇中に描かれるジャック父子の確執は、本作にあってはむしろ伏線にしか過ぎません。恐竜時代まで登場する原始からの命の系譜があくまで本筋。それでこの父子の確執の意味するところは冒頭に旧約聖書のヨブ記の話が登場してくるように、神と人間の関係の比喩なんですね。威圧的な父親像は、人間を罰するユダヤ教やキリスト教の主なる裁き神になぞらえているのだと思います。その辺はフロイトやユングの心理学を彷彿されるものがあります。
キリスト教にならずとも、信仰を持つものにとって悩ましいことに、油断するとヨブのように打算的になり神仏と取引しがちになることです。信じてやるから金よこせ(^^ゞ見たいに。あるいは逆境の時に、自分は神仏に見放されたと勝手に信仰を投げ出してしまうことです。神仏の救いとは、世の父親に似て、決してその子供たちを突き放しているのではなく、魂が鍛えあげられる成長を暖かく見守ってるだけなんですね。しかし、子供の目からは、困ったときに手を差し伸べてくれない神仏に対して、勝手に見放されたと思い込んでしまう。さらに危機が迫ってくるとは知らず、神仏の示した戒律には逆らって自由を主張する。人間と神仏との関係は、実にこの作品に登場する父子にそっくりなんです。だから、信仰深い母親は、目に見える「あなた(神)」へ問いかけて、神に愛されている自覚を取り戻そうとするわけなんですね。
本作を分かりにくくしているもう一つの要因は、ジャックの少年時代と中年時代の二つの描かれる時間軸に全くつながりがないことです。それが、極端に断片化されて交差するものだから、まるでピカソの絵を見ているような混乱に陥ってしまうことです。
映像や音楽自体のクオリティは素晴らしいものを感じさせます。但し、分かりやすくて楽しい仕上がりの作品とは決して言えません。西欧的な一神教の風土に共感できるかどうかで評価が別れることでしょう。見にいくからには、それなりに睡眠を充分取って、気力充分で行かれることをお勧めします。