「うねり続け生命の詩」ツリー・オブ・ライフ 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
うねり続け生命の詩
いやあ、眼と耳で観るクラシック曲のような映画だった。
人間ドラマと言うよりも映像詩。
断片的な映像の洪水と楽曲との一体感が非常に心地良い。
もうアルファ波出まくり。
本作で印象的だったのは“うねり”。
光のうねり
星々のうねり
波のうねり
細胞のうねり
煙る星雲、火山、大瀑布
子どもらの動きに合わせて躍動し続けるカメラ
映画に繰り返し登場する、うねりうねる事柄の同調。
うねりとは何だ?
うねりとは脈動だ。流動だ。連続だ。そして、
次の動作が予測できない、不規則な動作だ。
だがこの世に“不規則”など本当に存在するのか?
なにがしかの法則に基づいているのに、
その法則があまりに巨大で膨大で、
我々人間にはその動きを予測できないだけではないのか?
宇宙、海、天変地異、生体活動、そして、人生。
これらを繋ぐ巨大な法則。
それを単に世の不条理と呼ぶか、神と呼ぶか、究極の科学と呼ぶかは人によるが、
本作の節目節目で登場する“光のうねり”は、
その“人には伺い知れない巨大な摂理”の象徴に思えた。
その上で語られる、或る家族の姿。
鑑賞中、映画版『サイレントヒル』のある台詞が浮かんだ。
「子どもにとって母親は神と同じ」
幼い頃は親の言う事が唯一無二のルール。そこに間違いは無いと信じてたし、
その親同士が喧嘩すると世界が瓦解するような気分に襲われた。
この映画の少年が募らせた神への不信も親への不信に他ならない。
これも一種の信仰。
劇中で、母と息子は己に問うているようだ。
『あんなに優しく美しい息子がなぜ死ななければならなかったの?』
『こんな無機質で虚しい俺の人生に意味などあるのか?』
悲しみに耐えて生きなければならない理由がほしい。
神への奉仕でも、
家族への愛でも、
なんでもいいから、
生きること、死ぬことに理由を与えてほしい。
理由なんて無いかもしれない。
けれど人間の生と死が無価値だなんて、一体全体誰が本気で信じたがる?
人は様々な悲しみに、何らかの方法で折り合いを付けて生きてる。
この母親の場合はそれが神への信仰だっただけだ。
宗教という言葉に身構えてしまう僕だが、本作のは
金儲けの為の宗教でも
権威主義者の宗教でも
他人の思想に不寛容な宗教でも無い。
ただ生きたいが為の宗教だ。
僕らと何も違わない。
みんな歯ぁ食い縛って、世の不条理に耐えて生きてるだけだ。
<2011/8/15鑑賞>