「2011年宇宙の旅?と生きる意味」ツリー・オブ・ライフ m326さんの映画レビュー(感想・評価)
2011年宇宙の旅?と生きる意味
何とも不思議な映画で、正直かなり面食らいながら観ていたが、終わってみると、とても映画らしい映画だとも思える。監督がどのような宗教観をもった哲学者なのか知らないが、哲学者にして映画監督であることが、この映画の制作を可能にしたのだ。台詞を少なくし、解釈を観客にゆだねている点や、映像と音楽/音響のみで宇宙や生命進化を描写していくあたりは確かにキューブリックの「2001年宇宙の旅」と似ているところがある。
この映画を観て、こんなふうに感じた。
この宇宙には、創造主が存在する。それは、宇宙が高度に複雑な法則に従って組み立てられ、その中で生命が誕生し進化してきたことからわかる。偶然の積み重ねでは説明できない。
しかし創造主とは、キリスト教が唱えるような、人を救う存在ではなく、また罰する存在でもない。神は与え、奪い、救い、罰するというまるで相反することを人間に対し行っているように見えるが、そうではない。創造主は、もともと人間など遥かに超越していて、人間の存在など、この広大無辺な宇宙ではとるに足りないものなのだ。
そうでなければ、3月の震災で突然あまりにも多くの人々の命が奪われた理由は説明できない。この震災を天罰だと言い放ったどこかの都知事がいるが、天罰を与えられるとすれば、原発で多額の利益を得、原発のおかげで電気を湯水のように使ってきた人々であろう。創造主は無慈悲、というよりは人間に対し無関心なのだ。善人がしばしば悪人よりも不幸な目に合うのも、神が人間の行いなど見てなどいないからなのだ。
父の教えに従い、仕事に成功はしたが「世の中は悪くなる一方だ。人々はどんどん欲深くなる、他人を支配しようとする」とつぶやき、仕事に疲れ家庭も冷え切った長男ジャックが、人生を振り返り、父と母、兄弟のことを想い出す課程で、救いを見いだしたのがラストシーンであろう。救いを求めるのは神ではなく、自分自身であり、家族である、とのメッセージではないかと解釈した。
監督がこの映画で意図したのは、一方的にこれが正しいと主張するのではなく、観客が生きる意味を考え、生きるよりどころを見いだすきっかけを提供したかったのではないかと感じた。様々な解釈が可能な映画だ。小説ではこのようにはいかないであろう。
CGによる映像群は見事で、とくに木星の映像は、鮮烈で印象に残った。
ところで、多くのクラシック音楽が効果的に使用されているのにパンフレットには音楽については全く言及がない。曲の一覧くらいは載せて欲しかった。
感想を読んで、まさにその通りだと思いました。
今回は、特にストーリーや観た方の感想なども見ず、
急に時間ができたので映画館へ行ったのですが、
先入観なしに観たので余計に新鮮でした。
人物のない映像と音声だけで、
あれほど心情や生命を表現できるなんて
すごいと心から感心しました。
初めて観る感覚の映画で、
独特なカメラの動きや映画の撮り方に見入ってしまいました。
尊大なテーマですね。
私も、私を取り囲むものも、
過去もいまも未来までも、
とてもちっぽけなものに感じました。
この映画をみたら、
何があっても受け入れられるような気がします。
強さというより、あきらめに近い。
だけど虚しくもない。
より人が愛しくなり、より寛大になれた気がします。
観る人によって感じ方も捉え方も幅広い、
色んなことを考えさせられる映画でした。