「『スーパーマンが求められてたのか』問題」マン・オブ・スティール クラゲ男爵さんの映画レビュー(感想・評価)
『スーパーマンが求められてたのか』問題
まずこの映画の内容を語る前に『スーパーマンは求められていたのか問題』を語らないといけないと思うんだな。
スーパーマンと言えば認知度100%(ホントかw?)のスーパーヒーロー。
「あれは鳥か、飛行機か?いや、スーパーマンだ!」
おなじみの赤パンはいたアメリカンヒーローの象徴だ。
象徴、ではあるんだけども、いかんせん登場したのが昔過ぎて現代に当てはめるのが難しい存在でもあるんだな。今時『赤パンにマントなんて・・・』ってどうしても思っちゃう(笑)。
(その点これも最近映画化された『キャプテンアメリカ』にも通じる部分だ。あちらはなんとか形になったけども、やっぱり苦しかったw)
『これだけスーパーヒーロー映画が隆盛を極めている中で、スーパーマンはどれだけ求められているんだろうか?』
企画が持ち上がっては流れて・・・という事が繰り返された末に、その問いに答えるべく回ってきたのがクリストファー・ノーラン(監督はザック・シュナイダー)だったわけだ。
バットマンシリーズに『リアリズム』という新風をそそぎ込んで、大ヒットを飛ばしたノーランだったが、果たしてこの問いにはどう答えるのだろうか・・・?
ノーランはその問いに(やっぱりというかw)『リアリズム』で答えようとしたんだな。
スーパーマンがこの世界にいる理由、戦わないといけない理由、地球を愛する理由・・・。
それらを全てまるで現実にあることのように見せようとしてスーパーマンが存在することを観客に信じ込ませようとしたんだ。
オイラが決定的に失敗したと思うのは(あ、失敗って言っちゃったw)そのリアリティの付け方なんだよな。
『どうしてスーパーマンがこの星にくることになって、地球の為に戦うのか?』という事にリアリティをつけるために前半クリプトン星の滅亡の話と、彼が地球に送られるいきさつを延々と語るんだけども、それらが全部圧倒的に"薄い”んだ(笑)。
資源を掘りすぎちゃったから星がダメになったとか、スーパーマンに民族の全データを埋め込まれちゃったから狙われるだとかっていう話って、いくら一生懸命語ってもやっぱり"お話”でしかないんだよな。
そこに感情移入するような"共感”は得られないし、同時に『スーパーマンでなければならない理由』にはならないと思うんだ。
だからこそ前半の延々語られるスーパーマンの出自の話は長く感じられるし『スーパーマンで期待してたのってそういうことじゃないんだよなぁ』感が出ちゃうんだと思うんだ。
(ちなみにオイラはノーラン自身は大好きなんだぜwそれでも、なんだよな~)
実際、超人同士の戦いは新しいビジュアルを示してくれていると思うんだ。
超人同士が戦うと、一番強いのは武器よりも肉弾戦で、一発殴るだけでビルの向こうまでふっとんじゃうっていうのは、爽快だったし面白かったと思うんだ。
けれどやっぱり『そもそもスーパーマンは求められていたのか』問題への回答、「やっぱりスーパーマンはこうでなくっちゃ」な感じがないだけに、どこか芯を外した印象になってしまったのも確か。
「人がまだ避難していない街の真ん中で、あんなに派手に戦っていいのか?」なんて突っ込み(笑)も、その問いに答えられていかなかったからじゃないのかな~なんて思ったりもするんだな。
もしもオイラがその問いに答えるとするなら、きっと「明るいヒーローが見たいんだ」って答えると思うんだ。
トラウマや憎しみの連鎖みたいな話ばっかりのヒーロー映画の中、スーパーマンくらいは、ひたすら強く、迷わず、真っ直ぐなヒーロー像を見せて欲しい。
それこそが、スーパーマンに求められている物なんじゃないかなーと思ったりするんだけど。