「正義とは何だろう?」スーパー・チューズデー 正義を売った日 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
正義とは何だろう?
この映画はジョージ・クルーニの監督作品なので、私は主演も同様に、ジョージが演じるのだろうと勝手に思って、観始めたのだが、なるほど選挙戦の映画作品では、候補者本人よりも、候補者のイメージを創り上げていくブレインスタッフ達の物語にする方が、よりスリルの有る物語になると気が付いたら、かつてアメリカ上院議員選の候補者を描いたマイケル・リッチ監督の『候補者ビル・マッケイ』と言う作品を学生時代に観た事を思い出し、あの映画では、めでたく当選したマッケイ議員が、当選後には、原稿や政治戦略を考案してくれていたスタッフは解散し、一人残された勝者である筈の候補者マッケイが途方に暮れる、と言うラストに衝撃を憶えた事を思い出した。
この作品もライアン・ゴズリング演じる若き有能なスティーヴンと言うブレインが、主演のちょっとしたサスペンスタッチの作品だ。そのブレインスタッフのスティーヴンがちょっと魔が差したのだろう、彼には、ほんの小さく些細な事柄と錯覚したその行動から、選挙戦の結果が予想外の大きな問題へと発展して、候補者の先行きが怪しくなると言う辺りは、選挙戦の裏話としての、恐さが強烈に伝わるシーンだ。しかし、良く考えると、何も選挙戦だけに限らず、人間誰しも心の奥底に潜ませている潜在的な無意識の領域の何処まで、自分で気持ちの動きを自制し、コントロールする事が出来るのか?そのちょっとした心の隙が、自己の人生の将来に思わぬ影を落とす程の、命取りに成る事が有るとこの作品は示唆している。
正直アメリカ大統領選挙戦の映画は、アメリカの選挙制度を熟知していない日本人にとっては、あまりお薦めではない。選挙制度が解らないと、登場人物に最後迄、感情移入する事が困難だからだ。それに只の選挙制度の裏話に終始してしまっては、「やはり選挙戦の裏には、カラクリが有り、酷い事する汚れた世界だな~」で終わってしまうのだが、スティーヴンとポール(フィリップ・S・ホフマン)の忠誠心の在り方の対比を描き出した事で、映画が面白くなってくる。
この2人の芝居の対決がこの映画の命だと言っても良いだろう。
一般の日本人にとっては、アメリカ選挙戦は良く解らない事と思えるが、決して海外の政治とばかりに切り離して考える事は出来ないし、我々日本人にとっても、厳しい影響を受ける事柄なので、この選挙の裏話を観てしまうと私などは大きなジレンマに陥ってしまい、ストレスになってしまうのだ。
だがこの映画を娯楽としてだけ楽しみたい方にとっては、ルールを知らないスポーツの観戦を無理にしている様なものだから少し退屈してしまう気がするのだが、どうだろうか?
予備選に於いては、何処の州で他の候補者より、どれ位高得点をマーク出来れば、その後の選挙戦に有利になり、候補者は安心出来るのかなどの詳細が良く理解出来ていない日本人にとっては、アメリカでは、本作がどんなに評判が良く、面白くて大衆受けしても、この映画を日本人が観た場合には、アメリカ人なら誰でも察しが付いて解るような票数の競り合いなども理解出来ないので、面白さはやはり半減すると思う。だからと言って、この映画が楽しめない駄作とは決して言えないのだ。
この作品では、人間の根本的なところで、人から信頼される人間とは一体どう言う人間なのか?そして人を憎む事や、裏切るとは一体どう言う事なのか?と言う事について痛切に考えさせられる作品でもある。
今日、オバマ大統領の2期目の当選が決定したが、やはり今回の、オバマ氏の選挙戦でも色々の戦略が練り上げられ、マスコミを取り込んだ、根回しによるイメージ作りが成されていたのだろうか?と考えると、恐い様でも有り、そうした真実の裏側を知る事が出来ない事は、幸せな事なのか?と妙にこの映画が感慨深い映画に思えたのだが、あなたはこの映画をどう観るのだろうか?