「『PLAN75』に対するアイロニーとして、この映画を位置づける。」チェンジリング マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『PLAN75』に対するアイロニーとして、この映画を位置づける。
1928年の事件。この翌年にはアメリカは恐慌になり、1930年に世界恐慌となる。イーストウッド監督による『バビロン』ではないか?そんな感じがする。イーストウッド監督の誕生が1930年であることも偶然の一致だろうか?
さて、勿論、戦前だから、1941年12月8日にアメリカは参戦する事になる。
もし、この子が生きていたとすると、
1920年生まれだから、開戦時に21歳故、徴兵で硫黄島に行っていた可能性もある。
さて、さて、この映画のテーマたが、一見、警察権力に立ち向かう一人の女性を描いている様だが。それならば、犯人の悲惨な姿を撮る必要はないと僕は感じた。また、キャラハンはサンフランシスコでも、同じカルフォルニア州。警察を単純に抗議する内容であっては、余りにも自虐的。
ナチスの優生保護法と同じ様な事をアメリカもやっていたと言う事だ。もっとも、優生保護法は戦後にも存在したし、精神疾患に対する考え方は、戦後10年以上経っても『ロボトミー』と言う考え方があった事を忘れてはならない。
従って、1935年時点のアメリカ社会は、この女性の抗議行動では、何一つ変わっていない。
さて、さて、さて、個人の意思を国家社会が無視して、法律で判断をくだし、社会を変革させると言った内容に対する抗議として僕は解釈した。つまり、僕は
『PLAN75』などに対するアイロニーとして、この映画を位置づける。
そして、それに気付かずに未だに同調圧力にままならない日本人に見てもらいたい。
この映画のような社会だったアメリカ相手に、日本は戦争を仕掛けたんだから。愚かだと思う。