「アバターは宮崎アニメの3DCG実写版として勝手に認定!」アバター(2009) Kadwaky悠さんの映画レビュー(感想・評価)
アバターは宮崎アニメの3DCG実写版として勝手に認定!
アバターは3Dを想定して奥行きを意識したといわれる映像が、
2Dでは逆に奥行きを感じなくなっているのは気のせいだろうか。
しかしどこまでが実写でどこからがCGか、もうわからないぐらい
緻密に描かれる映像は感動的だ。
たぶん3Dで観たらさらに感動できるだろうことは想像に難くない。
ところで、今回はその映像や最新技術に目がいってしまったのか、
ストーリーのチープさを酷評する者が多いが、この映画のストーリー
の出自が宮崎アニメのナウシカである、と勝手に決めさせてもらう。
ケビン・コスナーの「ダンス・オブ・ウルブス」と極似であったとしても、
それであれば他にももっとあるんじゃないかしら。
もともと日本のアニメや漫画に造詣の深いキャメロンだから、出自を
ナウシカとしたとしても別に不思議ではない。
そういえば銃夢はどうなったんだろうね。
まあそれはいいとして、キャメロンは別の方向からナウシカの実写化
(まあCGアニメという捉え方もあるが)に成功してしまった。
さらには映像的にラピュタやもののけ姫まで持ち出して宮崎アニメの
フリークを大いに喜ばしてくれている。
まあそうしたぼくの心をくすぐってくれるシーンの数々に個人的には
とてもよかったのだが、一般的にも評価されてよい作品だと思う。
アバターのテーマはシンクロニシティ=同期だ。アバターとの同期も
そうだが、ナヴィ族は自分の髪の毛の先から出てくる、まるで王蟲の
触覚にしか見えないもの(フィーラーというらしい)で、馬や怪鳥や
植物と同期する。
そして、シガニー・ウィーバー扮するグレース博士がいうように、動植物
を含めたパンドラという星全体が意識を同期できるネットワークを持って
いるのだ。
実にここで描かれている世界観は、吉本隆明の「アフリカ的段階」や
中沢新一の「対称性人類学」に等しい。西欧的には南北戦争やインディ
アンやアフリカのお話に結びつけたがるだろうが、それも拡大解釈すれば
森羅万象の東洋的宗教観に結びついてしまう。人間がまだ動物や植物と
密にコミュニケーションを行い、お互いがいつでも入れ替わることも可能
だった世界は、神話の多くが語っている。
それはヘーゲルがいうところの野蛮ではなく、異世界の文化である。
それは現代の文化と同等に価値のあるものである。
ところで、アバターの宮崎アニメ的シーンはさきほどの触覚だけではない。
ラピュタを思わせる浮かんだ岩(これは飛行石ではなく磁力によるのだけど)
や、人間たちをなぎ倒すように襲ってくる猛獣の群れはもののけ姫のいのしし
の大群を想起する。
怪鳥に乗っている姿に千と千尋を想起したり、輸送機を襲撃するシーンで
ナウシカを想起することもできる。
さらには、ナヴィ族が住む森の造形はまんまもののけ姫に出てくる森そっくり
だし、魂の木の造形はもののけ姫のシシ神のいた森を想起してしまう。
とまあ、世界観が似通ってるからなんでもそんな風に見えてしまうのだけれど、
そういう風に見えるからぼく的にはとても楽しい作品に仕上がっていた。
それはラッキーなことだと思う。