「ゲーム系エンターテインメント」GOEMON まんぼうさんの映画レビュー(感想・評価)
ゲーム系エンターテインメント
監督の個性も大きいのでしょうが、最後のクレジットにも注目していました。
そうすると、ありました「エイベックス」、また、彼らがやったのでしょうか?
ここからは、多分、妄想でしょう。
「GOEMON」を、私なりに解釈すると、
GOEMON
=ゼルダの伝説(リンク=GOEMON)+FF(技=呪文は初期のFF)+「武士道」
(なぜか、基本は、任天堂ワールドでは?)
天下のお庭番(半蔵:伊賀)の弟子に、真田の才蔵(伊賀)と「GOEMON」がいたり、佐助(甲賀)は真田にいかなかったのか、秀吉の朝鮮出兵はどうなったんじゃ、というようにお遊びとしての混乱はかなりありました。
しかし、関係者の誰かが日本史をチャンと理解しているのではないか?
私の教えられた日本史では、
広義の「武士」は、更に、「兵:つわもの」、「侍:さぶらい」、「武士:もののふ」に区分されます。
これは、歌、俳句等でどう表現されているかをみると、分かりやすいと思います。
「兵:つわもの」
夏草やつわものどもが夢の跡・・・(芭蕉ですね)
「侍:さぶらい」
み侍(みさぶらい)み笠と申せ 宮城野の 木の下露は 雨にまされり
・・・(だれか忘れました:仙台のバス停名の由来となっている歌です)
「武士:もののふ」
皇御国(すめらみくに)の 武士(もののふ)は
いかなる 事をか つとむべし
ただ身に持てる 真心(まごころ)を
君(きみ)と親(おや)とに 尽(つく)すまで
・・・筑前今様(俗称:黒田節)3番
このように「武力」を行使する人種も三種類に分かれて認識されていました。
「兵:つわもの」は単なる「傭兵のようなもの」、
「侍:さぶらい」は側に侍う(さぶらう)から来ているように「主人に仕える人:従って必ずしも善悪の観念は無く、時には立身出世、儲けに走ることもある」、
「武士:もののふ」は、公的なもの、即ち正義もしく守るべき価値(人)を守るためにしか武力を用いなかった人達です
さらに言うなら、天下人で必ずしも正義の人ではなかった「平清盛」は「侍:さぶらい」でしたが、その息子で「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と悩み結局は「忠」を選択した「平重盛」は「武士:もののふ」でした。
かえって、分かりにくいですか?、ごめんなさい。
「GOEMON」では、
普通の兵は「兵:つわもの」、
「秀吉」や「石田三成」さらには「佐助」などは「侍:さぶらい」として、
「GOEMON」や「信長」は「武士:もののふ」として描かれています。
以上、妄想です。
・デモなんで、家康が「人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。」って謡うの?・・・敦盛を謡ったのは信長でしょうが。
・「小平太」って、息子たちの好きだった「忍タマ」じゃないですよね、まさか?
・「BASARA(婆娑羅)」もかっこよかったかな?
・伊武さん、平幹、よかったです。