君のためなら千回でものレビュー・感想・評価
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その言葉が交わされるだけで、胸がぎゅっと締め付けられる
映画「25時」やTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローン」で知られるデヴィッド・ベニオフが脚本を手がけ、その類まれな才能をいかんなく発揮した初期の感動作。アフガニスタンの過去と現在、そして現代のアメリカを織り交ぜながら描かれるそのストーリーは、幼少期の過ちで親友と疎遠になった主人公がメイン。彼はその手で記憶と現実の壁をぶち破り、必死の思いで過去を取り戻そうと、かつて暮らしたアフガンの地を目指す。
「ネバーランド」や「プーと大人になった僕」のマーク・フォースター監督が一貫して見つめる「作品内世界」を踏襲するかのように、ここでも「過去の記憶」が丹念に扱われ、さらに「本の出版」という要素もまた、自分の記憶を俯瞰する大切な視座となる。ストーリーは痛烈ながら、大空に舞い上がる凧と、合言葉のように交わされる「君のためなら千回でも!」とのセリフが、いつまでも変わらぬ友情の風を作品内に吹き込ませてやまない。
誇りの物語。ぬるくない。
前半で終わってしまっても名作なのに
後半の展開は…傑作かもしれない。
どうにも主人公が魅力的に感じにくい話である。
反感を感じてしまうのも
いやになるほど、卑小さを彼自身が
人に言われるまでもなくわかっているからで
その気持ちから大切な友達にあんな態度を
とってしまったのだというのが
観ていて嫌になるほどわかってしまう。
子供の頃の彼は自分のプライドにこだわってしまい
ただでさえ傷ついている友達をさらに傷つけた。
ハッサンが主人公を許し、また長いこと
想っていたというのが
解せないような、それでもほかに友達ができなかったことの証明かもと
考えるとあまりにも悲しいような。
また、この映画では人間は一元的なものじゃなくって
すっぱりと答えを出せない問題も
抱えた存在であると示す。
長い時間をかけて主人公が
本当の誇りを手にいれていく物語。
持たざる者、持ってる者、と人間にはあるかもしれないが
大事なものを持ってる人間は
他人に与えることができる。
ラストの主人公のまぶしい笑顔がなによりも
周りに与えられる宝石ではないか。
こんなにも雄弁な凧があるのですね。
号泣しました。
僕らがすぐにイメージできるアフガニスタンじゃないほう
1970年代後半の田園風景が美しいアフガニスタン。固い友情で結ばれていた資本家の息子とその使用人の息子。とある事件をきっかけに、ふたりの友情に亀裂が入るが、そんな折、旧ソ連のアフガン侵攻が勃発する。
幼少期の残酷なまでの行き違いは、後に大きな後悔となって襲い掛かる。本作は主人公アミールが、国家的宿命に左右されながらも、強い意志で乗り越える贖罪の物語。
更に言えば、その贖罪を困難なものにしているアフガンの現状に、実直で無垢な眼差しを向け、祖国へ何をしているのかと問う怒りの物語でもある。
実際、作中前半部分に描かれている70年代のアフガニスタンと後半に描かれている2000年代のアフガニスタンは、同じ国とは思えないほど歴然とした違いを見せる。そして僕らがすぐにイメージできるアフガニスタンは後半のほうだ。
少年期の取り戻せない罪の償いの辛さに加え、母国が崩壊してしまった遣る瀬無さのオーバラップが切ない。そして、それでも前に歩みを進める様に、友情、贖罪、母国愛の強さを見た。
色々な気持ちが複雑に絡み合い、胸が締め付けられる
観ていて所々に色々な想いが次々と出てきて、そのたびに自分の無知と言うか、見識の狭さになんとも言えない気持ちになった。
話はアフガニスタンから始まり、ソ連が進行して、、、と日本人がもしかすると一番苦手な地域のお話かもしれない。少なくとも自分は中東(これも一つでくくってしまっていのかもわからない)の国々の区別が非常につきにくいし、宗教観等も含めるとまったくわからない。
それだけに主人公アミールと召使いハッサンの関係もイマイチピンとこない。
今回はネタバレも含めて記載するが、凧揚げ大会の当日、ハッサンがレイプされアミールが目撃するが動けなくなり、またその事で拒絶してしまう展開は個人的には非常に理解できる。(拒絶は共感できなかったが、、、)
小さな頃に固まってしまうほどの衝撃を目の当たりにした際には体が思うように動かずにその場から逃げてしまうことが少なからずあると思う、しかもレイプを目の当たりにしたのならなおさらではないのか?自分にアミールを攻めることは出来ないと思う。(観ながらは「助けたれよww」と思っていたが、、、)
時代としても非常に苦しい時代なのだろうが、富裕層である父が召使いのハッサンやその父も大切に扱っているのは単純な主従関係ではない事を示していたし(その割には別れるシーンがあっさりすぎw)その父の威厳のある生き方がとてもステキで素晴らしい。(まあある理由があったけど、、、)
またタリバンの内容も少し描かれており、現地で生きていく過酷さや人間の尊厳そのものが踏みにじられている様子は観ていて不快であったし、言葉に表せられない。
いったいなんの権利があってその様な蛮行が許容されているのか?なぜ生まれた地域があの地であるだけで色々な物音に怯えて暮らさなければ行けないのか?
やはりこのような事を見聞きする度に遠い地の事に思いを馳せるが、結局は映画のレビューに書いて終わりで行動に移さないのは弱い人間なのだろう。
孤児院の管理者の言葉が重すぎて、頭から離れない。
映画としてはフィクションであるが、起こっている事は現実そのものであることにまた胸が苦しい。そして孤児院の管理者が放った様に選ばれた子供だけが、自由で恐怖とは遠く離れた地で凧揚げに興じることができるのを観て、また再び悔しくて、悲しくなった。
また「きみのためなら千回でも」と血縁関係を知らされずに亡くなったハッサンの気持ちを思うと、それはそれで苦しくなる。
それでもアミールとソーラブは美しく、輝いた人生を送っていくと信じてせめてこの子だけでも幸せになってくれたらと思ってエンドロールへと進む。
非常に重く、そしてまた中東に対しての個人的なイメージが強くなってしまう気がした。もちろん父の様な優しい人間が大半ではあるだろうが、強い衝撃を受けた。
行動に移すことが大切
THE KITE RUNNER
「君のためなら千回でも』ダリ語/英語
米国映画、監督マーク フォスター
「良いこと(行い)をする機会はまたある。」うまく書けないけど、何か今まで人や社会などに対して、人を傷つけたり、悪いことをしても、崩れたままにしておいたり、罪の意識を感じながらそれをそのままにしておかないで、修復すること。そこにはきっと良いことをするチャンスがあるから。』と私は解釈している。この映画にこの言葉が出てくる。
アミルの父親もハッサンも叔父のラミールも信念があり一本筋が通っていて強い。父親もアミルに喧嘩をしたりしたら、いつまでもそのままにしないで、すぐ解決しなさいと。
アミルは自分に自信がなく、おどおどしていていつも彼の目は揺れ動いていて、問題点を直視できず、萎縮してしまっている。アミルは物語を書くのが好きだが、それはまるで現実の弱い自分から逃れているようだ。
分身ハッサンを傷つけ罠にかけて、その後、父とアフガニスタンを後にした。ロシア兵にも堂々と向かっていける父親を見ても、そこからは学べない。
アミルは難民として米国のカルフォルニア州フレーモントで成長した。そして、作家になったが心の中はハッサンに謝れないままでいる罪悪感でいっぱいになっている。
この映画は前もみたけど、その時は、ロシアのアフガニスタン侵略(1979)やタリバン政権の方にもっと興味があって、アミアの過酷な心のヒーリングの旅行に趣を置いていなかったと思う。何しろ、有名なベストセラー小説なので多分、多くの人々は映画より小説で読んでいるかもしれない。賢人の言葉がたくさん詰まっていて、社会での生き方を教えてくれる映画。
最後の方のシーンでアミアが甥ソーハーブ(Sohrab)を見つけ出すシーン。胸が詰まった。
ソーハーブ「両親の顔をもう忘れ始めている。悪いこと?」ーーーずっと前にタリバンに両親は殺された
アミル「甥のお父さんの写真を差し出す。」
ソーハーブ「時々、両親が死んで良かったと思うんだ」
アミル「なぜ?」
ソーハーブ「だって、こんな自分をみせたくなから。僕はとても汚れているんだ。」ーータリバンは孤児院から女の子をさらうけど、男の子も連れていく。この甥はその一人。
アミル「汚れてなんかいないよ。私はあなたを傷つけないよ」
自分より弱い存在のソーハーブを心の葛藤をみて立ち上がれた。そこに自分自身を見たから。だから、そこにかれの心を修復できるチャンスがあった。我々人生においても同じことができると言える。
アミルはハッサンの子供ソーハーブを自分の子供として受け入れて『 君のためなら千回でも』と。初めて自分に自信がもてて彼の目の動きは動揺しなくなった。
人生のおいて、いつかきっと自信を取り戻すことができる。それには行動に移すことが大切。アミルは叔父のラミールの力を借りて、行動に移せた。
涙で息ができなくなる
カーレド・ホッセイニ原作ベストセラー小説の映画化。
邦題に込められた意味を理解出来るのはラスト。
涙で息ができなくなる。
2014.4.23
フォレストガンプが好きな人は、絶対好きになる映画です。
アフガニスタンが舞台。
登場する少年二人組の関係は、主と召使であり、種族も違ったが、構わず親友の関係だった。
二人の住む町で凧あげ大会で、二人はチームを組み、見事優勝する。
町の外れに落下した凧を召使の少年が取りに行こうとする。
主の少年が礼を言う。
その時に召使の少年が映画のタイトルを叫ぶ。
しかしその道中に召使の少年はいじめっこに遭遇し、いじめられる。
というか、犯される。
それを目撃した主の少年は、召使の少年と距離をおくようになって…
もうね、びっくりしたよ。
お尻から血を垂らしながら帰るんだよ。
日本のいじめの描写って殴る蹴るだけど、
治安が悪い地域のいじめってこういうこともあるのか。
劇中で印象に残ったセリフが以下の2つ。
「この世に罪は一つ。盗みだ。
他の罪は盗みの変形。
盗みは何より卑劣。」
「早く問題を解決しておけ
時は問題を悪化させる。」
この映画はまさに「素晴らしいヒューマンドラマ映画」です。
フォレストガンプが好きな人は、絶対好きになる映画です。
勇気が心と人生を自由にして、罪を退ける
しみじみとこの作品に出会えた事の喜びを噛み締めています!
2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件以降は、特に中東諸国や、イスラム教圏の人々に対しては、危ない国々!危険人物と言う様なマスコミによるプロパガンダが盛んに行われた結果、欧米社会の価値基準に影響を受け易い国々に暮す私たちにとっては、中東には恐い人々が多数住んでいて野蛮人と言うイメージを抱き易くなってしまった。
しかし、冷静に考えてみれば、何処か特別の宗教を信仰する民族だけが、野蛮人であるとか、世界の何処かに暮す特定の民族だけが、危険な人々と言う事は有り得ない偏った考えで、自然とその思考回路が植え付けられたと言う事に思い当る。
普段、私達日本人は、数々の欧米文化の影響を受けて暮し、それらの国々の価値観の影響を多数受けている事から、それ以外の価値観を持った文化に対して時々間違った認識を持ってしまう事がある。そしてテロを行う人々と、そこの国に暮す一般人とは違うのだ。
そんな時に、本作の様な映画と出会う事で、私達日本人が日頃あまり情報を見聞きする経験が少ない国々の文化や、習慣・そして哲学や人々の考え方を学ぶ機会が与えられると言う事は幸せな事だと思う。そして本作の様な映画を観る事の自由が与えられている日本に暮らしている事にも感謝の思いが生れるのだ。独裁国家などでは、日本では想像出来ない情報のコントロールが行われているので、個人の自由な選択権は著しく制限されてしまう筈だものね。
そして、この作品では、改めてアフガニスタンに暮す人々の70年代頃の生活感と2000年になってからの政治的変化や、人々の暮らしの変化を知る事が出来るのは有り難い事だ。
こうして私達は直接、その国々を訪れるチャンスが自分の人生に無かったとしても、今までよりも、より他民族の異文化に対して否定的な目を向けるのでは無く、同じ人としてお互いの違いを認め合い、理解を深める事が出来る様になるきっかけを、この様な映画に出会う事で、得る事が出来るのも、映画と言う素晴らしい文化を築いて来た一つの遺産だ。
この映画が描いている、総ての罪は盗みであり、その総ての罪は盗みの変形であると言う考え方には恐れ入った。確かに、納得出来る考え方である。しかし、私はこの作品を観ている間ずっと考えていた事は、それでは人は何故盗みを働くのだろうか?と言う疑問だった。何故盗みを働かなくてはならないのか?
それは主人公のアミールが子供の頃気弱な少年で、中々勇気が持てなかった繊細な少年として描かれているが、そんな人間の弱い心が、時々自己にとって不利な条件に遭遇すると嘘と言う盗みを働き、そしてその後は、相手より自分が優位な立場を得る為にあらゆる盗みの変形した罪を犯して行ってしまうのが人の大罪だろうと言う想像を巡らせていた。
その後、苦難の末にアメリカへ亡命したアミールと父は、異国の地で苦労して、アミールも立派な逞しい大人に成長し、ハッサンの遺児を迎えに行く事になる。この旅が幼少のアミールがハッサンに濡れ衣を着せてしまった事への償いの行為なのか、それともハッサンとは兄弟だったと言う真実を知ったが故に家族を引き寄せる為の決死の行動なのか、或いは、その両方なのか定かではないが、あの決死の救出後の、アメリカへ子供を迎え入れた後の、妻と養子となったハッサンの遺児とアミールが3人で遊ぶ、あのラストの凧揚げを観ると、涙が止めどなく溢れた。
私は、凧揚げと言う遊びの文化は、中国から伝わって来たものと思っていたけれど、中国もその昔、きっとシルクロードを辿って、中東の何処かの国の文化から受け継いで来たのかも知れない。そう考えると、あまり最近では、正月でも凧揚げをする子供の姿を見る事が少なくなった日本だが、この凧揚げ一つにも多様な文化と歴史がある事を知ると、これからの正月の凧揚げを見る目が変化して、益々楽しくなる事だろう。映画は本当に異文化を知る上でも素晴らしい役割を担っていると思いませんか?
だから映画を観る楽しみは何処までも広がって行くんだね。是非みなさんも、沢山の良い映画との出会いを得て、心豊かな日々を送られます様に願っています。
感動。
ストーリーについて。
舞台設定がぼくにはわかりにくかったですが、最初から最後までテーマがぶれないストーリー構成で、ベタながらもラストでワッとなる展開でした。スッキリする展開。
キャストについて。
敵対者の人の大人役になったのは分かりにくかったなあ。主人公は子役も大人役も似てたのに。
テリングについて。
やはり舞台設定は個人的に難しい。凧あげのシーンは綺麗だったなあ。
まあ単純さは否めないけど、トータルで良作だった。
ストーリーを紐解くと、結構ベタだったりする
鑑賞後、席を立ったとき、
うしろの老夫婦が「イイ映画だったねぇ」と
話されていたのが、耳に残りました・・・・・。
劇場は40代以上と思しき、
男女で7割の入りでした。同じ映画館なのですが
『リアル鬼ごっこ』の客層とは180度異なっておりました(苦笑)。
作品、私も老夫婦の感想に同感です。
実に、イイ作品でした。
クライマックス、最終シーンが
全てでしょうね。監督、絶対ラスト決めてから
逆算してますよ。そうとしか考えられない
ストーリーとタイトル、でした。
ラスト、本当読めちゃうんです。
それも、主人公が話すであろうセリフ、シチュエーションまで。
私、先読みして大泣き。
そして、主人公そのまんまのセリフを言って、大泣き
(これまでは、引いてたんですけど、泣いちゃいました)。
振り返り見つめ直すと、かなりベタな作品ですが、
それぞれの国の歴史背景や、文化について、
キッチリと触れられております。
映画の楽しさ、面白さは、
色々な町、色々な国、色々な時代を体感できること、
なのだと私は思っていますが、そういった観点からも、
グッドな作品ではないでしょうか。
アフガニスタンの戦争で、
若干マイナーな感は否めませんが、
是非、ご覧くださいませ。きっと、
気付かされることがあるはずですよ♪
世の中に罪は1つ、「盗み」だ。
映画「君のためなら千回でも」(マーク・フォースター監督)から。
まずは「邦題」を付けてくれた方に感謝したい。
原題「The Kite Runner」では、たぶん観なかったかも。(汗)
さて気になる一言は、父親から主人公の息子へ、教訓。
世の中に罪は1つ、「盗み」だ。他の罪は「盗み」の変形だ。
男を殺すことは、男の命を盗むこと。
男の妻から、夫を盗み、子どもたちから、父親を盗むことでもある。
人を騙すことは、その人から真実を盗むこと。
盗みは、何よりも卑劣だ・・と諭した一部分から、引き抜いてみた。
なるほど、今、私たちの周りで起きている犯罪の全ては、
「盗む」ことの変形かもしれない・・と納得できたから。
特に、この物語全体を包んでいる「無条件の愛情・友情」を、
「時計を盗んだ」という嘘で裏切るのは、悲しかった。
しかし、物語冒頭で主人公が耳にした「君のためなら千回でも」
というフレーズを、物語の最後に、今度は主人公自身が口にする。
その間に展開される、彼なりの罪の償い方が、彼にそう言わせたのだろう。
「君のためなら千回でも」・・この台詞、
あなたなら「言われてみたい?、言ってみたい?」
アメリカ映画は、変わってきた。
ドキュメント畑の監督らしくアフガニスタンの言葉で映画にしてます。かつてハリウッド映画でアメリカ以外の国々を描くとみんな英語をしゃべらさせられる。この不自然さにアメリカ人自身もようやく気が付き始めた。世界が狭くなった証拠でしょう。70年代のアフガニスタンを再現してます。主人公にとって、いい時代だったと思いながらも貧富の差と差別は、ひどそうだ。そしてソ連侵攻、タリバン政権下と翻弄されるアフガニスタン。甥を救い出すためにカブールへ。このあたりの音楽が安っぽい、話の叩き込みが足らない感じがして残念。多くのアフガニスタン人がタリバンに殺され、アメリカ人に殺されている中、子供一人助けた事で贖罪にならないとも思うが、この映画が世に出た意味は、深いと感じました。
いえ、一回でもいいから。
名画座にて。
…こんな台詞、いちど言われてみたいもの^^;
非常に効果的に使われているこの題名の台詞ですが、
作品中でこれが言われるのは、たったの二回。
しかも、違う人間が立場を変えて言うのが印象的です。
これは…どういう意味なんだろう。
ずっとそう思っていたけれど、ほぼ冒頭で見えてきます。
主人公二人の関係。
一人はお坊ちゃま。もう一人はその家の使用人の息子。
兄弟のように育った二人は、父親の公平な計らいにより、
まだ平和だったアフガニスタンで、凧揚げに興じています。
この凧揚げ競技の映像は素晴らしかった!
こんな風に相手を攻めて、糸を切るのを(昔あったかなぁ)
初めて観ました。スゴイ技だなぁ~と感心。
自分の小さい頃も凧揚げはお正月の定番だったし、
上手に揚げられる子はいましたね。凧にもよるんだけど^^;
自分が落とした相手の凧を、パートナーが拾いに行く時、
まずこの台詞を言うのだけれど、これを拾うのにも抜群の
勘が必要らしい。影を追うのではなく自然に分かるのだと。
そんなプロ?めいた二人の凧は見事に優勝。
幸せムードだった二人の間に、街の不良グループが嫉妬、
とある事件が起こって、二人の間に溝が出来てしまいます。
…そして現在。
アメリカに亡命し、小説家として成功、結婚も終えて
幸せな男に、親友の危機を伝える電話がかかってきます。
過去にソ連、現在はタリバンと、平和だったあの世界が、
まったく様相を変えてしまった現在、彼がとった行動とは。
長い長い物語(内容的に)で、主人公の半生が描かれていき、
二人(そして父親)が辿ってきた運命の過酷さが語られます。
この父親が本当に素晴らしい人格者で、息子のために働き、
母親のいない分をすべて埋めてきた存在感がありました。
彼がなぜ、使用人であった少年を息子のように扱ったのか、
そのあたりの真実もラストで丁寧に描かれていきます。
…政治的な描写は、かなりリアルで怖かった。
でもなにより、この主人公が過去にとってしまった行動への
懺悔に他ならない物語でもあります。
子供の頃、もしあんなことが目前で起こったら傷つくだろうし、
理解できない行動をとるかもしれない(父親は分かっていた)
…それがまだ、どこかで取り戻せるのなら。
自分に出来るすべてを相手の為に捧げようとする行為は、
過去に使用人だった彼が、自分の為にしてくれたことと同じ。
いつかしら人間は、巡り巡って誰かのために、尽くしとおす
時がやってくるのかもしれない。それでいいのだと思います。
悲しみと希望を胸に刻みつけるような作品でした。
(懸命に書いてくれた手紙って嬉しいよねぇ。私も嬉しい☆)
つけひげ
背景を理解していなかった私は、少し難しいと感じる所がありましたが。少年のぶれないまっすぐな気持ちに心打たれました。後半は泣きっぱなしです。時を越えてわかりあえた?後悔しないうちにできる事をすべしです。
懐かしい友達のことを思い出す
いったい何を千回でもしてくれるのか気になるタイトルだよね。
まぁそれは置いといて。
どんなに仲が良い友達でも、中学、高校、大学とお互いの環境が変わるにつれて、疎遠になっちゃうことってない?
時間が経てば経つほどその人との再会はしずらくなってくよね。
寂しいことだけど、僕もそんなことだらけです。
この映画の主人公も少年時代の大切な親友と疎遠になってまうわけ。
しかも舞台はアフガニスタン。ソ連のアフガニスタン侵攻で、アメリカに亡命した主人公とその地に残った親友との間には、そりゃもう高校大学の比ではないレベルの疎遠発生なわけだよ。
しかも主人公は、自分を他の誰よりも信じて慕ってくれた親友に対して、最悪な裏切り行為をして別れたっきりという状況。
あぁ、こりゃ一生心に残るトゲだ。忘れたくなるのも無理はない。
でもある日ね、20年ぶりにそんなことを思い起こさせる1本の電話が入るんだ。
それを受けて主人公は、自分が親友にしてしまった罪を償うために、タリバン独裁政権下にあるアフガニスタンへと、故郷へと向うことになったんだ。
「君のためなら千回でも」これは親友が主人公に送ってくれた言葉。
「君のためなら千回でも」これは主人公が親友に送りたかった言葉。
かつて送れなかった言葉を親友に返すために、主人公は行くのでした。
凧飛ばすシーンは迫力大です!
、『君のためなら千回でも』という台詞に、千回でも感動させられます。
かつて『ネバーランド』で全世界を感動させた、マーク・フォースター監督の新作です。この作品も前作同様感動作です。おそらく時間と共に名作として長く語り継がれる作品となることでしょう。見ようかどうしようか迷っているなら、ぜひお勧めします。見終わった後の後味がとてもいい気持ちになれますよ。
本作品は、時代や運命に翻弄された2人の少年の友情を軸に、愛、信頼、絆、過ち、後悔といった人間の本質を鋭く描き出しています。
少年時代に後悔という十字架を背負った主人公が、過去の過ちを償うため、自らを犠牲にする悲痛な姿は見る者の涙を誘います。
根底に流れるものは、運命によって引き裂かれた主人公のふたりの少年の悲しみではありますが、2人の誓った『君のためなら千回でも』という絆の深さは暖かい感動さえ感じさせてくれました。
物語の最後には、いつでも強い信念と勇気を持って一歩を踏み出せばもう一度やり直すことができる、と希望に満ちたメッセージを送っています。
原作のテーマである人間性と精神を崩すことなく、悲しみの中にも希望を見出そうとする人間の強さを見事に描いた作品に仕上がっています。
本作は30年間にも及ぶ、主人公アミールの親友ハッサンへの贖罪の話なのです。
掛け替えのない友が暴力にあったとき、自分にも勇気が出るだろうかと問わずにはいられません。
そんな二人を演じる子役は、現地で直接フォースター監督がオーディション(実際は凧揚げ大会だった)をして決めたのだそうです。しかも二人がクランクアップした後には、周囲の迫害から逃れるため、家族を含めて生涯の生活の保障まで付けたというから、さすがハリウッド映画のやることは違います。
『ネバーランド』で実証したように、フォースター監督は素人の子供を演出する能力に長けており、子供らしい微妙な気持ちの変化や表情など、今回も子役の自然な演技が際だっていました。特になにも命令されても従順なハッサン役が印象に残りましたね。
この作品では、アフガンの文化や風習が見事に再現されており、アミールがカブールを目指す途中の山岳風景、険しい道のり、そしてスリル満点の国境検問シーンなど、まるでドキュメンタリーを見ているかのようにリアルでした。
さらに、アフガニスタンの青い空を背景にした凧合戦の凧を、凧目線で追うカメラワークは見事でした。このシーンのために、CGも使っているとのこと。そのため凧合戦の凄いスピード感とアクロバティックなカメラワークが、よく表現できました。まるで自分が凧を操っているような感動を覚えさせられるようなシーンでしたね。
最後に、『君のためなら千回でも』という台詞は、ラストでも再び出てきて、感動させられます。見返りを求めない気持ちを表す実にいい言葉です。 小地蔵も、困っている人を見つけたら、無条件で『君のためなら千回でも』といって、そそくさと行動できるような慈悲に溢れる菩薩さまになりたいものです(^^ゞ
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