ランボー 最後の戦場のレビュー・感想・評価
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初めてのランボーでした
ランボー作品を観るのはコレが最初でした。
心臓の弱い方でどうしても観たければテレビで放送されるのを待ってみたほうが良いのではないかと思います。
(夜九時に放送できるかは疑問ですが・・・。)
この映画を観にきている人がどのような感想持つのかわかりませんが、私は中盤あたりから涙を止めることができませんでした。
軍事政権下ではこのようなことが現実に行われているんだという恐怖。
そしてランボーの酷いPTSD。
彼は戦争を経験する前の心の平穏を持つことは今後一生できない。
眠るときでさえ彼は戦っている。
戦争は、戦争にかかわったすべての人間の精神を破壊する。
私が見ているのは映画の世界。それを観ているだけでも苦しくなる。
しかし今でもミャンマーでは戦争が続いている。
そんな現状がただただ悲しくなりました。
まぁひどい
ファーストの中身、訴えたかったこと。怒りの脱出の脚本と映像、怒りの爆発の見事さ。本作品はランボーシリーズが持つ良さのかけらももはや無く、プライベートライアンで衝撃を受けた年老いたスタローンが、次のランボーはこれだ!と興奮して、イマイチのスタッフとイマイチの予算で作ったことがモロバレの2流映画。ランボーシリーズが本当に好きだった人は100%ガッカリすること間違いなし。無名のB級バイオレンスアクションとして観るなら、評価する人がいてもおかしくない。
ミャンマークーデター
ミャンマーが民主主義国家になる度にミャンマー軍がクーデターで政権を制圧して軍国主義の軍事国家を再興する。とにかく呆れるほどに戦争依存症の軍国主義。軍事力に基づく恐怖政治で露骨な不正選挙がまかり通る。やっとの思いで叶った民主主義もミャンマー軍が一瞬で台無しにする典型的な軍国主義の軍事国家。そんなミャンマーが舞台。スタローンがなぜミャンマーを舞台にしたか。TV局が見て見ぬふりを徹底するミャンマーの現状をランボーを通じて世間に公表したかったからだと思う。ちなみに令和の現代、ミャンマーの軍事政権は維持されてる模様。ミャンマーと比べればロシアやウクライナの戦争が可愛く思える。
シルヴェスター・スタローンの書く脚本はいつもシンプルだと思う。 伏線など何もない。 ただのボクシングの映画。 ただの腕相撲の映画。 ただの人質救出の映画。 なのに、面白い。
動画配信で映画「ランボー 最後の戦場」を見た。
劇場公開日:2008年5月24日
2008年製作/90分/アメリカ
原題:Rambo
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
タイの辺境で暮らしているジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)。
そこへ米国のボランティア団体のグループが訪ねて来る。
このあたりの地理に詳しいジョンに道案内をお願いしたい。
断ったが何度も熱心にお願いするサラ(ジュリー・ベンツ)。
根負けした形だが現地に向かうことになった。
途中川で盗賊に襲われた。
死を目前にするような危険な目に遭ったが、
計画を変えるつもりはないらしい。
一行を目的地に送り届けたジョンは帰路に。
村でボランティア活動をしていた団体は
ミャンマー軍事政権の陸軍に襲われた。
カレン族に対する苛烈な略奪と殺戮の描写が荒々しい。
眼を背けたくなる。
ボランティアメンバーは全員が人質となった。
米国政府に雇われた傭兵たち
(ポール・シュルツ、マシュー・マースデン等)が救出に向かう。
再度道案内を頼まれたジョンも現地に向かう。
シルヴェスター・スタローンの書く脚本はいつもシンプルだと思う。
伏線など何もない。
ただのボクシングの映画。
ただの腕相撲の映画。
ただの人質救出の映画。
なのに、面白い。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
【シルヴェスター・スタローンの脚本スタンスが、アメリカ愛国主義者からアメリカが積極的関与をしなかった異国少数民族擁護に変容した作品。】
ー 今作公開時、
”派手なアクションが減ったではないか。アメリカと余り関係ない国の問題に焦点を当てて、アメリカ国民の心に響かないではないか。”
と言う意見が多かった。
愚かしながら、私もその意見に与していた。
だが、現在この作品を観ると、故国を愛し、裏切られたジョン・ランボーが故国を見限り、前作のアフガニスタンからアメリカに帰国せずに、東南アジアの独裁国家もしくは混乱している国々を渡り歩いている事が分かる。
ランボーシリーズは、ベトナム戦争に寄与した元グリーンベレーの戦士が新たな生き方に移行した事をこの作品では描いている。
◆感想
・偶々かもしれないが、今作の先見の明に驚く。
微笑みの国、ミャンマー。
アウン・サン・スーチー氏は、父アウン・サン・スーチー将軍の志を引き継ぎ、軍事政権を倒し、”民主的国家”を再構築し、1991年にはノーベル平和賞を受賞している。
・だが、ミャンマーには現在でも、今作の冒頭で虐殺されるカレン族を始め、少数民族が135以上も居住している。
・世界的に、ミャンマー政府の少数民族への非道な扱いが明らかになったのは”民俗としても認められていなかったロヒンギャ”に対するジェノサイドの事実である。
■ジャングルで暮らすランボーはNGOの一団をミャンマーに送り届ける。彼らは軍事政権の弾圧を受けている人々の支援に来たのだが、数日後、軍に拘束されてしまう。
知らせを受けたランボーは救出に派遣された部隊と共に再びミャンマーに向かう…。
<アウン・サン・スーチー氏は、少数民族に対するジェノサイドには関与していなかったと、論を張ったが、彼女は現在も拘束されている。
一時は、ミャンマーの自由化の象徴であった人物が・・。
民族紛争の難しさを、シルヴェスター・スタローンが意図して20年振りに今作を製作したのであれば、今作は大いなる意義があると思った作品である。>
■本作の公開後、本作に出演したという理由でミャンマー人出演者や親族がミャンマー政府に逮捕されたというケースがあったという報道もある・・、と資料にはある。
何のための虐殺か?
初ランボー!
本当は一作目から追いたかったけれど、各作品である程度独立しているようなので、第4弾最後の戦場から鑑賞。
舞台は軍事政権下のミャンマー。
ミャンマー国境付近のタイの密林で暮らすジョン・ランボー。
そこに支援団体がやってきて…
いかにも平和な雰囲気でやってくる支援団体と、ここは地獄だと目で語りかけるランボー。
女、子供関係なく虐殺していくミャンマーの軍事政権。
目を覆いたくなるようなゴア描写。
グロいけど、過度なグロではなくより生々しいグロだったので、命の尊さがよく伝わってきた。
ランボーは戦場で生き抜くために敵をぶった斬っていく。
それに対して、「絶対に人を殺してはいけない」と言うマイケル。
確かにそうだけど。
どちらも、正義とも悪とも取れる。
一応、一般的な目線でミャンマー軍=悪と描かれていて、彼らを殲滅したのは美談のように感じたけれど、ミャンマー軍の兵士だって元は集落の人々と同じようなミャンマー国民だったのだろう(劇中でも、子供は兵士のために生かしておけという描写があった)。
難しい。
だから戦争は起こしてはならない。
誰が悪いと簡単に決めつけられないから。
確かに、スタローン演じるランボーはバキバキにカッコよかったし、今のミャンマーの状況もあって観ておくべき映画だと思った。
ただ、また観たいとはあまり思えない。
それぐらい凄まじい映画。
それぞれの場面がかっこよくて、まさにランボーらしい ただ、これショ...
それぞれの場面がかっこよくて、まさにランボーらしい
ただ、これショートムービーかと思うほど薄っぺらい内容 笑
ランボー好きには久々にランボー見れてよかったと思う
戦場という名の暴力
迫力ある戦闘シーンやリアルなゴア描写、テンポ良く進むシンプルな物語に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の影響を受けたなスタローンと思いきや、本作の方が先ってな事実に少し驚愕!?
もう一本「ソルジャー・ブルー」も思い出す殺戮場面の残酷さに、メル・ギブソンよりもスタローンの方が巧いと思わせる演出描写の数々。
強いて言うならサラ・ミラーの鬱陶しい存在感、ランボーの心に土足で上がる軽薄な感じと正しさを押し通す態度が最後まで嫌だった。
懲りずに"ランボー"かよって正直ナメていた自分、こりゃ映画館で観るべきだった、スタローンの凄さがやっと分かり始めた最近のオレ!?
ランボー リアルな戦場
シリーズ4作目。2008年の作品。
実に20年ぶり!
こちらはリアルタイムで初めて劇場で観た。
ミャンマー軍事政権によるカレン族迫害が激化。
ある日NGO一団がやって来て、タイのジャングルでボート運搬やヘビ獲りで生計を立てている一人の男にミャンマーまで案内を頼む。
その男は危険だと断るが、メンバーの熱心な女性に懇願され、承諾する。
小さな村まで送り届けたが…、その後彼らが野蛮なミャンマー軍に囚われた事を知らされる。
彼らを救出する為やって来た傭兵たち。
同行するその男。
傭兵たちもNGOメンバーもミャンマー軍も知らなかった。
その男こそ、ジョン・ランボーである事を…!
話的には『~怒りの脱出』と『~怒りのアフガン』を足したような感じ。
つまり、救出アクション&現状を訴える社会派の一面。
ならば『~怒りのアフガン』寄りで、こちらもアンバランスのように思えるが、明らかに違うほどの迫真さ。
ミャンマーでこんな事が起きていたのか…!
野蛮なミャンマー軍には慈悲も一切無い。
女性は犯され、民間人…老人も子供も皆虐殺される。
あの当たるまで続けられる“地雷ゲーム”は戦慄。
その鬼畜の所業にはランボーでなくとも怒りがこみ上げてくる。
残虐な奴らに、残虐な鉄槌を。
ミャンマー軍は許し難いが、浅はかなボランティアにもチクリと風刺が効いていたような気がする。
シリーズで最もグロい。
血肉、頭手足、飛び散る地獄絵図。
ランボーが敵兵の首を素手でかっ切るシーンが昔見た時から特に印象的。
『ロッキー』は何本か自ら監督しているが、『ランボー』は本作のみ。スタローンの監督作ってオーソドックスな印象なので、こういうのも撮るんだと意外な気もした。
しかしこれが、ランボーが見た戦場のリアルだろう。
自分の心に深い傷を負ったベトナム戦争での後遺症などもっとかもしれない。
そういった意味では超人的なアクション映画を期待すると肩透かしだが、生々しさや悲惨さでは原点回帰。
さすがに20年経ち、スタローン/ランボーも歳を重ねたが、ある台詞は重みを増した。
「無駄に生きるか、何かの為に死ぬか。お前が決めろ」
最後の一節はこうも聞こえる。
「自分で決めろ」
ランボーが決めたラストに、思わず心が穏やかになった。
やっと、この男にも平穏な時が…。
…と思ったら、また新作が作られた!
久々の再鑑賞。
公開された当時は、もう作られる事がないと思っていたシリーズだっただけに、制作されただけで嬉しく思った覚えがあります。
加えて容赦無い戦闘シーンは衝撃でしたが、ミャンマー軍がかなりクズに描かれていたため終盤のランボーの暴れっぷりは痛快でしたし、そのゴア描写によって戦争の惨たらしさも伝えており、なかなか良く出来た作品だと思ったのですが、今観返してみると、尺の関係上仕方ない事だと思いますが、登場人物の掘り下げが浅く、ランボーが戦いに身を投じる理由が希薄で、その点は残念ですね。
但し、前述した通り、戦争の惨たらしさや訴えかけたいであろうテーマは伝わってきましたし、終盤のゴア描写を含む戦闘シーンは今観てもやっぱり良いですし、エンターテインメント作品としても上手く出来ていると思います。
今作はダメだ!
前3作は好きなのだが、今作は自分的には好きになれなかった。ランボーにはもっと無双して欲しいのだが今回は全体的に暗く、ランボーが戦うのは終盤だけ。
あとクレイモア(地雷)の破壊力がスゴすぎる。そんな強くないでしょ。
今度の5作目に期待!
急に
グロくなりました!3までは人体欠損は控えめだったが今回は首ばっさり、喉えぐり、こんなグロかったっけ?と。
今作からスタローンが結構かかわってるようでメッセージ性の強いものに変わり、エンタメ性を保ちつつも現実的でリアルなものとなっている。
が、その分ランボーのもはやギャグ的なゲリラ戦の強さも控えめ。ヘリも操縦しないし銃器でズバババシーンが多めで、なんとなく物足りない感じもある。傭兵達もわりと個性的だったが尺の都合かスクールボーイ以外の活躍もあっさり目。
当初は本当にこれをラスト作にしたかったようで牧場へと帰るランボーを背に終わるのだがここで終わってれば晩節を汚さずランボーお疲れ様と言えるのだが、、
ラストブラッドが公開され少し複雑である。まだまだ活躍をみたい気持ちと、そろそろ平穏を!の気持ちが交錯します。
さぁ!ラスト・ブラッド観に行くぞ!
個人評価:3.9
凄まじい銃撃戦描写。近年ではためらう様なグロテスクな表現だが、ミャンマーの悲惨な現実を隠す事なく伝えたい、そんな監督としてのスタローンの真意が伝わってくる。
アクション俳優としても好きな俳優だが、作り手としても一流だと感じる。
また一作目から一貫して、ベトナム戦争からのランボーのルーツを軸に、ただの娯楽アクションではないテーマを含んでいる事も素晴らしい。
さぁ!ラスト・ブラッド観に行くぞ!
命は尊いものよ。 ……全部じゃない!
Blu-rayで観賞。
最新作観賞に備えて、復習。
前作から20年の時を隔てて公開されたシリーズ4作目。
シリーズを製作していたカロルコが倒産しているので、製作者は変わっている。
シリーズ全作で主演と共同脚本を担当したシルヴェスター・スタローンが、シリーズで唯一監督も務めた。
ランボーは依然タイにいた。
バンコクの寺院には戻らなかったのか、ジャングルで毒蛇を捕獲する危険な仕事をしていた。
20年ぶりに続編を作った意図は何か。忘れ去られようとするスターが過去の栄光にすがったのか。
そうではないだろう。本作にスタローンが込めた思いは半端ではない気がする。
機関銃や地雷で人が死ぬとはどういうことか、人を殺すことがいかに残忍な行為か、とにかく残酷な殺戮シーンが連続する。
人の身体が惨たらしく飛び散るのだが、タランティーノだったら評価されても、スタローンだと酷評される。
ベトナム帰還兵の迫害問題も、行方不明兵士の捜索が進められていない問題も、大国による内政干渉の問題も、民族紛争下の軍事政権による虐殺問題も、アクション映画としての面白さが際立つためテーマ性が希薄になってしまうのが、本シリーズの宿命。
スタローンのサービス精神と作劇の上手さが、エンターテイメント性を強くしてしまう。
前作は最も暴力的な映画と批判されたが、それが比較にならない暴力性と残虐性を本作は突きつける。
映画が作られたのは、ミャンマーで総選挙が行われる前である。
ミャンマーの軍による虐殺のドキュメント映像をオープニングで見せておいて、軍人が遊び半分に村人を虐殺する場面を描いて見せる。
誤解を厭わぬスタローンの強い意志が感じられる。
NPOのグループをミャンマーの村に案内することを固辞していたランボーが、船を出したのはなぜか。
金髪美人との雨中の会話では、命が等しく尊いのか、彼らが現地に行くことで何かを変えられるのかを議論して平行線だった。金髪美人はあきらめて帰ったはずだったのに、一転、ランボーは彼らを船に乗せていた。
ここには理屈ではないロマンスの匂いがする。
さて、2作目以降の本シリーズの基本路線である救出劇に本作も突入するのだが、今回は誰もランボーに救出を依頼せず、傭兵が雇われる。
傭兵たちがランボーのただならぬ実力に気づくのに時間はかからない。
傭兵たちとランボーとの共同作戦が決行される。
但し、ランボーの目的は金髪美人だけだ。
傭兵たちは依頼されたNPOメンバーだけでなく現地村民も助け出そうとする。
約束の時間に間に合わなかったランボーを待たずに傭兵たちが出発しても、狙撃手のスクールボーイだけは残ってランボーを援護する。
味方にはそんな人間的なエピソードを織り込みつつ、敵であるミャンマー陸軍の常軌を逸した非道ぶりを見せつけるのは、敵を殺す映画を正当化するためかもしれない。
それにしても、ランボーは時には素手で残酷に敵を殺す。
どんなに悪辣非道な敵であっても、目を覆わんばかりだ。
冒頭で見せられたミャンマーの実体を思い出せば良いのかもしれないが、敵味方共に容赦ない殺戮を展開するので、ただただ残虐な映画という印象を受けてしまうのが残念だ。
クライマックスの戦闘においては、ランボーは傭兵たちや民間人たちとは距離をおいた位置で戦う。
傭兵にも民間人にも死者が出る。
命懸けで救出しても、金髪美人から感謝の包容すら与えられず、ランボーは独り佇むだけだ。人を簡単に殺すことができる自分の残虐性に茫然としているようにもとれる。
彼の怪物性を呼び起こさせたのは、他ならぬ金髪美人なのだが、彼女がそれに気づくことはないだろう。
彼女にとっては、自分達の軽率な計画を悔やむと共に、ランボーとミャンマー陸軍の残虐な行為が同等に記憶に残り続けるのだ。
船上で金髪美人と交わしたわずかな会話で、ランボーはアリゾナの故郷に父親がいるはずだと話す。
ランボーが故郷へ帰っていくのは、自分の残虐性を永遠に封印することを決意したからだろうか。
この後、スタローンは『エクスペンダブルズ』シリーズで見事な復活を遂げる。
そして遂に『クリード』で役者として評価を得るに至るのは、長年のファンとしては感慨無量だ。
だが、また『ランボー』を演じることになるとは、驚きでしかない。
ブラックスネーク、カモン
オープニングから生々しいミャンマー軍事政権による虐殺の爪痕を映し出す。ドキュメンタリー映画なのか?と思わせるほど・・・と、本編が始まったら、これはこれでまた残酷な殺戮。軍事政権の無差別な殺戮がリアルすぎて目を閉じてしまいたいくらいなのです。ついつい頭を下げてしまう観客もいるのかもしれません・・・
ランボーシリーズに幕引きするためにスタローンが自ら監督をすることになってしまったようですが、愛国心いっぱいの男とか戦地にしか生きられない男というイメージはすでになく、人間らしく生きることを選択した男ジョン・ランボー。タイのジャングル奥地の村で、獲ったヘビを売ったりして静かに生活しているのだ。地下闘技場で格闘なんてのもやらない。“コブラ”にこだわりを持っていたところが愛らしく、コブラをバカにされると怒り出す可能性もあったが・・・。
1作目は別格として、2、3作目と違っている点は、トラウトマン大佐が出てこないことと、同じ救出劇を扱っていても対象は民間人だというところ。ボランティアでミャンマー入りしたキリスト教支援団が帰国しないという知らせを受け、5人の傭兵たちと再度川を上るのだ。「危険な地域に行っちゃいけない」という戒めはランボー自身も傭兵も口にしたことであるけど、サラ(ジュリー・ベンツ)の熱意に負けたのだ。「世界を変える」と主張していた彼女の影響によって“live for nothing or die for something”という選択肢を傭兵たちに迫るところは、傍観者的に観ているわれわれにとってもグサリと胸を打つはずだ。
ストーリーは単純そのものだけど、ミャンマーでの生々しい無差別殺戮は夢にまで出てきそうな迫力映像。サタスマの吾郎ちゃんが「ホラー映画」だと評していたのも納得。まるで『ブレインデッド』です。ゾンビと人間という違いだけのスプラッター映画なのかもしれません。しかし、そんな作風でもあるのに、いつもと違うスタローンの心意気が伝わってくるのです。エキストラにも実際のカレン族の難民や元ミャンマー兵士を起用するという徹底ぶり。単に強い男を描く映画ではない!と思う。
2008年5月。ミャンマーはサイクロンの被害を受け、数万人の死者も出た。スタローン自身もミャンマー軍事政権の悲惨な状況を世界に訴えるための映画を作ったのだし、政府の対応の悪さにはまた怒りをぶつけています。
【2008年5月ランボーを初めて映画館で観た】
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