劇場公開日 2008年5月24日

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「命は尊いものよ。 ……全部じゃない!」ランボー 最後の戦場 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0命は尊いものよ。 ……全部じゃない!

2020年7月7日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

Blu-rayで観賞。
最新作観賞に備えて、復習。

前作から20年の時を隔てて公開されたシリーズ4作目。
シリーズを製作していたカロルコが倒産しているので、製作者は変わっている。
シリーズ全作で主演と共同脚本を担当したシルヴェスター・スタローンが、シリーズで唯一監督も務めた。

ランボーは依然タイにいた。
バンコクの寺院には戻らなかったのか、ジャングルで毒蛇を捕獲する危険な仕事をしていた。

20年ぶりに続編を作った意図は何か。忘れ去られようとするスターが過去の栄光にすがったのか。
そうではないだろう。本作にスタローンが込めた思いは半端ではない気がする。
機関銃や地雷で人が死ぬとはどういうことか、人を殺すことがいかに残忍な行為か、とにかく残酷な殺戮シーンが連続する。
人の身体が惨たらしく飛び散るのだが、タランティーノだったら評価されても、スタローンだと酷評される。
ベトナム帰還兵の迫害問題も、行方不明兵士の捜索が進められていない問題も、大国による内政干渉の問題も、民族紛争下の軍事政権による虐殺問題も、アクション映画としての面白さが際立つためテーマ性が希薄になってしまうのが、本シリーズの宿命。
スタローンのサービス精神と作劇の上手さが、エンターテイメント性を強くしてしまう。
前作は最も暴力的な映画と批判されたが、それが比較にならない暴力性と残虐性を本作は突きつける。

映画が作られたのは、ミャンマーで総選挙が行われる前である。
ミャンマーの軍による虐殺のドキュメント映像をオープニングで見せておいて、軍人が遊び半分に村人を虐殺する場面を描いて見せる。
誤解を厭わぬスタローンの強い意志が感じられる。

NPOのグループをミャンマーの村に案内することを固辞していたランボーが、船を出したのはなぜか。
金髪美人との雨中の会話では、命が等しく尊いのか、彼らが現地に行くことで何かを変えられるのかを議論して平行線だった。金髪美人はあきらめて帰ったはずだったのに、一転、ランボーは彼らを船に乗せていた。
ここには理屈ではないロマンスの匂いがする。

さて、2作目以降の本シリーズの基本路線である救出劇に本作も突入するのだが、今回は誰もランボーに救出を依頼せず、傭兵が雇われる。
傭兵たちがランボーのただならぬ実力に気づくのに時間はかからない。
傭兵たちとランボーとの共同作戦が決行される。
但し、ランボーの目的は金髪美人だけだ。
傭兵たちは依頼されたNPOメンバーだけでなく現地村民も助け出そうとする。
約束の時間に間に合わなかったランボーを待たずに傭兵たちが出発しても、狙撃手のスクールボーイだけは残ってランボーを援護する。
味方にはそんな人間的なエピソードを織り込みつつ、敵であるミャンマー陸軍の常軌を逸した非道ぶりを見せつけるのは、敵を殺す映画を正当化するためかもしれない。
それにしても、ランボーは時には素手で残酷に敵を殺す。
どんなに悪辣非道な敵であっても、目を覆わんばかりだ。
冒頭で見せられたミャンマーの実体を思い出せば良いのかもしれないが、敵味方共に容赦ない殺戮を展開するので、ただただ残虐な映画という印象を受けてしまうのが残念だ。

クライマックスの戦闘においては、ランボーは傭兵たちや民間人たちとは距離をおいた位置で戦う。
傭兵にも民間人にも死者が出る。
命懸けで救出しても、金髪美人から感謝の包容すら与えられず、ランボーは独り佇むだけだ。人を簡単に殺すことができる自分の残虐性に茫然としているようにもとれる。
彼の怪物性を呼び起こさせたのは、他ならぬ金髪美人なのだが、彼女がそれに気づくことはないだろう。
彼女にとっては、自分達の軽率な計画を悔やむと共に、ランボーとミャンマー陸軍の残虐な行為が同等に記憶に残り続けるのだ。

船上で金髪美人と交わしたわずかな会話で、ランボーはアリゾナの故郷に父親がいるはずだと話す。
ランボーが故郷へ帰っていくのは、自分の残虐性を永遠に封印することを決意したからだろうか。

この後、スタローンは『エクスペンダブルズ』シリーズで見事な復活を遂げる。
そして遂に『クリード』で役者として評価を得るに至るのは、長年のファンとしては感慨無量だ。
だが、また『ランボー』を演じることになるとは、驚きでしかない。

kazz