「“テレビアニメ『ヤッターマン』”の実写化」ヤッターマン かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
“テレビアニメ『ヤッターマン』”の実写化
稚拙自ブログより抜粋で。
--
オリジナルのテレビアニメ(1977年~1979年)放映当時、自分は小学生でまさにタイムリーに体験していたので思い入れも深い題材。
それをハチャメチャなことをさせたら今の邦画界で右に出る者はいない奇才三池崇史監督が実写映画化ということで密かに期待していた本作。
結論から言うと、はなはだ馬鹿馬鹿しい、くだらん、お下劣、悪ふざけにもほどがある、と、これらすべて褒め言葉。
これほどの大作をここまでのお馬鹿映画に仕上げられるのは三池監督ならでは。
さすがに三十年前に観ていたアニメのことなので詳細こそ忘れてしまっているが、おおかたのテイストは忠実に再現されてたんではなかろうか。
いちいち「そうだったそうだった!」「待ってました!」と懐かしく楽しませてもらった。
ホントはどっぷりリアルタイム体験世代としての嬉しかった再現ポイントをいちいち挙げたいところなんだが、そこはネタバレになるので自重。
お話なんて二の次、記憶のツボを刺激する指圧マッサージのような小ネタの数々が心地いいとだけ言っておく。
今回の実写化成功のキモは、ヒーロー“ヤッターマン”の実写化ではなく、“テレビアニメ『ヤッターマン』”の実写化に徹したことだろう。
それはどういうことかというと、テレビの中のヤッターマンを現実世界になじますような下手な独自設定など加味したりせず、逆にヤッターマンとドロンボー一味は“毎週戦っている”というテレビアニメ版のフォーマットそのまんまのノリで押し通しているってこと。
だからこの劇場版でもビックリドッキリメカは「今週のビックリドッキリメカ!」との掛け声と共に登場するのよ。なんとも斬新だ。
こういう力業でアニメ内のヒーロー&ヒロインをアニメ的世界観のまま見せる手法は『キューティーハニー』(2003年、庵野秀明監督)を思い起こさせたが、その徹し方はそれ以上。ただ惜しむらくはなぜかこの『ヤッターマン』も、『キューティーハニー』と同じ過ちを繰り返している。
どちらもクライマックスまではとにかく勢いで作品世界に引っ張り込むことに成功していながら、肝心のクライマックスで内面的な戦いを持ち込んでそれまでの勢いを止めてしまう。
こういうおふざけをよしとする作品でなぜそこに落とし込もうとしたがるのかいまひとつ理解しかねるのだが。
その点では同じような手法で徹頭徹尾最後まで走り抜けてみせた昨年公開の『スピード・レーサー』(2008年、ウォシャウスキー兄弟監督)の方が一枚上手だった。