「感動なんて無縁の作品だけれど、映画的な充実感に満ちた作品」ノーカントリー 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
感動なんて無縁の作品だけれど、映画的な充実感に満ちた作品
興行重視のハリウッド映画の影響から、アカデミー作品賞も商業ベースでの評価が主流でした。ところが本作のようなかなり個性的な作品が受賞する背景には、大作主義に傾倒しどれも似たような企画が並ぶハリウッド映画の危機感があるのではないかと思いました。
まずはサービス精神のない作品です。なんとラストまでに話の筋の転結がないのです。どうも、それがコーエン兄弟監督の手法のようです。『バベル』の時の???を思い出してしまいました。
ラストに行き着くまで、凶悪残忍な殺し屋シュガーと彼に追われるルウェリンの台詞も少なめに、観客に息つく間も与えないほどの緊迫感たっぷりの仕掛けをこれでもかぁぁぁ~というくらいコーエン兄弟監督は繰り出していたのです。
サスペンスとして、無言の恐怖感を演出するところでは、アカデミー作品賞にふさわしいと思います。
その緊張が途切れて、ホッとしたところで突然ラストシーンを迎えます。まるでラストへの期待感にドキドキと舞い上がって気持ちから、突如としてハシゴを外された思いです。でもそれが映画の楽しみかもしれません。手傷を負った「ヤツ」はどうなるのか。老保安官ベルの最後の台詞の意味することは何か。今見てきたシーンを頭の中でプレイバックして、ああでもないこうでもないと思いめぐらし、マイミクさんと語り合えるネタが多いことは幸いなるかなですよ。
ある意味観客を突き放して、独自の世界観をもって、シュガーに人を殺させていく作品だけに、根性据えて見る覚悟は必要ですね。
ただ老保安官ベルさんには、そう簡単に人生を諦めないでくれ~。犯人逮捕に闘志を燃やせぇぇぇ~と言いたくなるのですが、『ランボー』みたいには行かないようでした。 保安官は自己保身に走り、悪は運びってしまうのでしょうか?
殺し屋シガーのインパクトは強烈そのもの。演じているハビエルは今後どんな作品に出ても殺し屋のイメージがついて回ることでしょう。感動なんて無縁の作品だけれど、映画的な充実感に満ちた作品としてお勧めしておきます。
追伸
当初保安官の言葉は、殺し屋シガーを追い詰めることが出来ない自分に対し、世の中思い通りには行かなくて無理なことは、さっさと諦めるものだと言い聞かせているものだと思っていました。
但し、コーエン兄弟監督は、もっとその台詞に深い意味を語らせたかったのではないかと思います。
この作品では、殺し屋シガーは不条理に人を殺します。彼には彼なりのルールがあるのですが、突き詰めると人の生死は、コインの裏表のように偶然に襲ってきて、逃れることができないものだ、俺がここで殺さなくても、あんた明日には死んでるぜというような死生観がつきまとっているのです。
死はシガーと出会うことで必然ほぼとなってしまいます。
そのようなキャラクターを立てることで、コーエン兄弟監督は、あがないきれない死というものを描いたのだと思います。つまりシガーにいのちを狙われているのは、登場人物だけでなく、観客全員になんだ、観客全員に登場人物
と同じ死の恐怖を、体験させているのだろうと思います
ということで、保安官は、シガーの恐るべき殺人鬼ぶりに触れて、どうもがいても、死から逃れることはできないのだということを悟ったのだと思います。だから生きているうちはジタバタせず、分不相応な夢よりも自分のやれることを悔いを残さないようやり遂げることが大事なんだと語らせているのでしょう。