ブレードランナー ファイナル・カットのレビュー・感想・評価
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2019年はとっくに過ぎたけど・・・
この作品には思い出が多すぎる‼️初見はVHSだったけど、当時からオリジナル版と完全版があり、小学生だった私はどちらを見ればいいのか大いに悩んだものです。その後ディレクターズカット最終版が出て、ワークプリントまで出て、そしてファイナルカットである‼️その全てを観て毎回唸らされてきました‼️VHSからLDへ、ワイドスクリーンの構図にビックリして、DVDとBlu-ray、4K UHDで観た時の映像の美しさに衝撃を受けました‼️やはりこの作品を語る上で欠かせないのは、その見事なSFXですよね‼️多分主役はハリソン・フォードよりも2019年のロサンゼルスの街並み‼️香港と東京をイメージしたというダウンタウンの街並み、絶えず降り続く酸性雨、モダンに建築されたピラミッドや建物、アジアやラテンの移民たちが揉み合う雑踏、ワカモトのスクリーンボード、巨大でけばけばしいネオンサイン、空を走る高度なコンピュータを装備したパトロールカー、デッカードが使用するブラスターまで、あまりにも印象が鮮烈すぎて忘れられません‼️ヴァンゲリスのシンセサイザー音楽も素晴らしい‼️そしてハードボイルドなハリソン・フォードのデッカードと、人間とは思えない美しさ(レプリカントだから当然か)のショーンヤングのレイチェル‼️2人のラブシーンも美しくて、続編「ブレードランナー2049」での展開を考えると切なすぎですね‼️でもやはり、ルトガーハウアーの名演に勝るものはありません‼️レプリカントの悲しい心情を体現する彼の強烈な存在感‼️タイレル社の社長に延命を要求する会話のシーンの凄み、そしてラスト、雨にうなだれながらデッカードにレプリカントの悲しき宿命を訴え寿命が尽きるシーンは、ビジュアル先行と思われがちなこの作品に深いテーマ性をもたらしています‼️ちなみに私はやはりオリジナル版が好きですね‼️私の「ブレードランナー」体験の基になっているのはオリジナル版ですから‼️それとデッカードが本当はレプリカントかどうかという議論はそろそろ終りにしましょう‼️
【”人間とレプリカント(AI)との違いは何か!”圧倒的な近未来世界のビジュアルと、故、ルトガー・ハウアーの存在感及びレイチェルを演じたショーン・ヤングの美しさにヤラレタ作品。】
ー 今作を初めて鑑賞したのは学生時代である。
フィリップ・K・ディック好きの級友と共にビデオで見た。圧倒的な近未来世界のビジュアルには引き込まれたが、余り印象には残らなかった。
だが、この作品が後世の映画に及ぼした影響は多大なるモノがある。
分かり易い所で言えば、史郎正宗の”攻殻機動隊”を原作にしたスカヨハが草薙素子を演じた「GHOST IN THE CHELL」や今作の後編と言っても良い「ブレードランナー2049」である。-
◆感想<Caution! 内容に触れています、>
ー これほどの作品なので、久方ぶりに鑑賞した感想をシンプルに記す。ー
・今作では、反乱を起こしたレプリカントを追うブレードランナーである、デッカード(ハリソン・フォード)は、常に陰鬱な表情をしている。これは、私の解釈だが彼は寿命4年の脱走した最新型レプリカント達を殺す事に嫌気がさしている。
・だが、彼は、着実に酸性雨が降りしきる一切、日が当たらない2019年のロサンゼルスで脱走したレプリカントを”解任”しいていく。
・だが、レプリカントを開発した、タイレル教授の秘書であるレイチェル(ショーン・ヤング)の美しさに惹かれつつ、瞳孔の動きを察したデッカードは彼女がレプリカントであると気づくが、レイチェルがその事実を知らず、タイレル教授が愛した姪の記憶が刷り込まれている事に気付く。
ー だが、彼はその事実をレイチェルには言わない・・。-
■一方、脱走した最新型レプリカント達のリーダー、バッティ(ルトガー・ハウアー)との一騎打ちで、バッティが、デッカードの指を殺されたレプリカント達への想いを口にしながら折って行くシーンからの、絶体絶命のデッカードを助けた後に、彼に語り掛ける人類の為に自分達が行ってきた事を誇らしげに語り息絶える姿は、名シーンであろう。
AIであるが、人の心を持っている事を、明確に表したシーンである。
<ラスト、デッカードがレイチェルが眠っているベッドに走り寄り、彼女が息をしているかを確かめるシーン。そして、”逃げよう”と言ってレイチェルの手を取るシーン。
この後の展開は「ブレードランナー2049」に引き継がれる。
今作は、”人間とレプリカント(AI)との違いは何か!”という現代でも十二分に通用するテーマを題材にした、リドリー・スコット監督が産み出した独特な近未来(といっても、舞台は2019年のロサンゼルスなのであるが。)の世界観に魅了される作品である。>
初!生演奏!色褪せない!最高ぅ!
2020年、レプリカントは人類に宣戦布告!
近未来の日本、酸性雨が降り注ぎ資源が枯渇する地球で生活を続ける為、人工生命体のレプリカントを使役し宇宙での過酷な労働を強いてきた。
屈強な体躯に人類最高峰と同等の頭脳を持つ第6世代のレプリカントは感情を持ち、人間への謀反を企てる。
ロイを筆頭に四年の寿命を克服すべく地球へ密航してきた4人のレプリカントと、記憶を植え込まれ自分を人間と信じてきた1人のレプリカントのレイチェル、それらを追うブレードランナーのデッカード。
ブレードランナーの仕事は単純で、危険因子をはらむレプリカントを抹殺すること。
しかし記憶と感情、愛情までも持ち合わせるレプリカントたち。
レイチェルに惹かれながら、ロイたちを追う矛盾を抱えながら対峙するも、返り討ちにあう。
ロイは徹底的にデッカードを追い詰めた後、彼の命を救い寿命を全うした。
レイチェルを奪われまいと逃走を決意するデッカードは自宅の前に、まるで自身の夢で見たようなユニコーンを模したような折り紙を見つける。
レプリカントと人間の違いはなんなのか。
機械的な対処を続ける警察などの人間組織に対し、叛逆するレプリカントはなんとも人間的なやり方で意思を表明した。
複雑な感情を垣間見せ、膂力も並に感じられるデッカードにもレプリカントの可能性が匂わされる。
人が擬似的な人間を創造したとしたら、それは生命といえるのだろうか。
過大評価じゃないかな.....
ストーリーが面白くない!!!!!
自分達の寿命を伸ばそうっていうストーリーだと思うんだけど...
確かにサイバーシティは美しく、会社の建築デザインも美しかったが、ストーリーが面白くない。
どこがSF映画の金字塔なのかほんとにわからない、SFアクションに分類されているのにも関わらず、アクションシーンは少なくステゴロ相手に拳銃でころしてるし、僕がわるいんだと思うんですけど、最後の一人は、自分の拳に釘刺したり、雨の中裸になって主人公追いかけるしで、自分のなぜこんなに高評価されてるのかわかりません、当時の技術ではすごかったのかもしれないが、僕が見たいのは、現在から見たレビューなんですよね、人造人間が人間になれる云々はエキスマキナがありますし、僕の視点からだほんとになざ高評価なのかがわからない。。。。
レプリカント側の視点で自分達の寿命を延ばすために奮闘する感じなら心理も理解できて面白かったと思うのですが、いまいちSF映画の金字塔と言われてることに納得できない...納得できないので、原作小説読んでみますかね。。。
伝説となったカルトムービーの圧倒的な映像美!
午前十時の映画祭12にて。
何十年ぶりに観ただろうか…
「ディレクターズカット(完全版)」というバージョンがあったが、さらにその後にリドリー・ズコットが再編集したという「ファイナルカット」版。
どこが変わっているかはよく分からないが、ラストは完全版と同じだったと思う。
この映画が初公開されたのは1982年。物語の舞台は2019年で、既に過去となった。コンピュータのモニターがブラウン管なのと、ところ構わずオフィスでタバコを吸うあたりは制作された時代を感じる。
PAN AMが倒産してるなど予想だにしなかっただろう。
原作小説が出版されたのは1968年で、車は宙を飛ぶのに電話ボックス(公衆電話)を使っていた。フィリップ・K・ディックも携帯電話からスマホへの発展は想像できなかったのだ。
さて、ルトガー・ハウアーが『シャイニング』のジャック・ニコルソンばりに不気味だったことばかりが記憶に残っていたが、アンドロイド(レプリカント)たちが抱える寿命への恐怖心が強く表現されていると改めて感じた。
むしろ、デッカードがレプリカント3人までを仕留めるシーン(1人はレイチェルによってだが)が、結構残酷だったりする。
デッカードがレイチェルを連れて「愛の逃避行」に踏み出すエンディングには、可哀想な女にのめり込んでいく男の性というものが現れている。相手が人ではないと分かっていても、だ。彼女が美しければなおのこと。
Nexus6
午前10映画祭にて
原作ファン
原作よりメランコリックな話でした
大枚はたいて主人公が買った山羊、電気羊もサクってあるという清々しさ
コッテコテの近未来都市がアジアみたい
生物が貴重な世の中 逃亡した新型レプリカントを追うのは同じなのですが、デッカードが始末するのは実際…まぁレプリカントの悲哀を描いているのは映画の方かなという印象なのでこれはこれで良いかな
ルトガー・ハウアーの怪演が光る
タブレットにネクサスって機種あったのでこれってもしやこれからname after? マーヴェルにも誰かお好きな方がいらっしゃるのか、ワンダヴィジョン、ロキにもnexusちらっと出てきます
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の2049ってパトカーのヴィジュアルとかラストからの流れとかちゃんとこの内容踏襲してるんだと今頃評価
レプリカントが銃を持てば敵わないように感じた
午前十時の映画祭12にて。
酸性雨で荒廃したロサンゼルスに、人造人間・レプリカントたちが植民地惑星から逃亡してきた。レプリカント専門の捜査官・ブレードランナーのデッカードが追跡を始め、レプリカントを倒していく話。
1982年公開作品を2007年に再編されたファイナルカット版で2019年が舞台との事。あんな空飛ぶパトカーはまだ登場してないが、大きなドローンも有り、作ることは技術的には可能かもしれないが、法整備が追いつかないのだろう。
レーチェル役ショーン・ヤングとプリス役のダレン・ハリスが化粧が濃くてどっちがどっちかわからなくなる事が有った。両方とも美しかったが。
レプリカント退治に1人で向かってくのは無謀に思えたし、レプリカントは銃を持たず、デッカードと戦ってたが、銃を持ってたら負けただろうと思った。
名作なんだろうけど、個人的にはイマイチ。当時観てたら違った感想だったかもしれないが。
ラストシーンで始まるための映画
折り鶴を手に取りエレベーターに乗り込むシーンで幕切れするのが印象的であった。ここを引き立たせるために
仕事へのためらい、不快感を思わせる都会のシーンによって腐敗した人間の社会が延々と描写されているのではないかと思うくらい。
それによって、見ているこちらも、鬱々とする時間を過ごし、腐ったものを見せられている気分であった。敵であるはずのレプリカントに触発され、ここから抜け出そうとする意志を1人の人間が獲得したというところで終わる。直接的な訓示がない分、映像表現を通じて、社会への批判的な姿勢がどのように生じるか感覚的に伝える上質な映画だと思った。
ただ日本人として、やはりアメリカ的な日本の描写が生理的に無理でもあった。
「我思う故に我あり」 レプリカントの心情にハッとさせられた映画だ
午前十時の映画祭で、初めて観賞しました。ハリソン・フォード主演。
スペースシップの人間を殺害し、地球に潜り込んできたレプリカント(人造人間)を主人公が始末に動く物語です。
タイトルの「我思う故に我あり」が、この映画のキーワードです。この言葉は、劇中のセリフに出てきます。
レプリカントは、本来ロボットのように労働のために作られたのですが、後半に人間と同じような感情を持っていることが発覚するのです。これが後半顕著になっていき、切なさとやるせなさを感じました。勿論、レプリカントの暴力や殺人は悪なのですが。
この映画の中に、フクロウやレプリカントの眼が、カッチカッチ動くシーンが時々はいります。このシーンがなかなか芸術的です。
結論として、この映画は心を動かされる名作です。CGやVFXだけのアメリカ映画と違って、アイディアで勝負している所が素晴らしいです。
エアフォース・ワンのほうが良かった。。
時折見るリバイバル上映のを見たんですが。。
想像以上に疾走感もやっつける爽快感も無く、
指を折られるだのあれこれ痛そうな描写とかのほうが目立っていてなんとも。。
確かにアクションものは主人公だって怪我したりするんですけど、なんか違う。。不快感や嫌悪感のほうが強く演出されてて残念でした。
人造人間達が反乱を起こしたので対処しなきゃいけないって設定はよく分かったし、
まぁ謎の未来都市?に妖しさを演出するためなんでそこまで日本風?の音楽やらわかもと?やらの日本的広告を使うのかはもう不問にするんですが、
ハリソン・フォードが一人っきりで頑張るぞーー!!ってことならエアフォース・ワンをリバイバル上映してほしかったなーと思いました。
アクションものなのに、ハリソン・フォード主演なのに珍しく合わない映画でした。。残念!
映画館で『ブレードランナー』
午前十時の映画祭にて、観賞。
色んなバージョンが、ある映画ですが、
初めて観たのは、たぶんディレクターズ・カットで、
ファイナル・カットは、これで3回目か4回目ぐらい、
この映画は、トータルで、5、6回(もっとかな?)観てますが、
あまり面白いと思えず、あまり好きじゃなかったのです。
ビデオや配信でしか観た事なかったので、映画館で観てみたら、見違えるぐらい面白くてビックリ!!
巨大スクリーンで、音もスゴかったので、迫力ありました。
やっぱり映画館って、スゴイ!!
今さら『ブレードランナー』の魅力に、気付くとは(笑)
話が分かりにくいので、あまり…って方も多いみたいですが、そうですよね(笑)
分かりにくくて、あまり面白くない(笑)
その感想、正解だと思います(笑)
でも、話どうこうってより、SF的な映像美や世界観を楽しむ映画だと思います。
YouTubeでも考察してる人いるし、何回も観て謎解きするのも面白いと思います。
ちなみに、芸者や、うどん?など、日本文化が出てきますが、
リドリー・スコットが来日時、歌舞伎町に衝撃を受けたからだそうです。
街と同様、リーゼントの美人秘書レイチェルの存在感も強烈。
彼女は、ビジュアル的にも、なくてならない存在だと思います。
原作小説も読みたくなりました。
素晴らしかった
2015年にカナザワ映画祭で劇場公開版を見て以来7年ぶりだ。DVDも持っており、映画館でも何回も見て何回見たか分からない。原作も読んだ。今回も圧倒的に素晴らしかった。特にTジョイの凶暴な音響で見られて最高だ。映像も美しい。
S660という小さな車に乗っているだけど、乗り込むときに毎回デッカードがポリススピナーに乗る場面に思いを巡らせている。ガルウイングじゃないのが残念だ。空も飛ばない。色も青じゃない。ただ車体が小さくて狭いだけ。青にすればよかった。今回初めて気が付いたのは、デッカードがJFセバスチャンの自宅を訪ねる際に、ポリススピナーじゃない車に乗っていたことだ。もっとよく見たい。
ブラスターもかっこいい。
ルトガー・ハウアーは無駄に怖い。なんであんなに凄んでんのか意味が分からない。そういう人たまにいるから、そういう人なのだろう。生きていてしんどいことが多そうだ。寿命が短いから社会や人類に怒っているのだろうか。
リオンが液体窒素や熱湯に手を突っ込んで平気いるから、痛みを感じないのかと思うと、ロイは手に釘を刺して痛みで覚醒しているし、プリスの断末魔もそうとう辛そうだ。どっちなのだ。
SF映画の名作の1つ。久しぶりに観てみた。
チープなレプリカント
レプリカントと聞いて、まず思い浮かべるのは、中森明菜の「TATTOO」。曲あたまから、こんな歌詞。都会にはびこる哀れなアンドロイド くどき上手のチープなレプリカント ハートの萎えた男は要らない Get out!
この歌を聞いてた頃、当然ブレードランナーなんて見てないので、レプリカントが何だか、全くわからなかった。作った人は確実に、映画のイメージを歌詞に入れているよね。そんなこと考えながら映画を見てたら、懐かしくなってしまい、つい明菜の動画を検索してしまった。いやー、むちゃくちゃ可愛かった、明菜ー。今どうしているんだい?
映画公開が1982年、曲のヒットが1988年、バブルはあと少しではじける、そんな時代。この頃の若者は、先の不安はあまり感じず、ずっと毎日おもしろおかしく暮らしていくと、漠然と思っていた。今じゃそんな楽観的でいられないよね。奇しくも映画の中では、日本人や日本語がちらほら。
そもそもレプリカントの設計に疑問があるが、人工生命ゆえの冷たい美しさがある。女性型はみんな美型。はかなく哀れな存在。ロイが最後に何を考えていたのか、自らの心が動くのを感じたのか、見てる側にはわからないが、本人は納得できたのかもしれない。
しかしラストは終わりに思えなくて、録画ミスかと疑ってしまった。ネットで調べてみたら、確かにああいうエンディングだった。鑑賞者の想像にお任せ、ってやつだ。なんか続編の2049も見たい気持ちになった。
音楽が渋い。ヴァンゲリスという名前は知らなかった。でも、調べたら「炎のランナー」や「南極物語」の作曲してた人だったのね。最近コロナで亡くなったとのこと。合掌。
BS日テレの放送を録画で。
二つで十分ですよ、勘弁してくださいよ
All those moments will be lost in time... like tears in rain. Time to die.
TOHOシネマズの懐かし映画再映(正式名称忘れましたごめん)で鑑賞。
本作は既にあらゆるバージョンを夫々3回くらいずつ見ているので、上のワタシ的名セリフ二つの確認だけ〜といささか引き気味に最後部席で臨みました(新作いつも最前部)が、非常に良かったです。
とにかく4Kリマスターが物凄くキレイで映像の古さを払拭しており、まるでレトロ・サイバーパンクSFの新作かと見紛うほど。またそのお陰で暗部や細部がより明確に見えるので、作品自体を見慣れた私にも新イメージや新発見があった(ような気がしたです)。改めて見ると、ブレードランナーはリドリー・スコット監督作のなかでも進行の小破綻や抜けの殆どない、非常に緻密な出来だったのですね。
こんな劇場映画体験が出来るのなら、当分月に一回くらい観たい感じです。
映画ほど進んでいない現実
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