「2019年に劇場で『ブレードランナー』を観ることが出来た幸せ」ブレードランナー ファイナル・カット たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
2019年に劇場で『ブレードランナー』を観ることが出来た幸せ
1982年公開の映画『ブレードランナー』の25周年記念で作られた再編集バージョン。
監督はリドリー・スコット。
主人公デッカードにはハリソン・フォード。
SF映画の金字塔として名高い『ブレードランナー』がIMAX上映されると知り、この機会に鑑賞してみました。
もちろんタイトルは知っていましたが、これまで鑑賞したことはありませんでした。
本作の舞台が2019年であることすら知りませんでした。
なのでこのファイナル・カット版とオリジナルバージョンとの違いは全く分かりません。
SF映画であるということ、主演はザ・ハリウッドスターであるハリソン・フォードであるということぐらいしか知らなかったので、てっきりスターウォーズ的なハリウッド式アクション映画だと思っていました。
なので鑑賞して驚いたのは、全体の雰囲気が完全にノワール調だったことです。
アクションシーンはオマケのようなもので、主人公の葛藤や人間そっくりな人造生物レプリたちの苦悩がテーマとして据えられています。
アジア人の難民が大量に入国して作られたのであろう、ロサンゼルスの混沌とした街並みには映画的なリアリティーが漂っており、心を鷲掴みにされました。
『攻殻機動隊』など、サイバーパンクというジャンルにカテゴライズされる作品のオマージュ元になったのも肯ける、圧倒的な世界観!
退職後もブレードランナーという使命を強制され葛藤を抱えながらもレプリ狩りを行わざるを得ない主人公デッカードと、人間の手により奴隷として生み出された上、短い命という宿命を定められ、それを覆す為に奔走するレプリ達。
果たしてどちらが正しいのか?どちらが人間らしいと言えるのか?自らの意思とは反する使命を果たすデッカードは人間と言えるのか?
観ているうちにこのような疑問がどんどん頭に浮かび、ラストシーンでのレプリのリーダーであるロイの流す涙と、独白のようなセリフが心に突き刺さります。
ヒロインであるレイチェルが、自分がレプリであることに気付くシーンは残酷です。
(正直デッカードとレイチェルのラブシーンだけは、この映画のカラーと合ってないと思ってしまうほどザ・ハリウッドなシーンで違和感がありましたが。)
レイチェルの存在がこの映画で重要なファクターとなっているのは、やはりこの「自分を人間だと思っているレプリである」という点でしょう。
このキャラクターが登場することで、観客の頭には、この映画に登場する人間は本当に人間なのか?という疑問が浮かびます。
それがこの映画のミステリーである、「デッカードは本当に人間なのか?」という問題につながるわけです。
この問い掛けの答えを作中で明示せず、観客に想像の余地を残しているところがこの映画の白眉な点だと思います。
舞台と同年である2019年にこの作品を劇場で、しかもIMAXで観ることが出来たのは幸運でした。銃声や雨の音か臨場感たっぷりですごい!
本当に観てよかったと思える傑作です。ぜひ劇場で観ることをお勧めします!
最初のオリジナル版は、デッカードのナレーションが入ります。私はこの版が好きでした。ナレーション入りなので、この映画の深さが最初から心に刺さりました。