ある子供のレビュー・感想・評価
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ジミーはどこよ!
過去に、レンタルで観ました💿
犯罪で生計を立てているブリュノと、ソニアの間にある日子どもが生まれます。
ソニアは喜びますが、未熟なブリュノは子どもを売ってしまい…。
ブリュノを演じたジェレミー・レニエのクズっぷりと、ソニアを演じたデボラ・フランソワの対比が良かったですね🙂
ブリュノは子どもを取り戻すもののボコボコにされたり、つるんでた少年を置いてけぼりにしたりしますが…。
最後に取った彼の行動、そして会いに来たソニア…ラストシーンは不器用ながらも希望を感じます🙂
確かデボラ・フランソワのデビュー作だったと思いますが、堂々とした演技に繊細な表情は非常に良かったですね😀
私はわりと好きな映画です🎬
子供のままの男をそのまま見詰めたダルデンヌ
3年前の「息子のまなざし」は実験的手法による現実凝視だったが、この作品もありのままの現実を冷静に観察している。
強盗常習でその日暮らしのある青年が、恋人との葛藤で漸く気づく自分の未熟さ。わが子を勝手に闇組織に売る愚かさに唖然とする。大人になり切れぬ幼児の如き青年の無防備で危なげな生き様を見つめるダルデンヌ兄弟監督の冷静な視点。主演のレニエとフランソワ共に自然な演技でとてもいい。レニエの逃走場面の、池の中に潜むカットの水の冷たさに、唯一作者の愛の鞭を感じるのだが。テーマとストーリーの完結性高い映画の語りの巧さと表現力。
貧困層の現実というのを訴えた作品。 ブリュノは母から何を学んで 子...
貧困層の現実というのを訴えた作品。
ブリュノは母から何を学んで
子供というものをどう理解しているのか。
何も理解しないまま父親になったある子供。
ラストシーンの先には希望は見えるとは思わないが
これはそういった現実を訴えた作品なのだと感じた。
音楽がない映画
タイトルはブリュノの事を指してたのだとラストで気付いた、まだ子供なのに父親になったある子供。
まさか自分の子供を売るなんて考えてもなかったソニアの我が子を守ろうとする姿がすごくよかった
考えたらわかる事なのにお金の事しか頭にない
明日を生きるのに必死で周りが見えてない
自分の醜い姿すら見えてないんだろうな
一度目の逮捕されそうな時に自分を守る為なら彼女を犠牲にもする、言葉は全て嘘だらけなブリュノだったけど二度目は自らスティーブの所に行って自首した
彼を変えたのはやっぱりソニアとジミーの存在。
今まで責任や善悪について考えた事などなかったであろうブリュノがソニアと面会して、会いに来てくれて話してくれて優しくしてくれて手を握れてきちんと心から後悔出来たブリュノはきっと更生できると信じてます。
ここまで音楽に頼らない映画は初めてで驚きました。
☆☆☆☆ ダルデンヌ兄弟が撮る映画の特徴と言えば、それはズバリ《大...
☆☆☆☆
ダルデンヌ兄弟が撮る映画の特徴と言えば、それはズバリ《大どんでん返し映画》だ!
「はあ?何言ってんだ!」との意見は当然の様に出るだろう。
何しろ、その手の手法は一切使っていないし。兄弟2人に直接「…ですよね!」等と聞いたなら、一笑に付されてしまう事だろう。
ただ!…。
ダルデンヌ兄弟作品には。映画のラスト直前まで、対象としていた人物は。常に【絶望の淵に立っている】事が多い。
まさに画面が暗転し、上映が終わる寸前まで…。
ところがその状況を、僅か数十秒で一変させ。映画は【希望の光】を見出し上映は終了する。
《大どんでん返し》を売りにしている映画は世に多い。
脚本も、ラストに向けての前振りを周到に準備し。観ていると、〝それ〟だけに力を入れている様に感じる作品もある。
〝それ〟が上手く行っている作品ならばまだ良いが。寧ろ〝それ〟がアダと言う名の【縛り】となってしまっている作品に至っては…。
最近、同じ劇場にて。『イゴールの約束』『息子のまなざし』と。これで3作品を見直した訳ですが。ダルデンヌ兄弟の凄いところは、その全てが《どんでん返し》を売りにする作品と違い。登場人物の【感情表現の起伏】によって、最後に《一筋の希望の光》を対象とした人物に降り注ぐ。
そんな映画の魔法をダルデンヌ兄弟は、観客に向けてもまた振り掛けているのだ。
初見 恵比寿ガーデンシネマ
2019年11月18日 シネマブルースタジオ
反復というすばらしい演出
反復と増殖は芸術の基本であり、反復はダルデンヌ兄弟もよく使う。この映画でも反復は大いに役立っている。
『ある子供』とは赤子と少年の両方だ。赤子にした仕打ちに対して、何の呵責も責任も感じない。それは、悪意に満ちたものではなく、たんに無知なだけであり、それゆえ愚かなだけである。
一方で、少年を巻き込んでしまったこと、怖い思いをさせてしまったことに対して、呵責や責任を初めて知ることとなった。
また、頭をこすり合わせるシーンもこれに当たる。最初のシーンでは、まだ精神的にまだ子供で、気楽さという面が前面に出ていた。
しかし、最後のシーンでは、精神的に大人になり始め、気楽さは引っ込んだ。
これらは無知ではなく、自分の責任を知ったことによるものだ。
最後のシーンによって、赤子を売った重大さへと循環する。これが、反復の力である。
「明日こそは役所で認知の手続き取ってね」という言葉も忘れてしまっ...
「明日こそは役所で認知の手続き取ってね」という言葉も忘れてしまったのか、悪仲間を通して子供を売ってしまったブリュノ。やばくなったら「盗まれた」と言い訳をして、事後処理に奔走する。
ヨーロッパの失業率は悪い。特に舞台となったベルギーでは12~13%の失業率なんだそうだ。失業率が10%を超えると、いつ革命が起こってもおかしくない状況なのですが、それをどろぼうという手段で生活しようとする奴も多いのであろう。生きるためには何をやってもいいといった思想が根付かないようにしたいものですが、この映画では問題提起だけで終わっているかのようだ。
主人公ブリュノは大人になりきれない男。自分の子供ができたって、品物と同列に見てしまう。恋人ソニアはぎりぎりのところで彼を叱咤するが、叱られてからようやくコトの重大さに気づく男。母親からは独立しているかのようでしたけど、実際には利用しまくり。そして、13歳の子供を子分として使い、ひったくりを繰り返すが、最後には警察に追われるハメになってしまう。逃げるため川に飛びこみ、凍えそうな経験もするが、その子分が捕まってしまい、最終的には自首する・・・
この自首によって一筋の希望が見出せるものの、そんな簡単に性格は変わるものではないだろう。改心して出所しても失業生活はずっと続くだろうし、世の中を変えるしかないのです。手ぶれカメラによってドグマ映画のような効果とドキュメンタリーのような効果。クロースアップや無駄な部分をカットして、芸術性を高めていますが、なぜかのめり込めなかった・・・やっぱり、ひったくりが許せないと感じたからかなぁ・・・
ある子供。こういう子供もいるということか。貧困問題の映画とかは、見...
ある子供。こういう子供もいるということか。貧困問題の映画とかは、見ただけで意味がある気がする。
●消化不良
なんだろか。貧困と無知はツライよねって話か。
それとも、こうした現実が結構あるんだって話なのか。
とにかく危なっかしい主人公。よくいえば浅はか。悪くいえばクズ。
まあ、クズにもなりきれない優しい男。
程度の差はあれ、若気の至りでってのは目を瞑れるけども。
言われるがまま、思いつくまま行動して。
でも最後に自分の意思で行動したことはよかったんじゃないかな。
お前か!
地上波のキネマ麹町で鑑賞。
子供を抱えたソニアが父親であふブリュノを捜すシーンから始まる。ソニアもブリュノも危なっかしい。子供をほったらかしにして、二人でじゃれあってる。
そんな中、ブリュノが子供のジミーを思いつきのように売ってしまう。ソニアはショックで倒れ、ブリュノは子供を連れ戻すが、その損失の補填のために、ひったくりをするが、警察に捕まってしまう。
ソニアから見放され、行き場所もお金も何も無くなって、初めて自分の無責任さに気付くブリュノ。
最初は、ブリュノに売られたジミーの悲しい人生の物語かと思いきや、途中からタイトルにある子供はブリュノの事であると気付く。子供が子供を作ってしまうのは悲劇だ。
んん?
これは、どういう映画なんでしょうか? 確かに登場人物たちの生き方と、そのどうにもしようのなさは伝わってくるんですけど、でも、そこにあんまり説得力を感じなかったんですよね。
私、ブレッソンは苦手な方でして、なんか同じようなものをこの作品には感じたんですけど、でもやっぱりブレッソンの方がよっぽど説得力があったように感じるんですよね。
うーん、ダルデンヌ兄弟は、私には合わないのかな。。という印象。。。
“ある子供”に責任感が芽生えた時。
「草食男子」が流行っている(?)現在、本作の主人公はまさに「草食男子」の典型だ。「草食男子」の大きな特徴は、“物欲の無さ”と“優しさ”だ。定職に付かず自分より年下の少年たちと盗みを働いてその日暮らしをしているのは、基本物に欲がないからだ。欲望の無さは野心の無さ。大金を掴みたいとか、いい女と寝たいとか、小さな欲望すら無いから、こんな現状から抜け出そうとも思わない。だが彼はとても優しい。盗みは働いても人を傷つけることはしない。自分の子供を産んだ若い恋人に、ペアのジャケットを買ってやる。「認知してね」と言われると「いいよ」と言う。そう、彼は人から物を頼まれると断らない。そこには“優しさ”以上に“無知”という最も厄介な要因があるのだが・・・。タイトルの『ある子供』とは生まれた赤ん坊ではなく、彼自身のことを指している。彼はお金のために自分の子供を売るという非人道的な行為をしてしまうが、それは悪人だからとか、無責任だからとかいうのとは全く違う。もし彼が悪人であり、無責任な男なら、妻と子供を捨てさっさと姿を消すだろう。無責任というのは責任を取ることを拒むこと、つまり責任を取る重大さを知っているということ。しかし彼の場合は父親になるという責任を全く知らず、子供は彼にとって犬や猫と一緒なのだ。20歳の男のこの未熟さを一方的に責めることはできない。彼の周囲にそれを教えてくれる人も、それ経験する機会も無かったのだから。男性の場合、自らがお腹を痛めて子供を産むわけではないので、父親の自覚が無いのはなおさらだ。それに比べ、18歳の彼女には早くも母親の自覚が生まれている。彼から子供を売ったと伝えられた時の絶望。思わず気を失う彼女を見て、彼も徐々に事の重大さに気付き始める。あわてて子供を取り戻す彼は、やはり優しい人間なのだ。代償として大金が必要になり追い詰められた彼は、ひったくり(ここでも強盗などの大きな罪を犯さないところが草食男子たるゆえん)をしたため、相棒の少年が補導されてしまう。少年を助けるため、自首する彼は、やはり優しい人間なのだ。この一連の事件から、彼の中に芽生える責任感と自責の念。面会に来た彼女の前で号泣する彼に、未来はあると信じたい・・・。
真正面から"人間"を描いてきたダルデンヌ兄弟
ダルデンヌ兄弟が描く徹底的なリアリティーのある作品から一歩踏み出した今作は初めて寓話的ドラマ性が共存していた。
とはいっても、先進国において貧困層の現実を映す姿勢は変わらず今まで通りの素晴らしい心情描写が光る。
盗みで生計を立てその日暮らしで毎日を過ごすブリュノ、本当の愛も涙も知らない彼には当然人の心など見えるはずもない。
いつも素朴なタイトルをつける彼らはその一言から観るべき視点を教えてくれる。
「ある子供」。
それは当然、冒頭から登場する赤ん坊のことを言っている。だが、その真意には心が子供であるブリュノが居ることに気付く。
ラストシーンで本当の愛に向き合い、本当の涙を流す。
真正面から"人間"を描いてきたダルデンヌ兄弟らしい美しいラストだ。
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